どうあがいても恋でした。

タリ イズミ

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1巻【二】

9 下校時刻3

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「あ、まずい、下校時刻!」

 しまった、書道室に道具が出しっぱなしだ。

 我に返った朔也は壁から背を起こした。お喋りに夢中になってすっかり忘れていたが、部活の休憩のつもりでここに来たのだ。

「山宮ごめん! 書道室に帰らないと先輩に」

 慌てて立ち上がろうとしたところへ「ちょっと待て」と山宮が手で制した。突然がらりと変わった鋭い声に言葉を呑む。真剣な眼差しがデッキの数字を見やった。17:29:12。

「折原、いいって言うまで絶対物音を立てるなよ」

 山宮がミキサーの前に立って慣れた手つきでパチパチとスイッチを入れた。

 17:30:00。

 キーンコーンカーンコーン……数字が五時半になったのと同時に放送室内にもチャイムがわんわんと響く。スッとつまみを押し上げて、マイクの前で紺色のセーターの背がすうっと息を吸って膨らむと、聞いたことのある声が流れ出した。

「下校時刻、三十分前です。部活動のない生徒は、下校しましょう」

 朔也の目が丸くなった。

 先ほどまでとは違う、透き通った声が一筋の風のようにマイクへと吸い込まれる。どことなく無遠慮な普段の声色はなりを潜め、オレンジ色の夕焼けを思わせる声が時計の針を進めるように学校全体の時刻を変えた。

「部活動に参加している生徒は、帰り支度を始めましょう。下校時刻、三十分前です……」

 同じ台詞を、同じ口調で繰り返す。生徒の背中をそっと押して送り出すような、優しさと温かみのある声。

 朔也の脳裏に校内の光景がまざまざと思い浮かんだ。

 教室で、廊下で、体育館で、部室で、食堂で、中庭で、それぞれ思い思いに過ごしていた生徒たちがその時間に気づく。笛が鳴って試合が終わり、お喋りをやめた生徒たちが鞄を持ち、パックのジュースを飲み干して、昇降口で靴を履き替える。それぞれが校門へ向かい、寒さに白い息を吐きながら笑顔で「また明日」と家路につくのだ。

 最後まで言い切ったらしい。白い指がつまみをスーッと静かに下げてパチンとスイッチを切り替えた。

「ん、いいぞ」

 普段通りの声に戻った山宮が簡単にそう言ってこちらを見た。が、目の前で山宮が放送するところを見て、朔也の口から「すごい」という言葉が漏れた。

「すごい……この声、山宮だったんだ。毎日のように聞いてたのに気づかなかった……穏やかで落ち着いた声で、下校放送に合ってる……どうやったらそんな声が出せるわけ? すごい、本当に、すごい」

 他に表現が思いつかずすごいしか繰り返せなかったが、瞬間面食らったように真顔になった山宮が照れたように目を逸らした。

「恥っず……別にすごくねえわ……」

 謙遜する山宮に「いやいや!」と思わず身を乗り出す。

「いやいや、すごいって! たまに先生が放送するときもあるけど、ちょっと違うなって思って別の声だって気づくから! 今、山宮の放送で空気が変わったのが肌で分かった!」
「……ま、授業で喋るのと校内放送するんじゃ、先生たちも勝手が違うんじゃね。俺がいないときの先生たちの放送は知らねえけど」

 マスクを掴もうとしたらしい手が顔に触れて、口元を隠すように覆う。少し赤らめた顔には角がとれたような親しみやすさがあった。

「強い口調とか棒読みっぽいときもあるよ。先生たちが悪いってわけじゃなくて、山宮の放送がすごいってことなんだけど! 上手く言えないけど、とにかくすごいって!」
「……折原、お前、狙ってる?」
「え、なにが?」
「いや……こんなん、練習すれば誰にでもできるし……」
「山宮の声を聞いて帰ろうって皆が思うんだからすごいじゃん! さっき山宮が言ったように、校内の皆に伝わるってことだろ!」
「……まあ、マイクに向かって言うんじゃなくて、マイクの向こうの誰かに言うつもりになればそうなるし……」
「それだけじゃないよね? 喋り方、ゆっくりで独特だったし」
「腹式呼吸とか、ポーズとか、テンポとかに気をつければ……」
「? ポーズってなに?」
「間、みたいな……てか、マジでこれ、やめね? 自慢できることじゃねえわ。ただのテクニックだって」

 山宮ががくっと頭を垂れてはああと深い息をつく。だが、そうするとぴょんと赤い耳が覗くので、普段とのギャップが出てしまうのだ。シベリアンハスキーがクールな見た目と違って人懐っこさを見せるのに似ている。

「てか、折原、書道室に戻れよ。やることあんだろ」
「あ、そうだ! 道具しまわないと先輩に叱られる。ごめん、もう行く!」

 朔也が立ち上がると、俯いたまま「ん」と山宮の手があがった。急いで上履きに足を突っ込み、「お邪魔しました!」と重い扉を押し開ける。後ろから「真面目か」と小さな声が聞こえた。

 外に出ると、いつの間にか日が沈んでいた。帰り支度をする生徒の気配と夜のしんしんとした冷たい空気がミスマッチに感じられる。

 だが、朔也の顔には笑みが浮かんだままだった。自分がひどく高揚しているのが分かる。誰かと話すのに夢中になって時間を忘れるなんて久しぶりだ。最近は試験勉強に必死だったし、部活では悩んでいるのだからなおさらだ。

 なんか、すっごく楽しかった。山宮と話すの、面白いじゃん。

 教室での彼は静かで風景に溶け込むようにそこにいる印象が強かった。恒例化した罰ゲームの相手をするのもとっくに慣れてしまっていて、そのこと自体特に思い返すこともなかった。部活のことを聞いたときも、自分とは関係ないと思っていた。

――お前、他人に興味ねえだろ。

 そうか、こうやって人のことを知るのも楽しいのか。誰かを知りたいっていう気持ち、初めて分かった気がする。

 校内から帰宅する生徒の喋り声が聞こえてくる。朔也はぱしゃっと水たまりを蹴って校舎入り口に向かって走り出した。
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