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1巻【四】
5 おれは逃げている
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卒業式パフォーマンスでは、校庭に一人幅一メートル、縦二十メートルほどの細く長い紙を隙間なく敷き詰める。そして全員で横並びになり、卒業生に背を向けて後ろに下がりながら文を書いていく。全てを書き終えると全体が一つの文章になり、卒業生への贈る言葉が完成するという仕組みだ。
パフォーマンス中は音楽と文章を代読する声が流れるのだが、その読み上げを担当しているのも放送部だということだろう。
「そうか、今回は音楽を流すだけじゃないんだ」
「そういうこと。お前ら部員の名前も紹介するぜ」
部活の話になり、山宮が自然な笑顔を浮かべた。
「すげえ緊張するわ。書道部最後の一人が最後の一字を書き終えたときに代読を終えるのが理想。でも、書くスピードなんて日によって変わるだろうし、難しそうじゃね?」
言葉とは裏腹に、山宮の声が楽しそうに弾んでいる。
「折原は原稿のどこ担当?」
山宮が鞄から原稿用紙を取り出したので、朔也は一緒になってそれを覗き込んだ。贈る言葉全体を書道部一、二年生で書く場所を分けることになっている。
「まだ正式には決まってない。おれ、漢字が得意だから、漢字が多い部分になると思うんだけど」
そこで朔也は自分の今の状態を思い出した。
パフォーマンス甲子園では、一枚の紙にいろいろな場所から文字や絵を書き足していくので、全員が同じ文字数を書くわけではない。
ところが、卒業式パフォーマンスでは全員がほぼ同じ長さの文を書くことになる。横並びでスタートするため、書いていく速さも合わせなければならないし、一つの文章に見えるように字の書体や大きさも揃えなければならない。読みやすいようにごく普通の楷書で書くのだが、今の自分の字を考えると暗澹たる思いがした。
と、そこでまた朔也のスマホが振動した。見れば今井から個別に「メッセージ見て!」と連絡が来ている。
「……呼び出しだ。卒業式のパフォーマンスで着る衣装合わせ、今校舎にいるメンバーだけでも先にやらないか、だって」
今学校にいるの誰? 部室に三人。 ごめん、私もう電車内! 朔は? 朔の分の衣装、サイズを測らないと! 朔ちゃーん、いたら書道室に来て!
画面を見た朔也の口からため息とともに声が漏れた。
「おれの名前、すっごく連呼されてる。ああめんどくさい……」
その台詞に山宮が原稿を捲っていた手を止めた。
「……お前、どうした? なんかあったのか?」
訝しげにこちらを見る目は打って変わって真剣だった。
「いつもの折原なら、そんなこと言わなくね。俺が知らねえ書道やら衣装関係の単語を羅列して喋りまくるとこだわ」
思わず言葉に詰まった。鞄にしまいっぱなしの朱色のお守りが思い出される。
「あー……どうしたのかな、今日は書道の気分じゃないんだよね。予選の撮影が終わって気が抜けてるのかな」
「? 予選の撮影って先週の話じゃね。なんで今?」
至極当然の指摘に朔也は口ごもった。
音響担当の山宮は、第二体育館でのその撮影を小窓から見ていたはずだ。本当なら、そこで朔也はパフォーマンスを披露できるはずだった。そんな機会を失っただなんて恥ずかしくてとても言えない。
先ほどまで居心地のよかった空気が、何故か気まずい雰囲気に変わる。こちらが口を開かないことに山宮は困惑したようだったが、目線が朔也の持つスマホに落ちた。
「ま、連呼されてんなら返事すれば。気分じゃねえなら、もう帰るとか言えばよくね」
「いや、どうせまた明日同じことになるだろうし、行ってくるよ」
メッセージに「今行く」と返すと、朔也は鞄を持って立ち上がった。扉の取っ手に手をかけながら「じゃあ」と山宮のほうを振り返る。瞬間「明日にすればいいのに」と引き留めるかもしれないと思う。だが、シャーペンを動かす彼は顔もあげずに「行ってら」と言うだけだった。
放送室を出ると冬の空気が襟元から入り込んで、体がぶるりと震えた。そこを去りがたくて、意味もなく腕を回して肩をほぐす。目の前の校庭で陸上部が練習する様子を眺め、浅春のそこで披露する卒業式パフォーマンスのことを想像した。だが、自分が筆を持つところをイメージできない。
今すぐ「やっぱり行くのはやめるよ」と放送室に戻りたい。そして山宮と一緒に時間を過ごしたい。
こういう気持ち、なんて言うんだろ。
放課後の空は灰色の雲がどんよりとしている。重い足取りで書道室へ行くと、カタログらしきものを見て話し合っている一年生がいた。こちらに気づいた一人が「朔!」と声をあげ、皆が笑顔で朔也を出迎える。
「朔が来てよかった!」
「うん、明日には注文できるね」
笑顔の部員たちの側に、墨池や硯、筆や練習で使い終わった紙が重なっているのを見て、朔也の心に罪悪感が生まれた。――皆一生懸命練習しているのに、おれは逃げている。
「ごめん、自主練来なくて。片づけたい課題があって勉強してた」
朔也の言い訳にも皆笑顔のままだった。
「平気だよ! 自主練なんだし」
「朔は真面目すぎ。息抜きくらいしたほうがいいって」
「朔ちゃん、腕を測るから手伸ばして」
メジャーを当てる今井や代わる代わるかかる声に、自分の今の気持ちを皆が承知しているのだと分かった。いつか朔也がトイレで泣いていたときも、こうやってなにも言わずに見守ってくれていたのだろう。その気遣いがありがたくもあり、後ろめたくもある。
