見てはいけない顔

麦野夕陽

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1話完結

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 放課後、校舎の窓から夕焼けの光が射しこむ。学校のなかでこの一棟だけ人気ひとけがなくガランとしている。理由は、生徒の数が減ったことで使われなくなった教室しか存在しないこと。そして、幽霊の噂がささやかれているためだ。

 風花は毎日のようにこの校舎を通る。あらゆる場所へ向かうための近道なのだ。幽霊など鼻から信じちゃいない。

 長い廊下の端と端に階段、そのちょうど間にある二階の渡り廊下。ここから校舎に入るのが日課だ。



 その日は先生に頼まれたプリントの束を細い腕に抱え、職員室へ向かっていた。滑り落ちてきたメガネを肩で押しあげる。渡り廊下を歩いてつきあたり、ふと北へ続く廊下へ目を向けた。
 いつもは誰もいない校舎に、女生徒が立っている。廊下の端に立つその生徒との距離は遠い。人がいるなんて珍しいな、と風花は特に気に留めることなく職員室へ向かう南側の階段へ向かった。



 その日は返し忘れた本を持って、図書室へ向かっていた。遠くからかすかに運動部の声が響く。渡り廊下から出ると、なんの気なしに北側へ目を向けた。

 女生徒が立っていた。紺の制服、膝下丈のスカート。風花はその様子にどこか不可解さを覚えた。何をするでもなくこちらを見つめて微動だにしない。
 少しだけ、距離が近くなっている気がする。

 小さく首をかしげて、いつものように南側の階段へ進んだ。



 その日は理科室に忘れ物をしてしまい、鍵を借りるために職員室へ向かっていた。
 渡り廊下をでると、北側にまたあの女生徒が。
 廊下の端から徐々に距離が近くなっている気がする。
 いったい誰だろう。顔を見ようとしても、見ているはずなのに見えない。頭に直接靄がかかっているような──

 そう考えていると突然、後ろから引っ張られた。カバンを思いきり掴まれたような感覚。転けそうになるのを反射的に堪える。いったい誰だ、文句のひとつでも言ってやろうと顔を上げるが南側には誰もいない。意図的に引っ張られたとしか考えられないのに。

 北側を振り返ると、女生徒は姿を消していた。

 首を傾げながらカバンを肩にかけ直し、南の階段へと歩く。そしておかしなことに気づいた。
 出てきたはずの渡り廊下の出入口にさしかかったのだ。
 カバンを引っ張られるまで、風花は無意識に北側へと進んでいたのだ。



 その日は例の校舎の一階にある物置部屋に用事があり、渡り廊下を歩いていた。明日の授業に使う道具を取ってきてくれないか、と先生に頼まれたのだ。頻繁に通っていた校舎だが、連日の不可解な出来事により、風花の足取りは重い。
 渡り廊下をぬけ、立ち止まる。大きく息をはいてゆっくりと北側を見た。
 あの女生徒が、いる。
 その姿が視界に入るや否や、北に重力を持っていかれる。倒れそうになる風花の腕を誰かが強くつかんで引っ張った。

 不恰好な動きながらも、体勢を立てなおすと、不可解な重力も消えた。心臓が忙しなく音をたてる。
 いまだ掴まれている腕の方を見ると、目の前におさげ髪の少女がいた。夕焼けの光で焦茶に輝く二つ結び。大きくて茶色い丸目は怒りに見開かれているように感じた。同じ制服を着ている少女は、問いただす口調で言い放つ。

「なんで何回も来るの! おかしいってことくらいわかるでしょ!」
「いや……えっと……」

 名前も知らない生徒に鋭く追求されて困惑してしまう。その風花の様子を見た少女の瞳に、一瞬だけ悲しみの色が写る。しかし、すぐにもとの顔に戻った少女は続ける。

「あいつを見ちゃダメ。あいつの顔がわかったら終わりなの。もうこの校舎には来ないで」

 ゆっくりと北側を振り返ると、もうあの女生徒はいなかった。

「わかった? 風花」
「──なんで、私の名前」

 お互いに知らない者同士だと思っていた風花は驚き、彼女へと向き直る。しかし、彼女はもういなかった。掴まれていた腕もいつのまにか離されて。



 あれから風花は、友人や他のクラスの生徒に聞いてまわった。焦茶のおさげ髪に茶色の大きい瞳をもつ少女の存在を。しかしみんな口を揃えて「知らない」と言う。
 委員会の先輩や後輩に聞いても、知る人は誰もいなかった。



 放課後、諦めて帰ろうと下駄箱へ向かう。うつむいて歩いていたら、壁にぶつかってしまった。痛みに頭をおさえながら顔をあげる。そして気がついた。

 例の校舎にいる。
 後ろを振り返ると見慣れた渡り廊下。おかしい、確かに下駄箱に向かっていたはず。

 背筋に寒気がはしる。北側からの強い視線。見てはいけないと頭が警鐘を鳴らしている。しかし誰かに操られるように顔を向けてしまった。女生徒との、距離が、近くなっている。
 

