上 下
2 / 74
序章・全知の鏡

優しい老夫婦と

しおりを挟む
 私は全知の鏡に宿るフィーロを元の体に戻すために、異世界に旅立つことになった。

「じゃあ、さっそく冒険をはじめよう。俺を持ったまま、あの扉を開けてくれ」

 転生ではなく転移を望む人は、神の宝を1つ手にした状態で宝物庫のドアを開けると異世界に行けるらしい。

 フィーロの指示で扉を開けた瞬間、景色が切り替わり、冷たい風が吹いた。

 開いたはずの扉は消えて、頭上には満天の星。目の前には夜の森が広がった。

 さっきまでは魂の状態だったのだろうか。急に自分の体の重さを意識する。それと同時に

「あれ? なんかいつもと違う」

 見た目や服装は死んだ時と同じ。パジャマと裸足のままだけど

「生まれつき重病だった君には、はじめての感覚だろう。それは元の世界の君の姿をもとに、新たに作られた体だ。体力的にはこの世界の女性の平均だが、ただ健康なだけで君にはずいぶん軽く感じるだろう」

 私の本当の体は元の世界で死んだ。

 死んだ体を転移させても、こっちでだって動けない。

 それに元の世界では、死体が消えたと騒ぎになってしまう。

 だから転移を選ぶと魂だけが移動して、こちらの世界で新しい体を与えられるらしい。

 私のような傷病者には、病や怪我の要素を無くした健康な体が。

 フィーロの言うとおり、あんなに怠くて重かった体が嘘のように軽くて、元気が溢れて来るようだった。

 ずっと煩わしかった吐き気や、あちこちの痛みも無い。

 今の私は健康になっただけで見た目は前世のまま。特殊な能力や魔法を得たわけじゃない。

 だけど苦痛なく動けるだけで私には奇跡だった。

 私は感激のあまり泣きながら

「すごい……すごい! すごい!」

 そこら中、子どものように走ったり跳ねたりすると

「こらこら。嬉しいのは分かるが、君はいま裸足なんだ。あんまりはしゃぎ回ると、石を踏んで痛い思いを……ほら、言わんこっちゃない」

 フィーロの忠告は少し遅かったようで、私は裸足で小石を踏んで悶絶した。

 でも痛みは生きている証拠だ。これからは健康な体で生きられるんだ!

 これだけでもう他に何も要らないくらい幸せだった。

 有頂天になる私の代わりに、フィーロは冷静に話を進めて

「まずはその恰好をなんとかしよう。この世界で若い女性がそんな姿で歩いていたら、色んな意味で危ないからな」

 確かに、いつまでもパジャマに裸足では居られない。

 自分が恥ずかしいのもあるけど、周りから見ても奇異に映るだろう。

「でもお金も無いのに、どうやって服や靴を手に入れたらいいのかな?」
「もう少し歩くと村がある。村人に事情を話して、今夜の宿と服を恵んでもらおう」

 私はフィーロの指示で、足元に注意しながら、小さな村に向かった。

 当たり前だけど、街灯も無い夜の村は真っ暗で、しんと静まり返っている。

「こんな遅くに突然訪ねたら、迷惑じゃないかな?」

 訪問を躊躇う私に、フィーロは「そんな君に朗報だ」と、ある家を指して

「ここに住む老夫婦は、たまに異世界の人間がこの世界に来ることを知っている。全く事情を知らない者に頼むより、君も話しやすいだろう」
「どうして会ったことも無い人のことが分かるの?」

 フィーロは私が病気だったことも、何も話さなくても知っていた。

 今さらながら不思議がる私に

「俺には全知の力があると言っただろう? 全知とは本に書かれている知識だけではない。この世界のどこに何があるか? この家には、どんな人が住んでいるか? 問いを持つことで、俺はその答えを知れる。だから前世の君のことも、この家の住人のことも分かるのさ」
「そうなんだ。話す前に相手のことが分かれば、安心して話せるね」

