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1巻【五】
4 もう、好きになるしかなくね
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肉まんについていた紙が湯気で手に張りつく。ウェットティッシュで手を拭おうとして、指先に墨の跡が残っていることに気づいた。そこへ山宮が切り出す。
「……で? 声を荒らげるなんて、お前、いっぱいいっぱいなんじゃね。さっきみたいに言いたいことぶちまけろよ」
「もういいよ。ひどいことも言ったし」
「謝ったんだからチャラでいいわ。誰にでも本音を隠してたら自滅するだろ。悩みを顔に出さねえでにこにこできんのがお前のいいとこかもしんねえよ。でも今は違くね。……俺でよければ、聞くぞ」
不意に山宮の口調が変わったので、朔也は隣に座る彼を見た。「俺に言えよ」と言う耳が赤い。
「言えばいいだろ、訳分かんねえ単語並べてどこどこが上手くいかねえって。俺に話したって書道が上手くいくわけじゃねえよな。でもトイレに引きこもるよりよくね」
「ちょっと! それ今言う⁉」
最後の台詞に朔也がむっとすると耳を赤くさせたまま彼がくくっと声を漏らした。
「難しい問題を当てられて黒板に達筆な字で答えを書いてるやつがトイレで号泣してたんだぜ。笑えるわ」
「笑うとか最低! おれ、ショック受けてたんだからな!」
「だからよ、ショック受けたなら言えばよくね。……あんとき、人に頼ればいいのにって、俺なら話を聞いてやるのにって、そう思ったわ」
「……どうして?」
朔也が尋ねると山宮がふうと息をついてお茶を飲む。オレンジ色のキャップのペットボトルで指先を温めるように持ち、まっすぐ前を見た。
「お前ってクラスでは当たり障りのないやつだろ。だから意外な一面を見て驚いたんだわ。それでお前のことを目で追うようになったんだけど」
もしかして、それで好きになったとか?
朔也はごくりと唾を呑んで続きを待ったが、一方の山宮ははあっとため息をついた。
「気づいたわけよ。お前が誰にも心を許してねえんだってな。誰にでもテキトーに笑ってるだけだろ。こいつ実は性格悪りいんじゃねって思った」
「誰が性格悪いって⁉」
むっとした朔也に山宮が小さな笑い声を立てる。
「そういうとこな。いい子ちゃんじゃねえ、悔し泣きするくらい書道に真剣な折原をいいなって思った。よく見てりゃ、終礼のあとすぐロッカーから書道道具を出すし、ほぼ毎日部活に行くだろ。発声練習に行くために書道室前を通りかかったら、一心不乱に筋トレしてたもんな。書道室の窓から書いた半紙持ったお前がなにか考え込んでるのが見えたこともあったわ。俺には書道なんて退屈でしかねえのに、そこまで努力すんのかって、すげえ真剣にやってんだなって、俺と同じで見えねえところで頑張ってんだなって……そんなん、もう、好きになるしかなくね……」
最後のほう、小さくなった山宮の呟きに朔也は驚いた。
たった、それだけ。それだけで、人を好きになる? 親切にされたとか、嬉しい言葉をかけてもらったとか、メリットのある行動をされたわけじゃないのに。
――でも、分かる。初めて山宮の下校放送を目の前で聞いたときに肌で感じた感動。それと同じような気持ちを山宮はおれに感じてくれていた。
理解した途端、すとんとなにかが落ちた。空気が澄んで感じられる。土のにおいを感じられる。視界にあるものが鮮やかに色づいた。
真剣にやれば感動を伝えられる。それはパフォーマンスも同じじゃないのか? 上手い字を書くことだけが全てじゃない。気持ちを込めて字を書けば、おれの字でも伝わるんじゃないのか?
