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回想編(ササグ視点)
地獄のような世界で1人
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俺の母は夜鷹だった。粗末なあばら家で、僅かな金と引き替えに男に抱かれていた。
嘘か本当か母は公家の出らしい。俺の知る落ちぶれた姿からは到底信じられないが、確かに手足がスラリと長く、色白で品のよい顔立ちではあった。
しかし名家の娘でも家が没落して食うに困れば、商売女として店に売られる。幸い母は美形だったので、金持ちの老人に身請けされた。
けれど穏やかで何不自由ない生活は、簡単に苦難の時を忘れさせるようだ。まだ若かった母は老いた夫に満足できず、若くて見目のいい男と浮気した。
その不倫相手が、どうやら俺の父らしい。やがて不倫は夫にバレて、2人とも家を追い出された。
でも男はもともと母を本気で愛してはいなかったようだ。男は腹に子が居ることを知りながら母を捨てた。
男に捨てられた時には、すでに中絶は不可能だった。母は店に借金して俺を産み、遊女の仕事を再開した。
その頃の母は
「産んでしまった責任として乳飲み子の間は育ててあげるけど、1人で食べられるようになったら自分で生きて行くのよ。私はまた他の人と結婚するんだから。新しい家に他の男の子どもなんて、連れて行けないからね」
夫に離縁されて不倫相手に捨てられても、まだ次があると考えていた。
しかしその場限りの女として求める男は居たが、妻にと望む相手は二度と現れなかった。
母は男だけでなく遊郭からさえ「もう女の盛りを過ぎたから」と追い出され、路上で春を売る夜鷹になった。
遊郭に居た時よりもいっそう不潔な男たちの相手をしながら、母はそれでも
「辛くても生きていれば、いつか本当に私を愛してくれる人と出会えるかもしれない」
半ば自分に言い聞かせるように、虚しい夢想を語っていた。
けれど「いつか」が訪れることはなく、母は僅かな花代を払い渋る客と口論になった末に絞め殺された。
小屋の外から母が絞殺されるところを見た俺は、男に捕まらないように咄嗟に逃げた。
虫けらのように殺された母が気の毒ではあったが、不思議と悲しくは無かった。
もともと母は結婚が決まれば俺を捨てるつもりだった。しかし相手が見つからなかったので、寂しさを埋める道具として俺を手元に置いた。
「あなたが居るから生きられる」
と抱き締められることもあれば
「お前が居なければ楽なのに」
と首を絞められることもあった。
親子というよりは、気まぐれな愛情も憎悪も無抵抗に受け入れる人形と持ち主のような関係だった。
それでも母は僅かな糧を分け与え、生かしてくれた人だから恨みは無い。その代わり殺されても、怒ったり悲しんだりするほどの愛着も無かった。
ただ母が虫けらのように殺されるのを見て、無力で孤立した人間にとって、この世は地獄なのだと知った。そんな世界に1人で投げ出されたことが酷く心細かった。
母を亡くした後。ひと月くらいはゴミを漁ったり、畑や露店から食料を盗んだりして食い繋いだ。
でも俺は痩せっぽちの子どもで、非力な体では大した成果は得られなかった。とうとう飢えて動けなくなり、死にかけていたところを村長に拾われた。
村長は俺を6歳だと言うことにしたけど、本当の年齢は分からない。とにかく俺は、これから12年後に死ぬためのものとして、あの村にもらわれた。
村長は約束どおり、俺に最低限の衣食住を与えて
「お前の仕事は生贄になることだから、その日が来るまでは何もしなくていい」
と他には何も求めなかった。
それは村長の優しさでもあり、人として扱うことで力や知恵など、ここから出て行く力を付けさせないための措置でもあった。
いずれ大蛇に食われるより、同じ人間に死んでも構わない『もの』として扱われるのが怖かった。
僅かな花代のために殺された母と同じ。誰も惜しまない、ちっぽけな命。
自分だけは違うと否定したかった。叶うなら逃げたかった。
だけど、ここから逃げたところで、俺はやはり飢えと寒さで死ぬ。
嫌なのに逃げられなくて、ずっと見えない縄で首を絞められているみたいだった。
空は青く澄み渡り、眩しい日差しが降り注いでいる。それなのに俺の世界だけ、いつも奈落みたいに真っ暗だった。
恐怖から逃れるには、なるべく頭を空っぽにして何も考えないことだ。
自ら思考を放棄して、大蛇に捧げられるための『もの』になり切っていた俺に
「君が父さんにもらわれて来た子?」
誰もが腫れもののように扱う俺に、唯一声をかけて来たのがウラメ様だった。
ウラメ様は村長の娘で、村人にしては質のよい着物を着せられていた。裕福な家の子のはずなのに俺より痩せっぽちで、昼夜逆転の生活のせいで肌は病的に白かった。
はじめて見た時は、まるで死体が動いているみたいで怖かったけど
「生贄になるなんて嫌だよね? 本当は生きたいよね?」
なんで、そんなことを聞くんだろう? 嫌だと言っても逃げられないのに。
残酷な問いだと思ったが、ウラメ様は
「人が決めた絶対なんて信じちゃダメだよ。人が決めたことなんて、状況次第でいくらでも覆るんだから。君が努力して素晴らしい人になれば、誰も君を殺せなくなるよ」
