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3巻【五】
5 線と線が繋がって文字へ、文字と文字が繋がって言葉へ
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姉の言うとおり、台所にお菓子と果物があった。切るのは面倒という理由でポテトチップスの袋を開けて、本来の目的である「書道の練習風景を見る」を実行する。部屋の隅にある袋から家用の書道道具を出した。筆の先を見てちょっと顔をしかめる。そろそろ二つに割れそうだ。
「練習、毎日やんの?」
墨の跡のついた布の上に筆置きなどを並べていると、山宮が尋ねてきた。毛氈の目の詰まった感触を指先でさらりと確かめながら答える。
「毎日筆を持ちたいから、日曜日とか部活のなかった日は絶対。風呂に入る前がいいんだろうけど、おれはすっきりしてから紙に向かうほうが好き。山宮は?」
「体調管理が必須だから、疲れてるときは休むのも大事」
紙なども用意すると急に部屋が狭くなった気がした。山宮が毛氈の頭のほうへ移動し、「この隅っこにいる」と体育座りをして足を抱える。クローゼットと壁が直角にぶつかる角に体がちんまりと収まった。
紙が揺れないようにエアコンの風向を変えた。深呼吸し、びしっと前髪をピンで留める。硯を洗うのに手間がかかるから、今日は墨汁のつぼからそのまま。半切を広げ、下から滑らせるように文鎮の位置を決めた。紺とやわらかい白のコントラストに心臓の音が緩やかになり、心が落ち着くのが分かる。紙に手をつき、指をかけた筆に墨を含ませる。
手本を見た。好きで何度も書いている隷書の手本。今回は臨書だ。手本に近づける字を書く。初心に返って、これまでの自分が培ってきた力を出す。紙の中心はどこか、どのくらいの大きさで書くのか。もう自分は知っている。よく分かっている。
息を吸い、筆を落とした。墨をすっているわけではないから墨汁の濃さがいつもと違う。一瞬焦ったが、それよりも次の一画だ。本日一枚目、姿勢がなってない。筆への力のかかり方が違う。朔也は一通り書いたが、すぐに「これは駄目」と次の紙を用意した。
逆筆で筆を入れ、横の線は同じ太さに。波磔は一箇所。自分はやりすぎるくせがあるから、少し控えめに。呼吸と合わせ、一定の速さで筆を運んで線の太さを一定に保つ。終筆も軽く戻して止める。
墨の粘り気、筆へ伝わる力、指先がそれらを鋭敏に感じ取って紙に墨を載せる。真っ白な紙に墨の色が広がって、白の世界に濃墨の線が駆け抜ける。そこは誰にも邪魔されない、自分一人の世界。そこにいるとき、周りの雑音が聞こえなくなる。
筆の状態と墨の様子、湿気で変わる紙質。今日の組み合わせにベストなスタイルで向き合うとき、書道はスポーツになる。どんなふうに腕を動かすのか、視界になにを捉えるのか、呼吸のリズムは正しいか。バスケの選手がゴールを決めるシュートを弧を意識して放つように、指先の繊細な力が線を描いて作品が決まる。線と線が繋がって文字へ、文字と文字が繋がって言葉へ、言葉と言葉が繋がって文へ、そしてこの文字が文化祭のパフォーマンスやパフォーマンスの予選、更にそこを超えてパフォーマンス甲子園に繋がる。この狭い自室から甲子園会場の四国まで一筋の線で通る感覚だ。
二枚書いたところで筆を置き、机から反対側の壁に吊してある紐にぶら下げて眺めた。右は左右の余白が気になる。左は以前指摘された「完」の字が気に入らない。
結局もう三枚書いた。ふっふっと息を吐き、リズムを崩さず次へ次へ。三枚目の最後の一画を書き終えてはあと息を吐き出した。顔をあげて額を拭う。そこで目の端に山宮の爪先を捉え、「あ」という声が漏れた。
「ごめん、山宮がいるのを忘れてた」
思わずそう口にすると、息を詰めるように紙を見つめていた山宮が噴き出した。
「すげえ集中力。……でも、すげえな。こんなふうに書いてるのか。書道って手で書くのかと思ってたけど、腕を動かすんだな」
「よく気づいたね? 半紙程度の紙の大きさでも、肘を動かさないと上手く書けないよ」