朔也の右手に筆を握る感覚が戻ってくる。中指と親指にどれだけ力を入れるか、どう人差し指を添えるか。墨池に入れる墨のにおいに墨汁の粘り気、半紙とは違う模造紙の手触り。そこに立って振るう右腕の構えと足の位置。――ああ、今なら自分の字が書ける気がする。
「そうか……そうだよ、山宮の言う通りだ。真剣な姿勢って伝わるんだ。今ならできる気がする!」
朔也は思わず立ち上がった。地面の落ち葉が冬の風に連れ去られていったが、寒さはちっとも気にならない。
「今から学校戻ってもう一回書きたい! 今ならできそう! あっ、でも今日はひらがなを飛ばしたんだっけ。でもさ、ひらがなって難しいと思うんだよね。小学校の頃ってなんで『そら』とか書くんだろ。『そ』も『ら』も難しくない? おれ、かなが昔から苦手で、高野切とか拷問なんだよね。運筆の感覚がイマイチ掴めないし、連綿が、あ」
朔也は自分が一方的に喋っていることに気づいた。
「ごめん、また自分勝手に訳分かんないこと喋っちゃった」
おれ、あんな初歩的なミスしたくせに、ペラペラ喋って恥ずかしい。
急いでベンチに座り直すと、山宮が鞄を膝に載せ、そこに頬杖をついてにやっとした。
「書道にゾッコン折原君、生還したか? そういう気持ちが戻ってくりゃ、なんとかなるんじゃね。ま、明日から頑張れよ」
それじゃあな。ゴミをビニール袋に入れた山宮がベンチから立ち上がったので、朔也は慌ててその鞄を掴んだ。
「ちょっと待った! なんで帰るの」
「夕方になればもっと寒くなるだろ。お前の悩みも解決したみたいだし」
さも当然のように山宮がそう言ったので、朔也は鞄から取り出したカイロを押しつけた。
「寒いならこれ使って! まだ、肝心の話をしてないだろ」
するとカイロを手にした山宮の顔が歪んだ。
「肝心の話って……俺は言うこと言ったし、お前には謝ってもらったし、もう話すことなくね」
山宮の手の中でカイロがぎゅっと握り潰される。
「それとも、まだ文句あんのかよ」
「文句だなんて一言も言ってないだろ。おれ、山宮が言ってくれたことに対してちゃんと答えてない」
「聞きたくねえわ」
山宮が即座に言い切った。口調から拒絶感がひしひしと伝わってくる。
「それについては、求めてねえ。……いや、本音を話せと言っておいてそれはねえな。ちょっと待て。心の準備三十秒前」
大袈裟でなく山宮が深呼吸する。その口から漏れる白い息を見つめていると、自分の頬を撫でていくきりりと冷えた風を感じた。
なんて言えばいい? 好きだと思ってくれてありがとう? 話を聞いてくれてありがとう? やる気を出させてくれてありがとう? 大切なことに気づかせてくれてありがとう? ……だから、これからも隣にいてほしい?
そこまで考えて朔也は答えにたどり着いた。驚きに息を呑むと、冷たい空気が肺の奥まで入り込んで自分の内側から澄んでいく。山宮に付き合う人ができたらどう思うのかという今井の言葉が蘇った。
「……準備オーケー。ではドーゾ」
「……で? 声を荒らげるなんて、お前、いっぱいいっぱいなんじゃね。さっきみたいに言いたいことぶちまけろよ」
「もういいよ。ひどいことも言ったし」
「謝ったんだからチャラでいいわ。誰にでも本音を隠してたら自滅するだろ。悩みを顔に出さねえでにこにこできんのがお前のいいとこかもしんねえよ。でも今は違くね。……俺でよければ、聞くぞ」
不意に山宮の口調が変わったので、朔也は隣に座る彼を見た。「俺に言えよ」と言う耳が赤い。
「言えばいいだろ、訳分かんねえ単語並べてどこどこが上手くいかねえって。俺に話したって書道が上手くいくわけじゃねえよな。でもトイレに引きこもるよりよくね」
「ちょっと! それ今言う⁉」
最後の台詞に朔也がむっとすると耳を赤くさせたまま彼がくくっと声を漏らした。
「難しい問題を当てられて黒板に達筆な字で答えを書いてるやつがトイレで号泣してたんだぜ。笑えるわ」
「笑うとか最低! おれ、ショック受けてたんだからな!」
「だからよ、ショック受けたなら言えばよくね。……あんとき、人に頼ればいいのにって、俺なら話を聞いてやるのにって、そう思ったわ」
「……どうして?」
朔也が尋ねると山宮がふうと息をついてお茶を飲む。オレンジ色のキャップのペットボトルで指先を温めるように持ち、まっすぐ前を見た。
「お前ってクラスでは当たり障りのないやつだろ。だから意外な一面を見て驚いたんだわ。それでお前のことを目で追うようになったんだけど」
もしかして、それで好きになったとか?
