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2巻【三】

5 レジデンスの霹靂

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 キスはお互い目を瞑るタイミングが分からないから、山宮も自分も瞬きが多くなる。睫毛を伏せた山宮の顔を見、顔を少し傾けてくちびるをくっつけた。先ほど肩で感じたぬくもりより一度高い温度。いつものようにすぐ離れたが、思い切って息を吐く間を待たずにもう一度口を重ねた。山宮が息を止めたようにかちんと固まったので、両肩を掴んで身を引き寄せて口を押しつける。

 体の距離が近づいたら、山宮の体温が空気を超えて伝わってきた。触れる肩も温かく、少し骨張っている。ジャージの手触りは自分と同じだったが、初めて手で触る体つきに胸がどきりと音を立てた。静かな部屋で心音だけがトクトクと鳴る。

 ぐっと胸を押されたので手を離した。山宮が顔を真っ赤にさせてくちびるを拭う。いつものようにああだこうだと言うかと思ったが、なにも言わない。

「駄目だった?」
「いや……」

 山宮が頭を掻いて俯いた。赤くなっているに違いない頬を片手で押さえる。

「お前の距離の詰め方よ……頭が追いつかねえ」
「どういう意味?」
「俺はお前が好きだったけど、お前は違うだろ……なのに、こんなん」

 山宮が深々とため息をついた。

「明日ぜってえ雷が落ちる……レジデンスの霹靂」

 山宮がちっとも顔を見せてくれないので、朔也は首を傾げて尋ねた。

「霹靂って漢字、書ける?」
「俺に書けるわけねえだろ!!」

 即座に山宮がぱっと顔をあげたので噴き出した。

「ようやく顔を見せてくれた」
「お前の羞恥心はロケットに乗って宇宙にでも飛び立ったのか」
「おれもどきどきしたけど」

 朔也は身を乗り出した。

「山宮、物事は唐突に起こるものなんだよ」

 そう言うやいなや、ぐいと片腕で体を引き寄せてキスをした。緊張で固かったくちびるが少しやわらかくなっていて、ぽてっとしている。山宮が驚いたように胸を押し返そうとしたが、もう片方の手で山宮のうなじを支えた。ちりっと短い髪が指に刺さり、長い部分の髪がさらりと指にかかる。

 くちびるのやわらかさも、筋肉の薄い体も、刈り上げてある襟足も、全部が腕の中に収まっている。かわいいと思ったらなんだか離れがたくなって、山宮が動かないのをいいことに、以前言ったようにくちびるを食むように口を動かす。ぷつっと濡れたくちびるが離れると、山宮の口の隙間から出た震える吐息がこちらのくちびるにかかった。何故か全身がざわっとして、もう一度抱きしめてキスをしてしまう。

「……やぱい……」

 朔也は山宮をぎゅっと抱きしめて言った。

「おれ、すごく山宮のことが好きかも」

 山宮の強張った小柄な体が自分の胸に当たっている。どきどきする心臓の音が伝わってしまいそうだ。だが、それも伝わってしまえばいいのにと思う。

「山宮」

 ぎゅっと抱きしめた山宮の顔は自分の横にある。だから表情が見えない。朔也は目を瞑って、背中を撫でた。背骨のでっぱりが固くてごつごつしている。

「好きだよ。ホントだよ。どっちが先に好きになったとか、関係ないと思う」

 腕の中の山宮の背が深呼吸した。だが、一言も喋ってくれない。

「去年はごめんね。もうちゃんと好きだから、霹靂の漢字を教えるよ」

 最後のほう、真面目な口調で言うと、途端にぷはっと山宮が噴き出した。くくっと体が震えて、ようやく山宮の体が息を吹き返す。体を離すと、笑いが堪えられなかったのか目の端を拭った。

「それなら、ヘキレキ、教えてもらうわ」
「ノートに書こう。山宮が霹靂を覚えるって項目」
「あー……それ、チェックはつけらんねえかも」

 ノートを広げて一字一句違えずに書くと、その下に山宮が練習した。青天の字も間違えていたので指摘する。山宮がきちんと「青天の霹靂」と書いたところで笑い合った。タイプの違う字が二つ並んでいる。自分は明朝体で山宮はゴシック体。見た目は違っても、中身は部活に一生懸命でお互いが好きなところは同じだ。

 明日の帰りまでになにか達成できないかと考えて項目を書き足していく。交互に書いたら筆跡の異なる字が並んだ。それすら嬉しくて、いいねと顔を見合わせる。

 そっと身を乗り出すと、山宮も躊躇いながらもまた目を伏せた。だが、そのくちびるがくっつく寸前、ガチャと部屋のドアノブが回る音がした。お互いぱっと目を見開く。

「ああ、大人数でやるウノ、マジでおもしろかった……って、お前らなにしてんの?」

 思い切りドンッと体を突き飛ばされて畳に転がった朔也がちらっと山宮を見ると、マスクをつけた澄まし顔がノートとプリントを片づけている。朔也は「山宮に漢字を教えたら怒られた」と起き上がった。

「山宮、青天の霹靂、もう書けるよね?」
「一回書いたくらいで覚えられるわけねえだろ!」

 いつもの口調で言い返してきた山宮に「もう」と肩をすくめると、そんなこちらを見て副委員長たちがやれやれと言わんばかりの顔をした。

「朔も山宮も一緒に行けばよかったのに」
「自由時間に勉強するなよ」

 消灯時間前、歯を磨いて部屋に戻ると、自分のバッグの位置がずれているのに気づく。中を確認すると、例のノートがきちんと入っていた。


(後略)
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