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別れの時
苦しみの記憶
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ブライアンは、母からは捨てられる惨めさと貧しさの危険性を。父からは無条件に愛せない孤独と、金に取りつかれる虚しさを教わった。どちらも最高の人生とは呼べないが、前者の道は生命を危うくする。ブライアンはそれを母の末路から学んだ。
カザネには母が離婚して出て行ったことまでしか話していない。しかしブライアンの母は、離婚から2年も経たないうちに命に関わる難病を患った。セックスで結ばれた新しい恋人は、病んだ母を支えきれずに捨てた。病気の母は自分では手術にかかる大金を工面できず、父のところに戻って来た。「このままでは死んでしまう。お願いだから助けて」と。
しかし助けを求める母に、ブライアンの父は
「この恥知らずめ! 自分が私に何をしたのか忘れたのか!? お前は私とブライアンを裏切って捨てたんだ! 困った時だけ都合よくあてにできると思うな!」
父は不貞の妻を許さず、激しく罵って追い返した。しかし自分の命がかかっている以上、母だって簡単には諦めない。
今度はブライアンの学校に押しかけて、最寄りの公園へ連れ出すと
「お願い。あなたからもお父さんを説得して。私では無理でも子どもの言うことなら聞くかもしれないから」
心の優しい人なら自分を捨てた母親でも、放っておけば死ぬのだと思えば助けてやるのかもしれない。しかし残念ながらブライアンは、父と全く同じ感想を抱いた。なんで邪魔だと捨てた息子に、当然のように助けを乞えるのかと。
父のように感情的に怒鳴り散らすことはしなかったが
「悪いけど、俺は父さんとぶつかってまでアンタを助けたいと思えない」
息子の言葉に、母はわなわなと震えながら
「実の母親が死ぬかもしれないのに、よくそんな冷たいことが言えるわね? 本当にあの冷酷で傲慢な男にソックリ。だから愛せなかったのよ! アンタが悪いのよ!」
昼下がりの公園で、ヒステリックに我が子を罵倒した。そんな母親も病気は嘘ではなかったようで、それから半年ほどで本当に死んだ。父にとっては離婚した妻でも、ブライアンにとっては産みの母親だ。葬式には出なかったが、一度だけ父と墓参りに行った。
父は母の墓前で
「いいか、ブライアン。あの女のように見てくれだけの人間にはなるな。他人に期待するのもやめろ。頼りになるのは自分と金だけだ。お前の母親のように他人に依存した結果、惨めに死にたくなかったら、お前は努力して成功しろ。私のようになれ」
ブライアンは父のようになりたいとは思わなかった。しかし母のようには、もっとなりたくなかった。だから母のように反発して、父の庇護を失うことを恐れた。母がブライアンを捨てたように、ブライアンが母を見殺しにしたように、親子の絆なんてあてにならないと分かったから。
母のように惨めな死を迎えないために、ブライアンは父に気に入られようと努力した。弁護士としての父の姿勢に疑問を抱き、父のようになりたくないとどれほど心が叫んでも、父を裏切り孤独に死んだ母の最期が頭をよぎり、抗おうとする気力を奪う。
学校ではキングと呼ばれ、教師には将来有望な青年と評されても、実際の自分はこんなものだとブライアンは自己嫌悪していた。だから出会った頃のカザネに
『だから君は自分より弱そうなヤツを選んでケンカを売るわけだ。でもそう言うのは日本じゃ利口じゃなくて卑怯って言うんだよ』
自分が嫌いな自分を思いきり否定されたのが気持ち良かったのかもしれない。確かに自分は他人には強く出られても、実の父親には何も言えない臆病者だから。
カザネと過ごすうちにずいぶん変われた気がしたが、けっきょく根本は変わらなかった。父親の庇護を失うのを恐れて、親の敷いたレールから離れられず、はじめて本気で好きになった女を見送るしかできない意気地なし。
しかし何もかも捨ててカザネを選べないということは、けっきょくその程度の想いなのだとブライアンは考えることにした。この先カザネより好きになれる女はいないと思っても、自分が安心して暮らせるほうが大事。ずっと父の後を継ぐんだと思って生きて来た。その確実なレールから外れて、いつまで続くか分からない愛を頼りに、不確定の未来を自力で切り開くなんてできない。
子どもの頃から甘えの許されない環境で育ったブライアンは、理性で感情を殺して諦めることが得意だ。いちばん愛されたかった人たちに愛されなかったこと。これからも分かり合えないだろうことも飲み込めたのだから、割り切れないことなど、もう何も無いはずだった。
