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1巻【四】
4 動揺
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「……で、こことここをかける。オーケー?」
練習問題を一緒に解きながら説明すると、分かった、と山宮が頷いた。朔也もすぐに計算を始め、応用問題に移った。そこへ暫く黙って手を動かしていた山宮が朔也に話しかけてきた。
「てかよ、そもそも、なんでマイナスとマイナスをかけるとプラス?」
「それ、中一の範囲だよ」
「そういうもんって覚えただけで、実際のところは理解してねえんだわ」
そこでパキッと音がして、山宮のシャーペンの芯が折れた。ペンケースから消しゴムを取り出してノートをごしごしとこする。そのペンケースの中に定規を見つけた朔也はそれを手にした。都合のいいことに目盛りの中央にゼロがある定規だ。
「山宮、これ見て」
山宮がノートから顔をあげると、朔也はその定規を掲げた。自分のシャーペンの先で目盛りを指す。
「この定規、真ん中にゼロがあるだろ。このゼロ地点に自分がいるとする。分かりやすく地図と同じように右のプラス方向を『東』、左のマイナス方向を『西』とする」
「? ああ」
「例えば『山宮君は一分間に西方向へ二センチ歩きます。五分前はどこにいたでしょう』という問題があったとする。西に動く山宮君の速さは、定規で考えると分速 -2センチメートル。で、五分前ってことは -5分。-2×-5=+10。今ゼロ地点にいる山宮君は、五分前には東のプラス十センチの地点にいたってわけ。マイナスとマイナスをかければプラスになるだろ」
すすすっと十の目盛りまでシャーペンを動かして「な?」と言うと、彼は「うわ」と眉尻を下げた。
「悪りい、すげえ分かりやすかったけど、理解できなかったわ」
「どういうこと?」
「折原の解説には納得できたけど、俺には説明できねえ。手品を見せられた気分だわ。お前だけ人生二回目なんじゃね」
「疑問があるならどんどん調べればいいのに」
「世界の疑問の数と俺のフル稼働領域が合ってねえ。多分、俺の脳ミソの一部、小せえ頃に家出したきり戻ってきてねえんだわ」
山宮はときに自虐的なことを口にする。そういうときの彼の顔は決まってどこか諦めや苛立ちを含んでおり、今もきれいな顔に似合わず眉をきゅっと寄せている。
もったいないな、そう思った朔也の人差し指がぐぐっとその眉間を押した。
「ここに力を入れない! 納得できるんだから、家出なんてしてないだろ」
うぜえ、触んな。そう言って自分の手を振り払うはず。そんな朔也の予想とは逆に、山宮がそのままかーっと顔を赤らめた。その反応に、はっと我に返る。
うわ、おれ、なに顔触っちゃってんの!
指をぱっと引っ込めると、山宮が朔也が触れたところを前髪で隠すように手をやった。真っ赤に顔を染めた山宮が眉間をぽりぽりと掻いて、部屋の空気がおかしくなる。
そのとき、朔也の鞄の中でスマホがブブッと振動した。二人同時にびくりとし、朔也はスマホに、山宮は教科書とノートに飛びつく。
「……音、なに」
「書道部一年のグループ連絡だった。サボってるのどこかで見られてるのかな。はは……」
おれの下手くそ! もっと普通に笑え‼
無理矢理口角を引っ張り上げて必死に笑顔を作る。一方の山宮は問題を睨むように教科書を見ており、頬を赤くさせたまま小さな声で返事をした。
「……ま、ほっとけばいいんじゃね。自主練だし」
だから、部活、行かなくてもよくね。より小さくなった声がぼそぼそと続けたので、今度は朔也の顔が赤くなりそうになった。ここにいてくれと言われたようで、内心あわあわとする。
「そ、そう、自主練だもんね。山宮といたっていいよな!」
あ、おれのバカ! 山宮と、じゃなくて、放送室に、だろ‼
とうとう山宮が腕で隠すように頭を抱えたので、朔也も目を逸らしてスマホをいじるふりをした。
なんだ、この空気。すごく恥ずかしい。すごく恥ずかしいのに……何故かここを離れたくない。
矛盾した気持ちに口がへにゃりと笑ってしまいそうで、カーディガンの袖で口を覆って空咳をした。紺色のセーターの腕に隠れた山宮が再び尋ねてくる。
「お前、呼び出しくらってんの?」
「ううん、女子たちがやり取りしてる。卒業式パフォーマンスの衣装についてみたい」
画面の中でぽこん、ぽこんとメッセージが飛び交う。数人がすぐに反応することから、部室で自主練しているメンバーが複数いることが分かる。
そこで、ふうと小さく息を吐いた山宮が腕を下ろした。だが、まだ彼の耳は赤い気もするし、自分の心臓もどきどきと音を立てている。それを振り切るように口を開く。
「おれさ」
「さっき」
思い切り声が被って、再び室内の空気が動揺する。口元を隠し目を逸らした山宮が「ドーゾ」と機械的な声を出した。
「ううん、大丈夫! 山宮から言って」
「たいした話じゃねえわ。お前から言えよ」
朔也はふにゃふにゃになりそうな口元を引き締めた。
なんか、今日は変だ。山宮の様子も、この空気も、おれ自身も。いつもはきちっと納まっている機械たちも妙にそわそわしているように感じる。
「おれのサイズに合った衣装がないから、新しく買うはずって言おうとしただけ。山宮は?」
「卒業式パフォーマンスって、卒業生に贈る言葉を全員で書くんだろ。その原稿、さっき顧問からもらったって話」
卒業式パフォーマンスの話題になったので、朔也は冷静になった。
「贈る言葉の原稿?」