朔也はごくりと唾を呑んで続きを待ったが、一方の山宮ははあっとため息をついた。
「気づいたわけよ。お前が誰にも心を許してねえんだってな。誰にでもテキトーに笑ってるだけだろ。こいつ実は性格悪りいんじゃねって思った」
「誰が性格悪いって⁉」
むっとした朔也に山宮が小さな笑い声を立てる。
「そういうとこな。いい子ちゃんじゃねえ、悔し泣きするくらい書道に真剣な折原をいいなって思った。よく見てりゃ、終礼のあとすぐロッカーから書道道具を出すし、ほぼ毎日部活に行くだろ。発声練習に行くために書道室前を通りかかったら、一心不乱に筋トレしてたもんな。書道室の窓から書いた半紙持ったお前がなにか考え込んでるのが見えたこともあったわ。俺には書道なんて退屈でしかねえのに、そこまで努力すんのかって、すげえ真剣にやってんだなって、俺と同じで見えねえところで頑張ってんだなって……そんなん、もう、好きになるしかなくね……」
最後のほう、小さくなった山宮の呟きに朔也は驚いた。
たった、それだけ。それだけで、人を好きになる? 親切にされたとか、嬉しい言葉をかけてもらったとか、メリットのある行動をされたわけじゃないのに。
――でも、分かる。初めて山宮の下校放送を目の前で聞いたときに肌で感じた感動。それと同じような気持ちを山宮はおれに感じてくれていた。
理解した途端、すとんとなにかが落ちた。空気が澄んで感じられる。土のにおいを感じられる。視界にあるものが鮮やかに色づいた。
真剣にやれば感動を伝えられる。それはパフォーマンスも同じじゃないのか? 上手い字を書くことだけが全てじゃない。気持ちを込めて字を書けば、おれの字でも伝わるんじゃないのか?
朔也の右手に筆を握る感覚が戻ってくる。中指と親指にどれだけ力を入れるか、どう人差し指を添えるか。墨池に入れる墨のにおいに墨汁の粘り気、半紙とは違う模造紙の手触り。そこに立って振るう右腕の構えと足の位置。――ああ、今なら自分の字が書ける気がする。
「そうか……そうだよ、山宮の言う通りだ。真剣な姿勢って伝わるんだ。今ならできる気がする!」
朔也は思わず立ち上がった。地面の落ち葉が冬の風に連れ去られていったが、寒さはちっとも気にならない。
「今から学校戻ってもう一回書きたい! 今ならできそう! あっ、でも今日はひらがなを飛ばしたんだっけ。でもさ、ひらがなって難しいと思うんだよね。小学校の頃ってなんで『そら』とか書くんだろ。『そ』も『ら』も難しくない? おれ、かなが昔から苦手で、高野切とか拷問なんだよね。運筆の感覚がイマイチ掴めないし、連綿が、あ」
朔也は自分が一方的に喋っていることに気づいた。
「ごめん、また自分勝手に訳分かんないこと喋っちゃった」
おれ、あんな初歩的なミスしたくせに、ペラペラ喋って恥ずかしい。
急いでベンチに座り直すと、山宮が鞄を膝に載せ、そこに頬杖をついてにやっとした。
「書道にゾッコン折原君、生還したか? そういう気持ちが戻ってくりゃ、なんとかなるんじゃね。ま、明日から頑張れよ」
それじゃあな。ゴミをビニール袋に入れた山宮がベンチから立ち上がったので、朔也は慌ててその鞄を掴んだ。
「ちょっと待った! なんで帰るの」
「夕方になればもっと寒くなるだろ。お前の悩みも解決したみたいだし」
さも当然のように山宮がそう言ったので、朔也は鞄から取り出したカイロを押しつけた。
「寒いならこれ使って! まだ、肝心の話をしてないだろ」
するとカイロを手にした山宮の顔が歪んだ。
「肝心の話って……俺は言うこと言ったし、お前には謝ってもらったし、もう話すことなくね」
山宮の手の中でカイロがぎゅっと握り潰される。
「それとも、まだ文句あんのかよ」
「文句だなんて一言も言ってないだろ。おれ、山宮が言ってくれたことに対してちゃんと答えてない」
「聞きたくねえわ」
山宮が即座に言い切った。口調から拒絶感がひしひしと伝わってくる。
「それについては、求めてねえ。……いや、本音を話せと言っておいてそれはねえな。ちょっと待て。心の準備三十秒前」
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なんて言えばいい? 好きだと思ってくれてありがとう? 話を聞いてくれてありがとう? やる気を出させてくれてありがとう? 大切なことに気づかせてくれてありがとう? ……だから、これからも隣にいてほしい?
そこまで考えて朔也は答えにたどり着いた。驚きに息を呑むと、冷たい空気が肺の奥まで入り込んで自分の内側から澄んでいく。山宮に付き合う人ができたらどう思うのかという今井の言葉が蘇った。
「……準備オーケー。ではドーゾ」
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