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1巻【三】

4 中庭

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「明日は全校模試、授業は明後日からよ。掃除は六班と一班お願いね」

 それじゃあ新年一日目はここまで。

 にっこりと微笑んだ担任の言葉とともに日直の号令がかかる。さようならの合図で頭を下げた朔也はそのまま椅子に座って項垂れた。前の席の今井のふふっと笑う声が降ってくる。朔也は返却された国語の答案用紙をぎゅうっと握りしめた。

「今井に負けた……悔しい……」

 こちらの呻く声に更に今井が楽しそうな声を出した。

「朔ちゃん、気持ちは分かるけど、机と椅子をどかさないと六班が掃除できないよ」

 渋々立ち上がり、教室を出る。狭い国語科準備室で掃除を始めると、自然と朔也の口から大きなため息が漏れた。雑巾の水を汲みに行ったクラスメイトが部屋を出て行き、今井が鼻歌を歌い出しそうな様子でT字型の箒を手にとる。

「あたし、十月考査で国語を甘く見ちゃいけないって学んだんだから」
「性善説と性悪説の記述問題、配点が五点って大きすぎない?」
「どちらの説に賛成するか、自分なりの理由を書けばマルのサービス問題でしょ。どちらの説にも賛成できるって書いたのが駄目なの。朔ちゃんって自分の考えをはっきり表すの苦手だよね」

 冷静に自分の弱点を突かれ、朔也は項垂れて箒を動かした。

 始業式の朝、年末インフルエンザで休んでいた担任が笑顔で現れて、クラスはにわかに活気づいた。だが、国語で初めて九十点を下回った朔也はがっくりと肩を落とすことになった。更に「今回はできた」と答案を見せてきた今井と十点近く差が開いていたため、ダブルパンチをお見舞いされた状態なのだ。

「おれが山宮だったら罰ゲームか。こんなふうに競争してるんだ?」

 これが毎回じゃ悔しいよな。

 山宮が納得のいくまで質問を重ねていたことや「学年末は俺が勝つ」と宣戦布告していたことを思い出した。

「山宮、宿題にもちゃんと取り組んでるのにな。もっと点数があがってもよさそうなのに」

 独り言のように呟くと、今井が驚いたように目を見開いて手を止めた。

「どうしてそんなに山宮君のことを知ってるの?」
「冬休みの宿題を教えてくれって言われたから、電話で説明したんだ。中学の範囲から躓いてる感じはあったけど……。今井、どうしたら山宮の点数伸びると思う?」

 教師それぞれの机は職員室にあり、普段この準備室は使われていない。冬休み中一度も掃除が入っていないのか、ふわふわとした灰色の綿埃が箒にまとわりついた。

 パフォーマンス甲子園ではT字型のデッキブラシを使うこともある。朔也はその動画を思い出しながら字を書くように箒を動かしていたが、今井の手が動いていないことに気づいた。不思議に思って顔をあげると、彼女がなんとも言えない顔でこちらを見ている。

「どうかした?」
「朔ちゃん、山宮君と電話するほど仲良かったんだ? 知らなかった」
「ああ、終業式の日に喋る機会があってさ。山宮って思ってたよりも話しやすいやつだった。おれ、ずっと誤解してたのかも」

 ただ罰ゲームをする側とされる側だったクラスメイト。もし、クリスマスのあの日に話しかけなければ、ただそれだけの関係で終わって進級していたかもしれない。

 こんなふうに友だちができることもあるんだ。そう思うとなんだかおかしくて、朔也は笑って続けた。

「今井は山宮が放送部だって知ってたんだよな? 今度パフォーマンス甲子園予選の映像撮るとき、放送室から山宮が音楽を流してくれるらしいよ。おれ、そういうの全然知らなくて」

 そこへ雑巾とバケツを持ったクラスメイトが中へ入ってきた。

「これで机を拭いたらおしまいだよ」
「お、サンキュー。おれ、ちりとりを持ってくる」

 掃除を済ませて教室に戻り、六班の掃除を見ていた担任に終わった旨を報告する。

 図書館で勉強するという今井と別れ、自主練に行こうと自分のロッカーを開けた。取り出した黒い書道道具入れに、映える朱色の「心願成就」が揺れている。正月の澄んだ空が思い出されて身が引き締まる。通学鞄の底には、紺地に金色の糸で縫われた「健康祈願」の文字がぼんやりと透けた紙袋があった。

 そっと教室を見回すと、六班の山宮は机を運んでいるところだった。冬休み前と変わらず、学ランにマスク姿で黙々と掃除に取り組んでいる。今日はまだ一言も口をきいていない。

 突然、いたずら心がむくむくと芽生えた。

 そうだ、中庭に山宮を呼び出そう。いつも呼び出されてばかりだからお返しだ。今井に負けたおれが罰ゲームのドッキリを仕掛けたら、「折原も負けたのかよ」なんて笑顔が見られるんじゃないか?

 鞄の中でスマホを操作してメッセージを送る。すると机を運ぼうとしていた山宮がぴたりと足を止め、ポケットからスマホを取り出した。それと同時に朔也の画面に既読の印がつく。が、彼はこちらを見ることなくスマホをしまって再び掃除へと戻った。電話のときとは違う、教室での淡々とした様子は冬休み前と変わらない。

 朔也はうきうきとした気持ちで先に教室を出た。
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