長雨

長雨

 S子は、還暦前の独り身の女である。最近では白髪が目立つようになったので、現代風にパーマをかけて茶髪にしている。

 口紅は、真っ赤なルージュである。それは若い頃から変わらない。S子の唇は、肉厚で溜息をつくと男心を惑わせ既に小学生の時分から言い寄る者が後を絶たなかった。

 S子の祖父は、ハバロフスク出身のロシア人である。であるので、S子はクォーターということになる。S子は、隔世遺伝で色が透き通るように白く、脚が長くて背はスラリと170cm近くある。

 中学から高校に進むと、ラブレターが一週間に5-6通は来たので返信が大変であった。恋文は、大抵下駄箱に忍ばせてあるのだが、ある朝、S子が登校して下駄箱を開けると、中から大量のラブレターが流れ出し、大変に閉口したことがある。

 S子は短大に進むと、その美貌を生かしモデルの仕事を始めた。都内は○本木のモデルエージェンシーに所属したのだ。世はまさにバブル期、ハーフ美人ブームとあって、S子の元には、次々と仕事が舞い込んだ。

 S子は、手にした金でディスコ通いを始めた。S子は、ここでさらに毎晩のように言い寄られるのであるが、S子自身が自らの心理的性癖のあることに気づいた。

 それは、「私は、皆のS子なのであって、到底個人のものにはならない」という周囲の男からしたら理解に苦しむものであった。結局、逢瀬を重ねても周囲から男達は去っていった。

S子は、筆マメである。来た恋文には必ずなんらかの返信を書いたが、一つづつ歳を取る度にラブレターは減っていき、最期の一通だけが残った。

 窓の外に長雨がシトシト降っている。まことにジメジメした鬱陶しさである。S子は、疾風のように過ぎた自らの人生を懐古しながら、ペーパーナイフで手紙の封を切った。

  これが恐らくは何千通と受け取った恋文の最期の一通であろう。差し出し人は、小学校時代の同級生Mからであった。奥さんが病没して、二人の息子も独立したので再婚してくれないかという内容だった。

 S子は、読後に紅を引いた唇から熱い吐息を漏らした。そして、返信した。

「私はもう、あなたが見ていたような春のみずみずしい花ではありません。六月の長雨に打たれているうちに、その容色は衰えてしまいました。それがおわかりになっているのでしょうか」