どうあがいても恋でした。

タリ イズミ

文字の大きさ
上 下
14 / 145
1巻【二】

5 人生最大の挫折

しおりを挟む
「……あのさ」

 山宮が話しかけてきたので冊子から彼を見た。

「なんていうか、お前、マジで書道が好きなんだな。ただちょっと好きとかのレベルじゃねえんだな」

 一瞬、言葉に詰まる。が、どうにかにへらっと笑って頭を掻いてみせた。

「あー……発見したと思って……。人の名前で騒ぐとか、ごめん! 気分よくないよね」

 やってしまった。

 朔也の手に汗がにじみ、背筋が薄ら寒くなる。

――折原君って、ホント残念だよね……茶髪が地毛ってホントかな。そんなに書道が好きなら筆で染めちゃえばいいのにね。
――できるアピールうぜえんだよあいつ。図書の時間に辞書見て好きな漢字を探してるとか、ただの変人だろ。
――折原、最近元気がないぞ。なにかあったなら先生に話してくれ。どうしてコンクールに入選したことを皆に言いたくないんだ?

 が、山宮は「いや」と首を振った。

「お前も割と普通なんだなって思った。ただの書道バカ。そういうことだろ」

 だがその声は朔也の耳を通り過ぎてしまう。自分を見る目線、ひそひそと囁き合う仕草、さまざまな光景が脳裏に蘇る。無音の部屋の中、自分の心臓の立てる音が耳元で鳴って息苦しさが募った。

「……ま、まあ、確かに書道は好きかなあ。小さい頃からやってるから、生活に組み込まれちゃってるっていうかさ! 今思ったけど、ローマ字の表札もおしゃれでいいなって! 読み方がいろいろある名字もあるし、需要あるよね!」

 喋りながら必死で次の言葉を探す。鼓動が早まり、息が浅くなる。はあはあと口を開いて息継ぎをしているのに、胸が鷲掴みされたように苦しい。膝の上で握るこぶしが汗で冷えていく。

 早く、早く軌道修正しないと。山宮の名前がきれいだったから、つい言ってしまった。目立つようなことを言っちゃ駄目なんだ。おれは「普通」の高校生でいたいんだ。だから、早く、早く、早く。

 そこではあという大きなため息が聞こえて、朔也はそっとそちらを見た。

「折原、お前、それ本気で言ってんの?」

 思わずぴんと背筋が伸びる。山宮がまた一つため息を重ねて、つけていたマスクをとった。薄いくちびるや目元の泣きぼくろがはっきりとし、端整な顔立ちが顕わになる。喉が渇いたのか、水のペットボトルを鞄から出してごくごくっと飲んだ。学ランのときには隠れていた白い首の喉仏が動く。

 次は一体なにを言われるのか。「ええと」と言い訳しようとすると、ペットボトルを持った手がカーペットの床をとんとんと叩いた。

「てか、お前、さっきからなんで正座? 堅苦しいわ。普通に座れよ」

 独特の部屋に圧倒されて正座していただけだったのだが、慌てて足を崩した。緊張している朔也に「あのさ」と山宮が切り出す。

「折原ってそういうとこが駄目なんだわ。『おれは書道が好きで漢字が大好きです』って堂々と言えばよくね。人の顔色窺って無難に過ごそうとしてんじゃねえよ。誰にでもいい顔してて疲れねえの?」

 その声は特に怒っているふうではなかった。こちらを見る視線も食堂のときとは違い、呆れているという雰囲気だ。

「自分の好きなことまで隠して、バカじゃね。そのチャラい髪くらいチャラくなれよ。人の目を気にしすぎっから全体的に堅いんだわ」

 そういうの、字にも出るんじゃねえの。アーモンド形の目がまっすぐこちらを見つめてそう言ったので、朔也は大きな衝撃を受けた。

「……気持ち悪いと思わなかった?」
「あ? なにが」
「おれ、山宮の名前に対してすごく変なことを言ったんだけど……篆書とか隷書とか意味分かんないだろうし」

 すると彼は「ああ」と簡単に頷いた。髪がさらりと揺れて目に入ったのか、鬱陶しそうに前髪を手で払う。

「正直半分以上理解できなかった。けど、お前が書道とか字が好きってことは分かったぜ。それでいいんじゃね。繕おうとする意味が分かんねえわ」
「いや、だって……山宮からすれば、おれ、すごい変人だろ。そういうやつとは喋りたくないだろ」
「それ、お前だけじゃね」

