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3巻【三】

2 今は、ただ

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 実は、朔也は第一志望から第三志望まで書道が学べる外部の大学を書いた。それら全てがA判定だったが、受験に実技がある大学もあるので、一般的なA判定とは意味が異なる。他には進路指導室で見た偏差値表から、名の通った国公立大と私立大の文学部を書いた。そちらはC判定とB判定だった。

 朔也が今一番関心があるのは書道だ。だが、大学で書道を学ぶのが正解なのか分からない。趣味で書道を続け、大学で他のことを学ぶという選択肢もあるだろう。勉強は嫌いではないし、目指す大学が決まれば徹底的に対策を練るだろうという自負もある。書道のことを念頭に書いた結果を見せるのが恥ずかしくて、紙を見せることができない。

 更に、外部受験を考えていることを言う行為が引っかかる。山宮と違う進路を行く。そのことをまだ考えたくないという気持ちが心を巣くっているのだ。

「……今日、先生も言ってたじゃん」

 朔也はあぐらを掻いた自分の足を引き寄せ、壁にとんと背をつけた。機械がうずたかく積まれた狭い放送室に今日はほっとしてしまう。自分のことを吐露するにはちょうどいい広さだ。

「高校生の見える世界が机の広さなら、世間は教室よりもっと広いって。なんの仕事をしたいかとか、よく分かんない。姉ちゃんはおれのことを間近で見てたから、おれのような生徒をなんとかしたいって学校の先生になるって言ってる。気持ちは嬉しいけど、おれ自身は学校って場所が職場になるのは想像がつかない。姉ちゃんは書道の先生だっていいじゃないって言うけど、なんか違う気がする」

 すると山宮はちょっと考え、「姉貴が言ってたけど」と切り出した。

「これだけは譲れないってものを決めると少しは絞れるってよ。簡単に言うと、転勤があってもいいかとか、土日休みがいいかとか、人と接する仕事がいいかとか。今日の文化祭みてえに、人前に出るのがいいかどうかって視点もあるんじゃね」

 山宮は言葉を選ぶように慎重な口調になった。

「折原って人前に立つのは好きじゃないんじゃね? お前のよさってとことんやるところだろうし、研究職みてえな一つのことを突き詰めてやるイメージがあるわ」

 研究職。思いもしなかった語に目が見開くのを感じた。

「俺は今日の結果で先が見えてほっとした。家族と同じところを目指しても、自分をいかせねえってことだろ。もう親や姉貴と自分を比べるのはやめる。意味ねえわ」

 山宮はそれだけ言うと鞄に紙をしまった。椅子を引き寄せ、再び取り組んでいた問題集とノートをそこに載せる。だが、少し考えるように眉根を寄せた。

「お前も姉ちゃんと比べなくていいんじゃね。姉ちゃんがお前をきっかけに将来の夢を決めたことと、お前の将来は無関係だろ」

 山宮は一瞬言葉を区切り、少し言いにくそうに顔を歪めた。

「お前は自分と同じようになった生徒を見たら、自分とその生徒を重ねて、そいつの苦しみが自分の苦しみになるんじゃね? 教室での生徒の目線を気にして悩みそうだし、お前が学校の先生になると潰れそうで怖えわ」

 山宮の言葉にぐっと胸が詰まった。ふっと息をつき、肩の力を抜く。

「山宮って観察力があるよな。おれのこと、おれ以上に分かってる」
「お前って思ってる以上に分かりやすいぜ。伊達に一年から見てねえわ」

 最後のほう少しだけ音量が小さくなったので、「山宮先輩、さすが」と黒髪の頭をつんと指でつついた。すると無言の右のストレートが腕にぽすっと打ち込まれる。二人同時に笑い、空気が夏のシャーベットのように少し溶けた。急に室内の涼しい風に気づき、息苦しさがほどけていく。

「そう言えば、山宮がナレーションをやりたいって名乗りをあげたのがすごかった。勇気あるね」

 朔也がそう言うと、山宮は照れたように「思わず手をあげてた」と口に弧を描いた。

「世界遺産とか紹介する短い番組があるだろ。最近そういうナレーションを聞くようにしてたんだわ。戦争の痕があると声が悲惨さを醸し出して、絶景が開けると華やかになる。尺に合わせて話すスピードも変えてるっぽい。ナレーター役もいろいろで、アナウンサーや芸人もいた。オーディションを受けるとか、元々声とか演技の仕事をしてて依頼されたりするんじゃね」

 山宮が「これはチャンスだ」と語気を強めた。

「動画に声をあてるなんて、中学の部活でもやらなかった。朗読ともアナウンスとも違う。今回アナウンス部門で評価されたみてえに、新しいことにチャレンジしてみねえと、なにが得意なのか分かんねえわ」

 な、とえくぼを作るのを見て、こちらにまで笑みが移った。やっぱり山宮はすごいなと思う。自分の好きなことに一生懸命でまっすぐだ。

 山宮の声が入った動画を早く見てみたい。自分も違う形でクラスに貢献できる。まるで書道パフォーマンスと同じように、お互いが自分のやりたい形で一つの作品を作ることができる。

 そう思ったらふふっと声が漏れていた。

「やっぱりクラスが一緒でよかった。文化祭で同じものをできるって嬉しい」
「脱出ゲームもおもしろそうだわ。去年はなんとなくで決まったけど、今年は全員が乗り気じゃね」
「役割も押しつけ合いじゃなくて積極的に決まりそう」
「全員で三十二人、案外人手が足りないかもな。どんな舞台か分かんねえけど、メイク係をやる女子とかいそうだし、大道具を作るなら男子の力がいるだろうし」
「体育祭もこの調子でいけるかもね」

 その後は二人とも文化祭の話で盛り上がった。山宮のさらさらの黒髪がクーラーの風に揺れて、楽しそうに口元が動く。朔也はそれを見ながら笑顔で相槌を打った。

 こういう時間が長く続けばいい。隣で一緒に屈託なく笑って過ごせる時間が。今は、ただ山宮と笑っていたい。
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