だから生きることを諦めなくていいと、この村で唯一、俺に生きろと言ってくれた。
嘘か本当か母は公家の出らしい。俺の知る落ちぶれた姿からは到底信じられないが、確かに手足がスラリと長く、色白で品のよい顔立ちではあった。
しかし名家の娘でも家が没落して食うに困れば、商売女として店に売られる。幸い母は美形だったので、金持ちの老人に身請けされた。
けれど穏やかで何不自由ない生活は、簡単に苦難の時を忘れさせるようだ。まだ若かった母は老いた夫に満足できず、若くて見目のいい男と浮気した。
その不倫相手が、どうやら俺の父らしい。やがて不倫は夫にバレて、2人とも家を追い出された。
でも男はもともと母を本気で愛してはいなかったようだ。男は腹に子が居ることを知りながら母を捨てた。
男に捨てられた時には、すでに中絶は不可能だった。母は店に借金して俺を産み、遊女の仕事を再開した。
その頃の母は
「産んでしまった責任として乳飲み子の間は育ててあげるけど、1人で食べられるようになったら自分で生きて行くのよ。私はまた他の人と結婚するんだから。新しい家に他の男の子どもなんて、連れて行けないからね」
夫に離縁されて不倫相手に捨てられても、まだ次があると考えていた。
しかしその場限りの女として求める男は居たが、妻にと望む相手は二度と現れなかった。
母は男だけでなく遊郭からさえ「もう女の盛りを過ぎたから」と追い出され、路上で春を売る夜鷹になった。
遊郭に居た時よりもいっそう不潔な男たちの相手をしながら、母はそれでも
「辛くても生きていれば、いつか本当に私を愛してくれる人と出会えるかもしれない」
半ば自分に言い聞かせるように、虚しい夢想を語っていた。
けれど「いつか」が訪れることはなく、母は僅かな花代を払い渋る客と口論になった末に絞め殺された。
小屋の外から母が絞殺されるところを見た俺は、男に捕まらないように咄嗟に逃げた。
虫けらのように殺された母が気の毒ではあったが、不思議と悲しくは無かった。
もともと母は結婚が決まれば俺を捨てるつもりだった。しかし相手が見つからなかったので、寂しさを埋める道具として俺を手元に置いた。
「あなたが居るから生きられる」
と抱き締められることもあれば
「お前が居なければ楽なのに」
と首を絞められることもあった。
親子というよりは、気まぐれな愛情も憎悪も無抵抗に受け入れる人形と持ち主のような関係だった。
それでも母は僅かな糧を分け与え、生かしてくれた人だから恨みは無い。その代わり殺されても、怒ったり悲しんだりするほどの愛着も無かった。
ただ母が虫けらのように殺されるのを見て、無力で孤立した人間にとって、この世は地獄なのだと知った。そんな世界に1人で投げ出されたことが酷く心細かった。
母を亡くした後。ひと月くらいはゴミを漁ったり、畑や露店から食料を盗んだりして食い繋いだ。
でも俺は痩せっぽちの子どもで、非力な体では大した成果は得られなかった。とうとう飢えて動けなくなり、死にかけていたところを村長に拾われた。
村長は俺を6歳だと言うことにしたけど、本当の年齢は分からない。とにかく俺は、これから12年後に死ぬためのものとして、あの村にもらわれた。
村長は約束どおり、俺に最低限の衣食住を与えて
「お前の仕事は生贄になることだから、その日が来るまでは何もしなくていい」
と他には何も求めなかった。
それは村長の優しさでもあり、人として扱うことで力や知恵など、ここから出て行く力を付けさせないための措置でもあった。
いずれ大蛇に食われるより、同じ人間に死んでも構わない『もの』として扱われるのが怖かった。
僅かな花代のために殺された母と同じ。誰も惜しまない、ちっぽけな命。
自分だけは違うと否定したかった。叶うなら逃げたかった。
だけど、ここから逃げたところで、俺はやはり飢えと寒さで死ぬ。
嫌なのに逃げられなくて、ずっと見えない縄で首を絞められているみたいだった。
空は青く澄み渡り、眩しい日差しが降り注いでいる。それなのに俺の世界だけ、いつも奈落みたいに真っ暗だった。
恐怖から逃れるには、なるべく頭を空っぽにして何も考えないことだ。
自ら思考を放棄して、大蛇に捧げられるための『もの』になり切っていた俺に
「君が父さんにもらわれて来た子?」
誰もが腫れもののように扱う俺に、唯一声をかけて来たのがウラメ様だった。
ウラメ様は村長の娘で、村人にしては質のよい着物を着せられていた。裕福な家の子のはずなのに俺より痩せっぽちで、昼夜逆転の生活のせいで肌は病的に白かった。
はじめて見た時は、まるで死体が動いているみたいで怖かったけど
「生贄になるなんて嫌だよね? 本当は生きたいよね?」
なんで、そんなことを聞くんだろう? 嫌だと言っても逃げられないのに。
残酷な問いだと思ったが、ウラメ様は
「人が決めた絶対なんて信じちゃダメだよ。人が決めたことなんて、状況次第でいくらでも覆るんだから。君が努力して素晴らしい人になれば、誰も君を殺せなくなるよ」
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