「中学までの俺に教えてやりてえわ。理解し合えないまま筆に別れを告げたぜ」
山宮は足を崩し、朔也の書いた紙を反対側から覗き込んだ。
「書道のことは全然分かんねえけど、これが好きなんだな。……紙に向かってるときの真剣な表情、すごかったわ……」
(後略)
「練習、毎日やんの?」
墨の跡のついた布の上に筆置きなどを並べていると、山宮が尋ねてきた。毛氈の目の詰まった感触を指先でさらりと確かめながら答える。
「毎日筆を持ちたいから、日曜日とか部活のなかった日は絶対。風呂に入る前がいいんだろうけど、おれはすっきりしてから紙に向かうほうが好き。山宮は?」
「体調管理が必須だから、疲れてるときは休むのも大事」
紙なども用意すると急に部屋が狭くなった気がした。山宮が毛氈の頭のほうへ移動し、「この隅っこにいる」と体育座りをして足を抱える。クローゼットと壁が直角にぶつかる角に体がちんまりと収まった。
紙が揺れないようにエアコンの風向を変えた。深呼吸し、びしっと前髪をピンで留める。硯を洗うのに手間がかかるから、今日は墨汁のつぼからそのまま。半切を広げ、下から滑らせるように文鎮の位置を決めた。紺とやわらかい白のコントラストに心臓の音が緩やかになり、心が落ち着くのが分かる。紙に手をつき、指をかけた筆に墨を含ませる。
手本を見た。好きで何度も書いている隷書の手本。今回は臨書だ。手本に近づける字を書く。初心に返って、これまでの自分が培ってきた力を出す。紙の中心はどこか、どのくらいの大きさで書くのか。もう自分は知っている。よく分かっている。
息を吸い、筆を落とした。墨をすっているわけではないから墨汁の濃さがいつもと違う。一瞬焦ったが、それよりも次の一画だ。本日一枚目、姿勢がなってない。筆への力のかかり方が違う。朔也は一通り書いたが、すぐに「これは駄目」と次の紙を用意した。
逆筆で筆を入れ、横の線は同じ太さに。波磔は一箇所。自分はやりすぎるくせがあるから、少し控えめに。呼吸と合わせ、一定の速さで筆を運んで線の太さを一定に保つ。終筆も軽く戻して止める。
墨の粘り気、筆へ伝わる力、指先がそれらを鋭敏に感じ取って紙に墨を載せる。真っ白な紙に墨の色が広がって、白の世界に濃墨の線が駆け抜ける。そこは誰にも邪魔されない、自分一人の世界。そこにいるとき、周りの雑音が聞こえなくなる。
筆の状態と墨の様子、湿気で変わる紙質。今日の組み合わせにベストなスタイルで向き合うとき、書道はスポーツになる。どんなふうに腕を動かすのか、視界になにを捉えるのか、呼吸のリズムは正しいか。バスケの選手がゴールを決めるシュートを弧を意識して放つように、指先の繊細な力が線を描いて作品が決まる。線と線が繋がって文字へ、文字と文字が繋がって言葉へ、言葉と言葉が繋がって文へ、そしてこの文字が文化祭のパフォーマンスやパフォーマンスの予選、更にそこを超えてパフォーマンス甲子園に繋がる。この狭い自室から甲子園会場の四国まで一筋の線で通る感覚だ。
二枚書いたところで筆を置き、机から反対側の壁に吊してある紐にぶら下げて眺めた。右は左右の余白が気になる。左は以前指摘された「完」の字が気に入らない。
結局もう三枚書いた。ふっふっと息を吐き、リズムを崩さず次へ次へ。三枚目の最後の一画を書き終えてはあと息を吐き出した。顔をあげて額を拭う。そこで目の端に山宮の爪先を捉え、「あ」という声が漏れた。
「ごめん、山宮がいるのを忘れてた」
思わずそう口にすると、息を詰めるように紙を見つめていた山宮が噴き出した。
「すげえ集中力。……でも、すげえな。こんなふうに書いてるのか。書道って手で書くのかと思ってたけど、腕を動かすんだな」
「よく気づいたね? 半紙程度の紙の大きさでも、肘を動かさないと上手く書けないよ」
「中学までの俺に教えてやりてえわ。理解し合えないまま筆に別れを告げたぜ」
山宮は足を崩し、朔也の書いた紙を反対側から覗き込んだ。
「書道のことは全然分かんねえけど、これが好きなんだな。……紙に向かってるときの真剣な表情、すごかったわ……」
(後略)
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