 あの顔──メガネをかけて──

 
「風花!!」
 
 思いきり強く腕をひかれ、よろめきながら南側の階段へ。風花の腕をひいて目の前を走るのはおさげ髪の少女。二人で校舎の端まで全速力で駆けぬける。階段に着いた頃には二人とも息が上がっていた。

 振り返るとあの女生徒はもういない。

「来るなって、言ったでしょ!」
「来るつもりなんてなかった!」

 昨日、初めて会ったばかりとは思えない勢いで話す。人見知りの風花では考えられないことだった。風花は深呼吸して自分の身体を落ち着かせる。

「あの人、メガネをかけてた」
「……そう」

「私のメガネとそっくり──」
「風花!」

 彼女は強い言葉で遮る。それ以上言うなと。鋭い目つきに風花は押し黙った。

「ねえ、名前は?」
「あいつの? 知らないよ、知りたくもない」
「違うよ、あなたの」

 もともと大きい瞳が、ますます大きくなる。そして小さく聞こえた声。

「──知らなくていい」
「なんで? 誰に聞いてもわからないの、あなたのこと」

 疲弊した身体を壁にもたれさせて尋ねる。彼女は目線を下におとしたまま、口の端だけで笑う。

「わかんなくていい。思い出したら手遅れだから」
「…………思い出す?」

 彼女はハッとして口に手をあてる。やってしまった、という顔をして。

「あー……今の無し、忘れて」
「そう簡単に忘れらんないよ」

 風花の言葉に彼女はまた、深い悲しみの色を見せた。


 うながされるままに、一人で階段をおりて下校する。
 校門を出たところで、最終下校時刻の鐘が鳴る。一緒に帰ればよかったと一人になってから気がついた。



「あの校舎の、二階ですか?」
「そう。ダメ?」
「いや……」

 職員室、風花に頼み事をする先生はバタバタと忙しそうだ。

「ごめんねぇ、いつも頼んで」
「いえ、すぐ行ってきます」
「よろしくね」

 渡された鍵を持って職員室をでると大きくため息をつく。今日はあの校舎に近づかないように慎重に遠回りした。しかし結局向かうことになる。

「でも、あの子に会えるかもしれないし」

 おさげ髪の彼女に会うことは嫌ではなかった。強気で、風花より少しだけ背が低い。最近出会ったばかりなのに、話しているとどこか懐かしく感じて、居心地が良かった。


 目的の場所は、渡り廊下出入口のやや北側にある。南側の階段から廊下を見通し、誰もいないことを確認すると急ぎ足で目的の教室へ入る。
 頼まれた物品を探していると、手がわずかに震えていることに気づく。震える手をもう片方の手でおさえながら教室内を見渡すと、先生の言っていた物はすぐに見つかった。


 教室から滑りでて、扉に鍵をかける。あまり使われていない鍵は錆びて手こずってしまう。なんとか鍵のかかる音が聞こえて安心し、油断した。その瞬間。


 すぐ隣から気配がした。あの子なら良かった。あのおさげ髪の女の子。しかし気配がするのは──北側だった。


 足下を見る。今までにないほど冷や汗をかく身体。床に落ちる視線をじわじわとすべらせる。


 女生徒の足が見えた。その距離は驚くほど近い。手を伸ばせば届きそうなほど。
 足下から徐々に視線があがっていく。見たくない、逃げ出したいのに身体は言うことを聞かない。
 風花と同じ色の上履き、そっくりな靴下、鏡写しのような丈のスカート、いつも上手く結べないスカーフ、その顔は──