それなのにカザネへの未練はなかなか断ち切れず、ブライアンは久しぶりの葛藤に身を焼かれた。
カザネには母が離婚して出て行ったことまでしか話していない。しかしブライアンの母は、離婚から2年も経たないうちに命に関わる難病を患った。セックスで結ばれた新しい恋人は、病んだ母を支えきれずに捨てた。病気の母は自分では手術にかかる大金を工面できず、父のところに戻って来た。「このままでは死んでしまう。お願いだから助けて」と。
しかし助けを求める母に、ブライアンの父は
「この恥知らずめ! 自分が私に何をしたのか忘れたのか!? お前は私とブライアンを裏切って捨てたんだ! 困った時だけ都合よくあてにできると思うな!」
父は不貞の妻を許さず、激しく罵って追い返した。しかし自分の命がかかっている以上、母だって簡単には諦めない。
今度はブライアンの学校に押しかけて、最寄りの公園へ連れ出すと
「お願い。あなたからもお父さんを説得して。私では無理でも子どもの言うことなら聞くかもしれないから」
心の優しい人なら自分を捨てた母親でも、放っておけば死ぬのだと思えば助けてやるのかもしれない。しかし残念ながらブライアンは、父と全く同じ感想を抱いた。なんで邪魔だと捨てた息子に、当然のように助けを乞えるのかと。
父のように感情的に怒鳴り散らすことはしなかったが
「悪いけど、俺は父さんとぶつかってまでアンタを助けたいと思えない」
息子の言葉に、母はわなわなと震えながら
「実の母親が死ぬかもしれないのに、よくそんな冷たいことが言えるわね? 本当にあの冷酷で傲慢な男にソックリ。だから愛せなかったのよ! アンタが悪いのよ!」
昼下がりの公園で、ヒステリックに我が子を罵倒した。そんな母親も病気は嘘ではなかったようで、それから半年ほどで本当に死んだ。父にとっては離婚した妻でも、ブライアンにとっては産みの母親だ。葬式には出なかったが、一度だけ父と墓参りに行った。
父は母の墓前で
「いいか、ブライアン。あの女のように見てくれだけの人間にはなるな。他人に期待するのもやめろ。頼りになるのは自分と金だけだ。お前の母親のように他人に依存した結果、惨めに死にたくなかったら、お前は努力して成功しろ。私のようになれ」
ブライアンは父のようになりたいとは思わなかった。しかし母のようには、もっとなりたくなかった。だから母のように反発して、父の庇護を失うことを恐れた。母がブライアンを捨てたように、ブライアンが母を見殺しにしたように、親子の絆なんてあてにならないと分かったから。
母のように惨めな死を迎えないために、ブライアンは父に気に入られようと努力した。弁護士としての父の姿勢に疑問を抱き、父のようになりたくないとどれほど心が叫んでも、父を裏切り孤独に死んだ母の最期が頭をよぎり、抗おうとする気力を奪う。
学校ではキングと呼ばれ、教師には将来有望な青年と評されても、実際の自分はこんなものだとブライアンは自己嫌悪していた。だから出会った頃のカザネに
『だから君は自分より弱そうなヤツを選んでケンカを売るわけだ。でもそう言うのは日本じゃ利口じゃなくて卑怯って言うんだよ』
自分が嫌いな自分を思いきり否定されたのが気持ち良かったのかもしれない。確かに自分は他人には強く出られても、実の父親には何も言えない臆病者だから。
カザネと過ごすうちにずいぶん変われた気がしたが、けっきょく根本は変わらなかった。父親の庇護を失うのを恐れて、親の敷いたレールから離れられず、はじめて本気で好きになった女を見送るしかできない意気地なし。
しかし何もかも捨ててカザネを選べないということは、けっきょくその程度の想いなのだとブライアンは考えることにした。この先カザネより好きになれる女はいないと思っても、自分が安心して暮らせるほうが大事。ずっと父の後を継ぐんだと思って生きて来た。その確実なレールから外れて、いつまで続くか分からない愛を頼りに、不確定の未来を自力で切り開くなんてできない。
子どもの頃から甘えの許されない環境で育ったブライアンは、理性で感情を殺して諦めることが得意だ。いちばん愛されたかった人たちに愛されなかったこと。これからも分かり合えないだろうことも飲み込めたのだから、割り切れないことなど、もう何も無いはずだった。
それなのにカザネへの未練はなかなか断ち切れず、ブライアンは久しぶりの葛藤に身を焼かれた。
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