 フィーロはすごいなぁと感心すると

「この家の住人は善人だから安心して訪ねるといい。ただノックだけだと向こうも警戒するから、君が若い女の子だと分かるように「すみません」と声をかけるんだ」

 私は彼に言われた通りに、老夫婦の家を訪ねた。

 深夜の訪問者を警戒してか、ドアを開けたのはおじいさんだった。

 ご夫婦はパジャマに裸足の私を見て驚いていた。

 事前にフィーロに言われたように、なんとか自分の事情を説明すると

「そうかい。元の世界から、いきなりこの世界に投げ出されたと。だから寝巻に裸足だったのか」
「それは大変だったねぇ」

 本当にいい人たちみたいで、私を心配してくれると

「わしらも裕福ではないから、ずっとここで暮らしなさいとは言えんが、取りあえず今夜はここに泊まるといい。夕飯の残りがあるから、それも出してあげよう」
「あ、ありがとうございます」

 取りあえず今夜の宿を得られてホッとした。

 空いているベッドは無いので、私はソファと毛布を借りて寝床にした。

 私は寝る前に、フィーロにコッソリと

「いろいろ助言してくれて、ありがとう。フィーロが居なかったら、どうしていいか分からなかったよ」
「そもそも君は、俺の問題に巻き込まれているんだがな」

 転移じゃなくて転生を選んでいたら、私はなんらかの種族の赤ちゃんとして生まれる。

 特に人間なら家つき親つきで苦労することは無かったと、フィーロは言いたいみたいだけど

「でも誰かの力になりたいとか、自由にどこまでも歩いてみたいとか、ずっと願っていたのはこの私だから。この私のまま、これから色んなことができるの、すごく嬉しいよ」

 転生しても記憶はそのままらしいけど、違う自分になってしまうのは寂しい。

 だからこのままの私で生き直せて良かったと言うと、フィーロは「そうか」と少し複雑そうに微笑んで

「じゃあ、俺は君の旅が少しでもよいものになるように助言しよう」

 「今日は色々あって疲れただろう。もうおやすみ」と眠るように促した。

 フィーロの見た目は21、2歳くらいの、とても美しい男性だ。

 私は異性に免疫が無いので普通なら緊張してしまいそうだけど、彼は鏡の中で千年の時を生きているからか、まるで神様か何かと話しているようで、不思議と落ち着く。

 フィーロが一緒なら、きっと明日からも大丈夫。そんな安堵と共に目を閉じた。

 翌朝。ご夫婦は私に朝食を振る舞ってくれただけでなく

「村の者に頼んで、お嬢ちゃんが着れそうな服をもらって来たよ」
「靴もサイズが合うといいけど」

 裸足でパジャマの私のために、進んで女ものの服と靴を用意してくれた。

 ご夫婦は私が無一文で、なんのお礼もできないことを知っているのに。

 だからこそ困っているだろうと、こんなによくしてくれる。

 フィーロが言っていた以上に、すごく優しい人たちだ。

 こんなによくしてくれたご夫婦に、ぜひ恩返しがしたい。

「あの、家を出る前に、何か手伝えることはありませんか?」

 見たところご夫婦の家は、掃除が行き届いておらず、少し埃っぽかった。

 フィーロによれば、おじいさんは75歳。おばあさんは73歳と、この世界ではかなりの高齢なので、日々の生活で手一杯なのだろう。

 健康体を手に入れた私は元気がありあまっているので、ご夫婦ができないことを代わりにやってあげられないかと考えた。

 私の申し出に、おじいさんたちは

「そうかい? じゃあ、ちょっと頼んでもいいかねぇ」

 それから私は1日中、掃除や修繕に励んだ。

 でもそれはいっぱい頼まれたのではなく、単に要領が悪かっただけだ。

 前世の私は、ただ歩くだけでも大変なくらいだったので、家の手伝いもできなかった。

 しかもここは異世界。私が居た世界のような文明の利器は無い。

 特にここは田舎なので、火を点けるにも薪から準備しなきゃいけない。

 だからおじいさんやおばあさんに、いちいち教わらなければできなかった。

「かえって迷惑をかけちゃったみたいで、すみません……」

 掃除や修繕が1日がかりになってしまったせいで、なんともう1泊させてもらうことになった。

 すると、ご夫婦は優しいので、寝床を貸すだけじゃなく食事も出すことになる。

 恩を返すどころか、むしろ負担を増やしてしまったと落ち込む私に、ご夫婦はニコニコと

「何か返そうと思ってくれた気持ちが嬉しいよ」
「それに料理に使うふくらし粉を熱湯に混ぜて浸けておくだけで、鍋の焦げ付きがあんなによく落ちるなんて知らなかった。異世界の人の知恵はすごいねぇ」

