松戸の林檎

dragon49

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松戸の林檎

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  昭和五年、松戸の平潟は河岸としてこじんまりとした繁栄をし、僅かに30軒余りの娼館が密集して廓を形成していた。
  芸妓の多くは、東北のそれも山形出身の貧しい農家の娘で、三年の年季奉公に僅か200-300円の代金で平潟に身売りされて来たものばかりであった。
  その街の丁度真ん中辺りで、芸妓衆を相手に、髪結いをしながら林檎を売っている店があった。その店を切り盛りしている初老の女主人は「キヨ」といったが、彼女もまた山形出身の東北人であった。
  店は、髪結いが主で、果物の林檎は言わば客引きのサービスで始めたのであるが、林檎が故郷の郷愁の味であると同時に、不慮の妊娠初期に酸味が欲しくなることもキヨは見抜いていた。
 林檎は、一つ10銭と色街なので割高だが、掛売りで月末に芸妓衆が自己申告して払うようにしていた。林檎は、一箱三円足らずで仕入れるのでもっと安くしても良いのだが、計算し易くしたのだ。
 今日は、昼近くになってから新米芸妓のサチが髪を直しにやって来た。まだ15歳になったばかりだが、髪が所々乱れて居るのが昨晩の勤めの激しさを物語って居る。
 サチは半ば憔悴仕切った様子で鏡の前に座ると髪結いのキヨに報告した「おら、昨晩生まれて初めて男の人に抱かれただ」、キヨの手が一瞬止まった。「あー、そうかいそれじゃこれからどんどん稼げるね~。相手はどんな人だった?」
 「栗橋の河岸にある大店の大檀那でね、初物だからって楼の旦那に大金を払ったんだって、んだども~~」、サチが俯いた。「どうしたの?」、「おらのアッコからな、月のもんでもねぇのに血がいっぺぇ出てな~~痛えの何のって、そしたら大檀那が心配ないからって、始めはみ~んなそうだからって」。
 ここで髪結いをして久しいキヨだが、水揚げで花を散らされる話を聴くと胸が張り裂けそうになる。なんとなればキヨ自身が若かりし頃、年季明けの芸妓衆の一人だったからで、その経験が芸妓衆に好かれる所以にもなっていた。
 「さっちゃん、粽を作ったんだけど食べないかい?」、キヨが手渡すとサチはあどけない表情をして微笑んだ、「キヨさんは優しいなぁ~クニのばっちゃみたいだな~~」、「ばっちゃは元気かい?」、「ばっちゃはな~~ばっちゃはな~~」サチが視線を地に落とした。
  キヨはサチの祖母が口減らしのために自ら姥捨山で命を絶ったことを悟り話の腰を折った、「あ~~、あっこに林檎があるだろ、好きなだけ持ってきな、支払いは月末で良いから」、サチは機嫌を直し林檎を二つ取るとそれを愛おしそうに店を出て行った。
  それから暫くが経ち、秋も深まった頃、店に来たサチの下腹部がふっくらとして居ることにキヨは気が付いていた。「さっちゃん、旦那衆のね、貝合わせには付き合ったらいかんよ」、「貝合わせ?」、「そう、貝と貝とが競ってもね、所詮奥さんに芸妓衆が勝つことはない。勝負は初めっから付いてるんだ」。
  サチは愁眉を作ると、「栗橋の大檀那さんはね、私に惚れたんだって、お妾さんだっていい、この子を産んでこの大門を出てやるんだ」。キヨは髪結いをしながら大きな溜息を吐いた「こじれたら牛太郎でも話しを付けるのは難しいよ」。サチは林檎を手にすると逃げるようにして店を出て行った。
 それからサチはキヨの店には顔を見せなくなった。楼主の話では、サチは利根川の下流で水死体で居るところを松戸署の駐在員に発見された。
  サチは妊娠中期に栗橋の大檀那にシラを切られ、中絶費用に困ったサチは師走の利根川に下半身を浸し子宮から大量出血して悶絶死したという。
今月も芸妓衆が自己申告して払った林檎の代金を集計すると僅かだが仕入れの代金を上回った。一歩廓の大門を出ると世知辛いこの苦海にあって何という律儀さであろうか、キヨにはこの古さびた林檎の掛売り帳に東北娘の女の性が記されて居るように思えてならなかった。
(完)
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