「書道部がパフォーマンスしてる間に俺が代読するから。去年の映像見てねえ?」
山宮の言葉に朔也はそれを思い出した。
練習問題を一緒に解きながら説明すると、分かった、と山宮が頷いた。朔也もすぐに計算を始め、応用問題に移った。そこへ暫く黙って手を動かしていた山宮が朔也に話しかけてきた。
「てかよ、そもそも、なんでマイナスとマイナスをかけるとプラス?」
「それ、中一の範囲だよ」
「そういうもんって覚えただけで、実際のところは理解してねえんだわ」
そこでパキッと音がして、山宮のシャーペンの芯が折れた。ペンケースから消しゴムを取り出してノートをごしごしとこする。そのペンケースの中に定規を見つけた朔也はそれを手にした。都合のいいことに目盛りの中央にゼロがある定規だ。
「山宮、これ見て」
山宮がノートから顔をあげると、朔也はその定規を掲げた。自分のシャーペンの先で目盛りを指す。
「この定規、真ん中にゼロがあるだろ。このゼロ地点に自分がいるとする。分かりやすく地図と同じように右のプラス方向を『東』、左のマイナス方向を『西』とする」
「? ああ」
「例えば『山宮君は一分間に西方向へ二センチ歩きます。五分前はどこにいたでしょう』という問題があったとする。西に動く山宮君の速さは、定規で考えると分速 -2センチメートル。で、五分前ってことは -5分。-2×-5=+10。今ゼロ地点にいる山宮君は、五分前には東のプラス十センチの地点にいたってわけ。マイナスとマイナスをかければプラスになるだろ」
すすすっと十の目盛りまでシャーペンを動かして「な?」と言うと、彼は「うわ」と眉尻を下げた。
「悪りい、すげえ分かりやすかったけど、理解できなかったわ」
「どういうこと?」
「折原の解説には納得できたけど、俺には説明できねえ。手品を見せられた気分だわ。お前だけ人生二回目なんじゃね」
「疑問があるならどんどん調べればいいのに」
「世界の疑問の数と俺のフル稼働領域が合ってねえ。多分、俺の脳ミソの一部、小せえ頃に家出したきり戻ってきてねえんだわ」
山宮はときに自虐的なことを口にする。そういうときの彼の顔は決まってどこか諦めや苛立ちを含んでおり、今もきれいな顔に似合わず眉をきゅっと寄せている。
もったいないな、そう思った朔也の人差し指がぐぐっとその眉間を押した。
「ここに力を入れない! 納得できるんだから、家出なんてしてないだろ」
うぜえ、触んな。そう言って自分の手を振り払うはず。そんな朔也の予想とは逆に、山宮がそのままかーっと顔を赤らめた。その反応に、はっと我に返る。
うわ、おれ、なに顔触っちゃってんの!
指をぱっと引っ込めると、山宮が朔也が触れたところを前髪で隠すように手をやった。真っ赤に顔を染めた山宮が眉間をぽりぽりと掻いて、部屋の空気がおかしくなる。
そのとき、朔也の鞄の中でスマホがブブッと振動した。二人同時にびくりとし、朔也はスマホに、山宮は教科書とノートに飛びつく。
「……音、なに」
「書道部一年のグループ連絡だった。サボってるのどこかで見られてるのかな。はは……」
おれの下手くそ! もっと普通に笑え‼
無理矢理口角を引っ張り上げて必死に笑顔を作る。一方の山宮は問題を睨むように教科書を見ており、頬を赤くさせたまま小さな声で返事をした。
「……ま、ほっとけばいいんじゃね。自主練だし」
だから、部活、行かなくてもよくね。より小さくなった声がぼそぼそと続けたので、今度は朔也の顔が赤くなりそうになった。ここにいてくれと言われたようで、内心あわあわとする。
「そ、そう、自主練だもんね。山宮といたっていいよな!」
あ、おれのバカ! 山宮と、じゃなくて、放送室に、だろ‼
とうとう山宮が腕で隠すように頭を抱えたので、朔也も目を逸らしてスマホをいじるふりをした。
なんだ、この空気。すごく恥ずかしい。すごく恥ずかしいのに……何故かここを離れたくない。
矛盾した気持ちに口がへにゃりと笑ってしまいそうで、カーディガンの袖で口を覆って空咳をした。紺色のセーターの腕に隠れた山宮が再び尋ねてくる。
「お前、呼び出しくらってんの?」
「ううん、女子たちがやり取りしてる。卒業式パフォーマンスの衣装についてみたい」
画面の中でぽこん、ぽこんとメッセージが飛び交う。数人がすぐに反応することから、部室で自主練しているメンバーが複数いることが分かる。
そこで、ふうと小さく息を吐いた山宮が腕を下ろした。だが、まだ彼の耳は赤い気もするし、自分の心臓もどきどきと音を立てている。それを振り切るように口を開く。
「おれさ」
「さっき」
思い切り声が被って、再び室内の空気が動揺する。口元を隠し目を逸らした山宮が「ドーゾ」と機械的な声を出した。
「ううん、大丈夫! 山宮から言って」
「たいした話じゃねえわ。お前から言えよ」
朔也はふにゃふにゃになりそうな口元を引き締めた。
なんか、今日は変だ。山宮の様子も、この空気も、おれ自身も。いつもはきちっと納まっている機械たちも妙にそわそわしているように感じる。
「おれのサイズに合った衣装がないから、新しく買うはずって言おうとしただけ。山宮は?」
「卒業式パフォーマンスって、卒業生に贈る言葉を全員で書くんだろ。その原稿、さっき顧問からもらったって話」
卒業式パフォーマンスの話題になったので、朔也は冷静になった。
「贈る言葉の原稿?」
「書道部がパフォーマンスしてる間に俺が代読するから。去年の映像見てねえ?」
山宮の言葉に朔也はそれを思い出した。
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