 おばあさんの言う『ふくらし粉』は、私たちの世界で言うところの重曹だった。

 でも重曹が焦げ付き汚れにいいと教えてくれたのは、私ではなくフィーロだ。

 確かに全知の鏡だと言っていたけど、生活のお役立ち情報まで網羅しているなんて、すごい。

 ネットは自分で検索しなきゃいけないし、誤情報も紛れている。

 だけどフィーロは常に最適解を教えてくれる。

 フィーロは他の神の宝のほうがすごいみたいに言っていたけど、私は彼について来てもらって良かった。

 掃除や修繕で丸1日潰れてしまったので、その日もご夫婦の家に泊めてもらった。

 翌朝。朝食をいただいた後。

「あれからよく考えたんだが、これからしばらく旅をするなら、男の恰好のほうがいいだろう。女の子の1人旅は危ないからね」

 おじいさんは新たに男物の服を用意して

「ミコトちゃんが構わなければ、ここで髪も切ってあげましょう。遠目には男の子に見えるように」

 おばあさんは長かった私の髪を短く整えてくれた。

 そして最後に

「少しだけど、昨日のお手伝いのお礼。路銀にしてね」
「そんな。こんなによくしていただいたのに、お金までもらえません」

 私は咄嗟に断ったけど

「でもミコトちゃんは無一文なんだろう? 食事をするにも宿を取るにも、お金は必要だよ」
「でも私、おじいさんたちに何も返せてないのに……」

 昨日は掃除を手伝ったけど、家が綺麗になる得よりも、教える手間のほうが多かっただろう。

 掃除や修繕の仕方を教えてもらった分、むしろ私のほうが得してしまったかもしれない。

 せっかく異世界に来たのに、また人の優しさに甘えて、与えてもらうだけになってしまっている。

 しかし気に病む私に、ご夫婦は親切に微笑んで

「うちは息子がずっと昔に出て行ったきりで、それからは夫婦2人だけの静かな生活だったから、久しぶりに若い子と話せて楽しかったわ」
「君のおかげで家が綺麗になったし、わしらの心も明るくなった。だからこれは、そのお礼だと思って。遠慮せずに受け取っておくれ」

 路銀をもらえたことよりも、ご夫婦の優しい言葉に、私は堪え切れず泣いてしまった。

 ご夫婦はさらに、私が村の人の荷馬車に乗せてもらえるように頼んでくれた。

 私はおじいさんとおばあさんの手を順番にギュッと握りながら

「いつか絶対に恩返しに来ます」

 グスグスと泣きながら約束すると

「恩返しはともかく、もし近くに寄ることがあれば、顔を見せてくれたら嬉しいわ」
「じゃあ、元気で。危ない目に遭わないように気を付けて行くんだよ」

 荷馬車が動き出した後も、私はご夫婦の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。

 私は荷馬車に揺られながら、コッソリ紫のコンパクトを開くと

「おじいさんたちに会わせてくれて、ありがとう。フィーロが言っていたより、ずっと優しい人たちだったね」

 しかし私の言葉にフィーロは

「あの老夫婦はもともと優しい人たちだ。でも見ず知らずの君にこれだけ親切にしてくれたのは、君があの人たちの親切に、そうやって泣くほど感謝して、何も持たないなりに何か返そうとしたから。だから向こうもただの親切以上の思いやりを返してくれたんだ」

 「現に昨日と今日では対応が違っていただろう?」と彼は続けた。

 確かに、ご夫婦はわざわざ男装の用意をしてくれて、路銀を持たせて荷馬車の手配までしてくれた。

 行為だけでなく、声や眼差しも、昨日より今日のほうが、ずっと温かく感じた。

「君もそうだろうが、ほとんどの人間は優しくされると嬉しくて、自分も親切にしたくなる。だから君はよき旅人であろう。そうすれば武器など無くても、君はこの世界の人たちと、助け合いながら生きていける」