「風花!!」



 突然、顔に衝撃がかかる。途端に視界がボヤけた。ピントの合わないカメラのような世界。極度に視力が悪い、風花が裸眼で視る世界だった。

「あんたがメガネで良かった」

 早口にそう呟く声が聞こえたと同時に身体が反転する。風花の片手が誰かの肩にのせられた。

「はなさないで」

 歩き出す声の主。全てが輪郭を失った世界で、肩を頼りに歩いた。




「はい、メガネ」

 立ち止まったかと思うと、視界が鮮明になった。思わず目を瞬かせる。

「……大丈夫そうだね。危なかった」

 廊下を見てひとりごとのように呟く少女。



「ありがとう。ひ……」

 少女は弾かれたように顔をあげた。大きな目をさらに大きくさせて。

「緋…………?」

 直後、少女は風花の肩を押す。

「帰って! 早く帰って!」

 階段から早くおりろと焦っているようだった。一段だけおりて見上げると、彼女は瞳にたくさんの涙をかかえていた。

「なんで泣いてるの……ひな……?」

 風花は自分の口からこぼれる声に耳をすます。



「知ってる、ひな、私、緋南を知ってる……だって緋南は私の名前も、私がすごく目が悪いことも知ってる」

 目の前の大きい瞳が涙をこらえている。

「私の、大事な、親友。私、なんで忘れて──」
「思い出しちゃダメなの!!」

 悲痛な叫び。大きな涙の雫が重力でポトリポトリと床にこぼれていく。

「私、あいつの顔を見たの……そしたら皆、私のこと忘れて……最初から私がいなかったみたいに……」

 緋南がうつむく。



「あいつの顔って」

 どんな顔か、聞かずともわかる。鏡写しのような格好、それが答えだ。

「あいつは何なの」
「…………わからない」

 そっか、と短く呟いた。そして緋南の小さな手をとる。

「帰ろう、一緒に」
「私、ここから出られないの」 

 緋南はいつも風花を一人で帰した。階段を降りることは一回もなかった。

「壁があるみたいに、出られない」

 下唇を噛む緋南、ずっと苦しんでいたのだ。

「風花が、私のこと思い出したら、きっと私と同じ目にあう、こっちの世界に閉じ込められちゃうんだって、思って」
 そして緋南は「だから私のこと完全に思い出す前に帰って」と絞り出すように続けた。



「そんなの無理だよ」

 なんで、と唇だけ動かす緋南。

「私、緋南のこと全部思い出したから」

 なんの憂いもなく微笑む風花に、また悲しみを堪える顔をする。



「小学生の頃から二つ結びが好きだったことも、だんだん結ぶ位置が低くなったことも」

 緋南の顔は泣くのを堪えて歪んでいる。風花は優しく言葉を続ける。

「髪も瞳も茶色で、髪型はいつも二つ結び。見た目は優しげで可愛いのに、すっごく強気。私が男子にからかわれると、緋南のほうが怒って反撃するの。あ、小3のときに一回男子泣かせたよね」

 思い出をたどって明るく笑う。今にも泣き崩れそうな緋南の手をつよく握る。

「いつも助けられてきた。今もまた緋南が助けてくれた。だからね、今度は、私の番」



 緋奈の手を強く引く。階段を一段も降りようとしないなら、壁があるのはきっとここ。
 向こうから何かが緋南を引っ張っているような抵抗を感じる。負けない、負けるもんか。


「風花……」

「緋南を返して! 私の親友!」


 反対側の肩もつかんで力を振り絞る。


「いいんだよ……風花」

「嫌!」


 校舎中に響くように叫ぶ。今まで出したことのないような声。絶対に諦めない。
 一人で破れない壁、二人なら。


「自分の顔も持たない奴! 恨むなら私を恨めばいい! 緋南を返して!」


 続けて叫ぶ。


「アンタのこと、アンタのしたこと、絶対“忘れない”からね!」



 その時、突然抵抗が消えて二人は階段に投げだされる。
 踊り場に落ちる直前、とっさに緋南をかばった。大きい音を立てて落下する。



 真上から緋南が呼ぶ声がする。意識が遠のくなか、緋南の向こう、階段の上に女生徒が立っている。顔をハッキリ視認した。顔のない顔で、呆れたように、しかしどこか満足そうに笑っている。腹が立つその顔面をぶん殴ってやりたいと思いながら、意識を手放した。




 気がついたら保健室のベッドだった。

「風花! 風花! 良かったぁ……」

 痛む頭を触ると、たんこぶが出来ている。

「風花さん大丈夫?」

 保健室の先生が顔をのぞきこむ。

「打った場所が頭だから、この後病院行きなさい」
「…………はい」

 身体を起こす。たんこぶが痛む以外、身体に異常はない。視力が悪いかわりに、石頭には恵まれたらしい。

「それにしても、風花さんがケガするなんて珍しいわね。いつもは緋南ちゃんなのに」
 緋南ちゃんは血の気が多いのをなんとかしないとね、と先生は付け加えた。


 二人で顔を見合わせる。同時に声をあげて笑い、息のあったハイタッチをした。保健室には二人の明るい声がこだまする。
 先生は大層驚き「変な子たちね」と笑った。



 人の存在と記憶はそう簡単に消えない、忘れない。無かったことになんてできない。できやしない。



 あの出来事の後、幽霊がでる噂はパタリと止んだ。けれど、その噂の記憶が消えるわけじゃない。「こんな噂あったよね」と言えば、皆で「あったね」と思い出す。



 風花と緋南はあの出来事を忘れない。あの女生徒のことを覚えている。



 人の記憶にこだわり“忘れない”の言葉で満足そうに笑った女生徒の幽霊は、姿を消した今も、誰かの記憶の片隅に生きている。



 了
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