どうあがいても恋でした。

タリ イズミ

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1巻【六】

2 男の背中

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「折原君?」

 やわらかい声に顔をあげると、マスクを外した山宮と白衣を着た養護教諭が立っていた。

「指にボールが当たっちゃったのね? ちょっと見ましょうか」

 外出中の札をくるりとひっくり返したあとに続いて保健室に入る。椅子に座った朔也の向かいで養護教諭がなにか話しながら処置をしてくれたが、その言葉は朔也の耳を素通りしてしまった。

「折原。折原!」

 山宮の声に我に返ると、養護教諭が机上にあるグレーの棚から外出届の紙を取り出すところだった。

「書道部なのね。学校の近くの整形外科に行ってくるといいわ。担任の先生は職員室にいらっしゃったから、相談してらっしゃい」

 すぐに「ありがとうございました」と答えたのは山宮だった。なにも言えないまま椅子から立ち上がると、彼が廊下のほうへと背中を押しやる。山宮が頭を下げ、保健室の扉を閉めた。パタンという音に足から力が抜けて、廊下の壁に凭れながらずるずるとしゃがみ込む。

「……やば。山宮、どうしよう」

 いつの間にか手の中にあった外出届がくしゃくしゃに折れている。

「おれ、突き指とか、初めて。これ、どれくらいで治る? おれ、卒業式のパフォーマンスに出られるの?」

 パフォーマンス甲子園に向けて練習に励む部員を見ていたときの、体育館の床の冷たさ。そのときと同じひんやりとした波が心の端からひたひたと押し寄せる。

「出られなかったら、おれ、一年間で一度もパフォーマンスを披露しないことになるんだけど。そんなことになったら、ホント悲惨なんだけど。なんでこの高校に来たのか、なんで体を鍛えてまで書道に取り組んできたのか、全部意味がなくなるじゃん……」

 じわっと目が熱くなった次の瞬間にはぼろぼろと涙が出てきた。

「ああ最悪……おれは、なんのために頑張ってきたんだ……」

 遠くから聞こえるボールの音と生徒たちの声援。職員室からの物音やどこかで授業をしている声まで聞こえてくる。そんな中聞こえるのは情けなく泣く自分の嗚咽だけで、朔也は零れる涙をジャージの袖で拭った。ぼやける視界に目の前に突っ立った山宮のシューズがある。

 と、髪をふわっと撫でる手を感じて、朔也は顔をあげた。ゼッケンをつけっぱなしの山宮が、一転、静かな表情でこちらを見下ろしている。

 朔也の頭から離れた手が、そのまま目の前に差し出される。色白の、女の子のような細い指。それを握ると、頼もしく力強い腕が引っ張って朔也を立たせた。

「折原、まず病院に行け」

 山宮の声は淡々としていたが、こちらを見上げる目は真剣だった。

「まだ不参加と決まったわけじゃねえだろ。想像で泣いても答えなんか出ねえわ」

 きりりとした表情も落ち着いた口調も頼もしく映る。

「すげえ練習してきたのに、目前になって出られねえかもってなったら誰だって怖いわ。俺も、前にあったから」

 彼が今までに見たことのない苦悶の表情を浮かべた。

「毎日練習して、誰にからかわれようと喉を痛めねえようマスクして、予防注射も打ったのに、コンクール前日にバカみてえな高熱が出てさ。声がガラガラになって布団の中で寒さと恐怖に震えてんのに、誰も助けてくんねえんだわ。解熱剤を飲んで会場に行ったけど、自分の番が来ても声は治んなかった。結局棄権したわ。中学最後のコンクールだったのに」

 山宮の声が、傷ついている。悔しさと涙を呑んできた声だ。ずっと一人で耐え忍んできた者の声だ。人に頼れと言ったのは、彼自身が人に頼れずにいたからだ。

 山宮の痛みが自分のことのように伝わってきて、再び涙腺が緩みそうになる。

「自暴自棄になって放送部の強豪校を受験すんのもやめて、姉貴の母校ってだけでここに進学した。でも、顧問の先生がコンクールで俺を見てて、部員が卒業して廃部になったけど君がやるならって、俺一人のために放送部を復活させてくれた。放送室を開放してもらって居場所もできた。そこに、お前が来た」

 山宮の力のこもった声が心にまで響いてくる。

「折原、お前には委員長たち仲間がいるだろ。書道パフォーマンスは皆で作るものなんだろ。だったら病院に行け。行って、症状を聞いて、対処法を教えてもらえ。きっと仲間がフォローしてくれる。その日のその直前まで諦めるなって言ってくれる。それに」

 そこでゆっくりと俯いた黒いつむじが小さな声を出した。
「……俺も、卒業式パフォーマンスに音声で参加するって言ったろ。俺だって、お前がいねえと、やる気、出ねえんだわ……」

 朔也の目が見開いた。その髪から赤くなった耳が覗いている。が、それをよく見ようとした瞬間、溜まっていた涙で視界がほろりと崩れた。

「……そういうことだから。とにかく、先生んとこ行って外出届を出してこい。病院から戻ってきたら書道部に報告しろよ。……俺も放送室にいるから」

 山宮はぶっきらぼうにそう言い切ると、くるりと背を翻した。襟足から顕わになったうなじも、握ったこぶしも、ハーフパンツから伸びるふくらはぎの筋肉もぎゅっと引き締まっている。ゼッケンの後ろ姿はこれまでにない感情を吐露した男の背中だった。ずんずんと早足で体育館へと遠ざかるその背へと手が伸びる。だが、言葉が出てこない。なにを言えばいいのか分からない。

 山宮の姿が消えると朔也は涙を拭い、立ち上がって外出届の紙を丁寧に広げた。

 病院へ行こう。卒業式までどうするかは、顧問の先生や部員の皆と考えればいい。病院から帰ってくれば、山宮になんて伝えればいいのかも分かるはずだ。

 もう一度目蓋をこすると、朔也は職員室へしっかりと歩き出した。
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