 フィーロの言葉に、私は深く頷いた。

 この村のご夫婦には私が与えてもらうほうが多かった。

 でも私はきっと、これからたくさんの人と出会うだろう。

 フィーロの言うとおり、よき旅人になろう。

 これから出会う人たちと温かな交流ができるように。

 そんな明るい希望を胸に、私とフィーロは次の場所へ向かった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

役立たずの私はいなくなります。どうぞお幸せに

Na20
恋愛
夫にも息子にも義母にも役立たずと言われる私。 それなら私はいなくなってもいいですよね? どうぞみなさんお幸せに。

だって私、悪役令嬢なんですもの(笑)

みなせ
ファンタジー
転生先は、ゲーム由来の異世界。 ヒロインの意地悪な姉役だったわ。 でも、私、お約束のチートを手に入れましたの。 ヒロインの邪魔をせず、 とっとと舞台から退場……の筈だったのに…… なかなか家から離れられないし、 せっかくのチートを使いたいのに、 使う暇も無い。 これどうしたらいいのかしら?

前世を思い出しました。恥ずかしすぎて、死んでしまいそうです。

棚から現ナマ
恋愛
前世を思い出したフィオナは、今までの自分の所業に、恥ずかしすぎて身もだえてしまう。自分は痛い女だったのだ。いままでの黒歴史から目を背けたい。黒歴史を思い出したくない。黒歴史関係の人々と接触したくない。 これからは、まっとうに地味に生きていきたいの。 それなのに、王子様や公爵令嬢、王子の側近と今まで迷惑をかけてきた人たちが向こうからやって来る。何でぇ?ほっといて下さい。お願いします。恥ずかしすぎて、死んでしまいそうです。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

【完結】緑の手を持つ花屋の私と、茶色の手を持つ騎士団長

五城楼スケ(デコスケ)
ファンタジー
〜花が良く育つので「緑の手」だと思っていたら「癒しの手」だったようです〜 王都の隅っこで両親から受け継いだ花屋「ブルーメ」を経営するアンネリーエ。 彼女のお店で売っている花は、色鮮やかで花持ちが良いと評判だ。 自分で花を育て、売っているアンネリーエの店に、ある日イケメンの騎士が現れる。 アンネリーエの作る花束を気に入ったイケメン騎士は、一週間に一度花束を買いに来るようになって──? どうやらアンネリーエが育てている花は、普通の花と違うらしい。 イケメン騎士が買っていく花束を切っ掛けに、アンネリーエの隠されていた力が明かされる、異世界お仕事ファンタジーです。 *HOTランキング1位、エールに感想有難うございました!とても励みになっています! ※花の名前にルビで解説入れてみました。読みやすくなっていたら良いのですが。(;´Д`)  話の最後にも花の名前の解説を入れてますが、間違ってる可能性大です。  雰囲気を味わってもらえたら嬉しいです。 ※完結しました。全41話。  お読みいただいた皆様に感謝です!(人´∀`).☆.。.:*・゚

【完結】神様に嫌われた神官でしたが、高位神に愛されました

土広真丘
ファンタジー
神と交信する力を持つ者が生まれる国、ミレニアム帝国。 神官としての力が弱いアマーリエは、両親から疎まれていた。 追い討ちをかけるように神にも拒絶され、両親は妹のみを溺愛し、妹の婚約者には無能と罵倒される日々。 居場所も立場もない中、アマーリエが出会ったのは、紅蓮の炎を操る青年だった。 小説家になろう、カクヨムでも公開していますが、一部内容が異なります。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

とある元令嬢の選択

こうじ
ファンタジー
アメリアは1年前まで公爵令嬢であり王太子の婚約者だった。しかし、ある日を境に一変した。今の彼女は小さな村で暮らすただの平民だ。そして、それは彼女が自ら下した選択であり結果だった。彼女は言う『今が1番幸せ』だ、と。何故貴族としての幸せよりも平民としての暮らしを決断したのか。そこには彼女しかわからない悩みがあった……。

処理中です...