「男子用の袴ってXLまでだっけ」
「朔には足りないんじゃない?」
「でも、少し短いくらいのほうが汚れなくていいかもな」
書道部の仲間と笑顔で話しながら、頭の片隅で今山宮はなにをしているだろう、と思った。
パフォーマンス中は音楽と文章を代読する声が流れるのだが、その読み上げを担当しているのも放送部だということだろう。
「そうか、今回は音楽を流すだけじゃないんだ」
「そういうこと。お前ら部員の名前も紹介するぜ」
部活の話になり、山宮が自然な笑顔を浮かべた。
「すげえ緊張するわ。書道部最後の一人が最後の一字を書き終えたときに代読を終えるのが理想。でも、書くスピードなんて日によって変わるだろうし、難しそうじゃね?」
言葉とは裏腹に、山宮の声が楽しそうに弾んでいる。
「折原は原稿のどこ担当?」
山宮が鞄から原稿用紙を取り出したので、朔也は一緒になってそれを覗き込んだ。贈る言葉全体を書道部一、二年生で書く場所を分けることになっている。
「まだ正式には決まってない。おれ、漢字が得意だから、漢字が多い部分になると思うんだけど」
そこで朔也は自分の今の状態を思い出した。
パフォーマンス甲子園では、一枚の紙にいろいろな場所から文字や絵を書き足していくので、全員が同じ文字数を書くわけではない。
ところが、卒業式パフォーマンスでは全員がほぼ同じ長さの文を書くことになる。横並びでスタートするため、書いていく速さも合わせなければならないし、一つの文章に見えるように字の書体や大きさも揃えなければならない。読みやすいようにごく普通の楷書で書くのだが、今の自分の字を考えると暗澹たる思いがした。
と、そこでまた朔也のスマホが振動した。見れば今井から個別に「メッセージ見て!」と連絡が来ている。
「……呼び出しだ。卒業式のパフォーマンスで着る衣装合わせ、今校舎にいるメンバーだけでも先にやらないか、だって」
今学校にいるの誰? 部室に三人。 ごめん、私もう電車内! 朔は? 朔の分の衣装、サイズを測らないと! 朔ちゃーん、いたら書道室に来て!
画面を見た朔也の口からため息とともに声が漏れた。
「おれの名前、すっごく連呼されてる。ああめんどくさい……」
その台詞に山宮が原稿を捲っていた手を止めた。
「……お前、どうした? なんかあったのか?」
訝しげにこちらを見る目は打って変わって真剣だった。
「いつもの折原なら、そんなこと言わなくね。俺が知らねえ書道やら衣装関係の単語を羅列して喋りまくるとこだわ」
思わず言葉に詰まった。鞄にしまいっぱなしの朱色のお守りが思い出される。
「あー……どうしたのかな、今日は書道の気分じゃないんだよね。予選の撮影が終わって気が抜けてるのかな」
「? 予選の撮影って先週の話じゃね。なんで今?」
至極当然の指摘に朔也は口ごもった。
音響担当の山宮は、第二体育館でのその撮影を小窓から見ていたはずだ。本当なら、そこで朔也はパフォーマンスを披露できるはずだった。そんな機会を失っただなんて恥ずかしくてとても言えない。
先ほどまで居心地のよかった空気が、何故か気まずい雰囲気に変わる。こちらが口を開かないことに山宮は困惑したようだったが、目線が朔也の持つスマホに落ちた。
「ま、連呼されてんなら返事すれば。気分じゃねえなら、もう帰るとか言えばよくね」
「いや、どうせまた明日同じことになるだろうし、行ってくるよ」
メッセージに「今行く」と返すと、朔也は鞄を持って立ち上がった。扉の取っ手に手をかけながら「じゃあ」と山宮のほうを振り返る。瞬間「明日にすればいいのに」と引き留めるかもしれないと思う。だが、シャーペンを動かす彼は顔もあげずに「行ってら」と言うだけだった。
放送室を出ると冬の空気が襟元から入り込んで、体がぶるりと震えた。そこを去りがたくて、意味もなく腕を回して肩をほぐす。目の前の校庭で陸上部が練習する様子を眺め、浅春のそこで披露する卒業式パフォーマンスのことを想像した。だが、自分が筆を持つところをイメージできない。
今すぐ「やっぱり行くのはやめるよ」と放送室に戻りたい。そして山宮と一緒に時間を過ごしたい。
こういう気持ち、なんて言うんだろ。
放課後の空は灰色の雲がどんよりとしている。重い足取りで書道室へ行くと、カタログらしきものを見て話し合っている一年生がいた。こちらに気づいた一人が「朔!」と声をあげ、皆が笑顔で朔也を出迎える。
「朔が来てよかった!」
「うん、明日には注文できるね」
笑顔の部員たちの側に、墨池や硯、筆や練習で使い終わった紙が重なっているのを見て、朔也の心に罪悪感が生まれた。――皆一生懸命練習しているのに、おれは逃げている。
「ごめん、自主練来なくて。片づけたい課題があって勉強してた」
朔也の言い訳にも皆笑顔のままだった。
「平気だよ! 自主練なんだし」
「朔は真面目すぎ。息抜きくらいしたほうがいいって」
「朔ちゃん、腕を測るから手伸ばして」
メジャーを当てる今井や代わる代わるかかる声に、自分の今の気持ちを皆が承知しているのだと分かった。いつか朔也がトイレで泣いていたときも、こうやってなにも言わずに見守ってくれていたのだろう。その気遣いがありがたくもあり、後ろめたくもある。
「男子用の袴ってXLまでだっけ」
「朔には足りないんじゃない?」
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