 山宮はあっさりとそう言った。

「自分の喋りたいこと喋りゃよくね。それに、お前の書道バカぶりを見んの初めてじゃねえし、そんな驚かねえわ」
「えっ? いつの話?」
「夏前くらいだったか? 前回のパフォーマンス甲子園でスタメンになれなかっただろ。それでトイレでガン泣きして、それなのに必死に隠そうとしてただろ」

 不意にそのときのことが思い出され、朔也は自分の顔がかーっと赤くなっていくのが分かった。


 高校生活にも慣れてきたある日の放課後、体育館に書道部全員が集合し、大会で使うサイズの真っ白な紙を前にして予選に通過したことを告げられた。

 予選は実技を披露するのではなく、それを撮影した映像や写真を提出して判定を行う。それらに関しては新一年生入学前に作成したものであったから、朔也も心から喜んだ。先輩たちはすごい、この高校に進学してよかった、これで自分もパフォーマンス甲子園に参加できるのだと。

 だが、本戦に出場する十二名の選手の名前を呼ばれると、夢は一瞬にして砕け散った。補員として今井の名は呼ばれたのに、朔也はそこでも呼ばれなかった。紙を押さえる要員にもなれなかった。部員は二十名ほど。なんの役も与えられないほうが少ないのだ。

 そのまま目の前で始まった初のパフォーマンス練習。朔也はぐっとくちびるを噛みしめ、冷たい体育館の床で正座して自問を繰り返した。

 どうして? おれのなにが悪かった? おれの字になにが足りなかった? 自主練にも必ず参加していたおれのどこがいけなかったんだ?

 誰も答えを教えてくれない疑問だけが頭を渦巻いて、筆を持つ部員たちを食い入るように見つめることしかできなかった。

 書道パフォーマンスはチームワークで行うものだ。試合する横のベンチで応援するスポーツ選手がいるのと同じように、仲間の応援も参加の一つである。だが、これまで字が上手いと褒められ、勉強や運動でも上位にいるのが当たり前だった朔也は、人生最大の挫折を味わうことになった。

 練習は予選通過の興奮のうちに終わった。選ばれなかった部員たちは顧問から一人ひとり励まされ、朔也も労いとともに助言された。これからは上手い字だけでなく味のある字も書けるようになりなさい、と。

 これまで手本に忠実に書くことで褒められてきた朔也は、価値観が足元からひっくり返されて全てがガラガラと崩れていくような気がした。

 あとのことは覚えていない。ショックと混乱でなにから考えればいいのかも分からず、誰とも話せずに一人きりこもってしまったのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

学園の天使は今日も嘘を吐く

まっちゃ
BL
「僕って何で生きてるんだろ、、、?」 家族に幼い頃からずっと暴言を言われ続け自己肯定感が低くなってしまい、生きる希望も持たなくなってしまった水無瀬瑠依(みなせるい)。高校生になり、全寮制の学園に入ると生徒会の会計になったが家族に暴言を言われたのがトラウマになっており素の自分を出すのが怖くなってしまい、嘘を吐くようになる ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿です。文がおかしいところが多々あると思いますが温かい目で見てくれると嬉しいです。

普通の学生だった僕に男しかいない世界は無理です。帰らせて。

かーにゅ
BL
「君は死にました」 「…はい?」 「死にました。テンプレのトラックばーんで死にました」 「…てんぷれ」 「てことで転生させます」 「どこも『てことで』じゃないと思います。…誰ですか」 BLは軽い…と思います。というかあんまりわかんないので年齢制限のどこまで攻めるか…。

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。

婚約破棄された王子は地の果てに眠る

白井由貴
BL
婚約破棄された黒髪黒目の忌み子王子が最期の時を迎えるお話。 そして彼を取り巻く人々の想いのお話。 ■□■ R5.12.17 文字数が5万字を超えそうだったので「短編」から「長編」に変更しました。 ■□■ ※タイトルの通り死にネタです。 ※BLとして書いてますが、CP表現はほぼありません。 ※ムーンライトノベルズ様にも掲載しています。

王道にはしたくないので

八瑠璃
BL
国中殆どの金持ちの子息のみが通う、小中高一貫の超名門マンモス校〈朱鷺学園〉 幼少の頃からそこに通い、能力を高め他を率いてきた生徒会長こと鷹官 仁。前世知識から得た何れ来るとも知れぬ転校生に、平穏な日々と将来を潰されない為に日々努力を怠らず理想の会長となるべく努めてきた仁だったが、少々やり過ぎなせいでいつの間にか大変なことになっていた_____。 これは、やりすぎちまった超絶カリスマ生徒会長とそんな彼の周囲のお話である。

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜のたまにシリアス ・話の流れが遅い

処理中です...