背きの秘事

千木

文字の大きさ
上 下
8 / 12

8話

しおりを挟む
 薄暗い、懺悔室に二人の姿。何故か部屋を隔てる仕切りが無く、そうであっても狭い空間で向かい合っている。自分は膝を折り、相手は自分を見下して。動くことを許されない自分は、恐怖と絶望感に苛まれていた。
 後ろ手に拘束された手にも、背筋にも、じっとりと嫌な汗が伝う。口には銃口が奥まで入り込んでいて、呼吸を遮る。
 苦しい。
 何も言わずに、ただ侮蔑を浮かべる金色の瞳。
 何も言えない。何も出来ない。歯が硬いものに当たる。目線を逸らすことも、咽せることすらも許されない。

「ーー」

 何かを言われた。しかしどうしてか聞こえない。安全装置が外されて、そして、そして。


**


「ーー!!」

 破裂音とともに飛び起きた。咄嗟に自分の顔や顎を確認する。
 ……何ともない。

「……夢……」

 速い心拍を落ち着かせる。やたらとリアルな夢だった。銃を突きつけられた口内に違和感が残っている。もちろんそれは気の所為で、現実には起こってはいない。此処は懺悔室ではないし、そもそも寝込みを襲われたところで何かしらの対応は出来る筈だ。
 それより、セイにとって問題だったのは自分に銃を向けていた相手。あれは間違いなくレンだ。月のような瞳に光は無く、あまりに見たくない表情だった。夢であるとわかっていながら、その顔は脳裏に焼きついて離れてくれない。

「……はは、おかしな希望を持ったことが、罪だとでもいうのでしょうか」

 自嘲して、明かりを点ける。外は真っ暗だ。懐中時計を手にとると、針は三時を示している。まだ就寝してから二時間と経っていない。溜息を吐いて頬を伝う冷や汗を拭った。
 今日、任務から帰り、礼拝堂で待っていても、レンは現れなかった。初めの日からずっと、なんの断りもなく来なかったことはなかったのに。彼にだって個の事情があるだろうと、その時は気にしていなかったが……こんな夢を見てしまっては嫌に胸騒ぎがした。

「……」

 セイは部屋を出る。顔を見るだけ、声を聞くだけ。そうすればきっと安心して寝直すことだって出来る。こんな時間に神父の部屋を訪ねるのは説教ものだろうが、説教で自分の気が済むなら安いものだった。
 真っ直ぐレンの部屋へ向かう。明かりの消えた廊下に人気はない。そういえば部屋に来たことはなかったと、扉の前でふと思う。深夜ということを考慮して控えめにノックをするが、反応はない。……そもそも、中から人の気配がしない。試しにドアノブを捻ってみると、なんの抵抗もなく開いた。鍵は掛かっていないようだ。そのまま遠慮がちにそっと扉を開く。

「……え?」

 部屋には誰もいなかった。
 否、《》。
 暗く視界は悪いが、そこが空き部屋になっていることは明らかだった。人がいた形跡がまるで無い。カーテンすら撤去された窓から薄く月光が差し込んでいる。
 セイは硬直した。部屋を間違えた?しかしそんな筈はない。そもそも神父の部屋に空き部屋などなかった筈だ。どういうことがわからずに立ち尽くしていると、隣の部屋の扉が開いた。

「何をしているのかね」
「……主任、」

 セイは僅かに肩を震わせ、声のする方を向いた。主任神父だった。セイがドアノブを持ったままの様子を見て、ぎろりと睨む。分厚い瞼の下の双眸がやたらと気味悪く、セイは彼が好きではなかった。

「こんな時間に、こんな所で。責任でも感じているのかね」
「彼は、……神父様はどちらへ」

 《責任》という言葉が何に対してのものなのか、セイにはわからなかった。とにかくレンの居場所が知りたいと、問いに問いで返す。内心穏やかではなかったが、感情を無理矢理押し込む。それでも歪な声音になっていることは間違いない。主任は訝しげな顔をして、顎を撫でた。

「月守のことかね」
「!!……は……月守、……誰が、」
「彼だよ。レンだ」

 背筋が凍りついた。殴られたような衝撃が全身に走る。
 何故、どうして今、何処から露呈していたというのだ。

「まったく、神の御許に潜り込むだなんて、罰当たりでは済まされないだろう。とんだ狐だったよ」

 主任の声が遠くに聞こえる。今にも卒倒しそうな意識を懸命に呼び戻して、無理矢理言葉を紡ぐ。

「な……何故、彼が、」
「何を言っているのかね。『君が言ったんじゃないか』」
「……は……?」
「君が教えてくれたのだろう?彼が月守だと」

 息がぐっと詰まった。まるで銃を突きつけられているかのようだ。何を言われているかまるでわからない。
 自分が?レンのことを密告した?そんな馬鹿な。
 困惑を隠せないセイの様子に、主任も流石に疑問を抱いたようだった。聞き慣れない固有名詞を出される。

「レレから聞いたよ。それでも彼を救いたい、どうしたら良いか悩んでいたそうじゃないか。いじらしいことだ。実に慈悲深い。そんな苦しんでいる君を見るに耐えなかったそうで、私に伝えてくれたのだ」
「レレ……」

 確かシスターの名前だ。この教会では珍しい女性で、口数が少なく人見知りだった。殆ど話したことはない。香水なのか、いつも彼女からは金木犀の香りがしてーー。

「ーー!!」

 あの母子を逃した日。レンと別れた後嗅いだ花の香りを思い出した。あれが彼女のものだとしたら、あの時彼女は近くにいたことになる。逃したところを見られたのか。そうであっても何故、セイから聞いたような言い回しをしたのか理解出来ない。そもそもあの光景を見たとしても、彼が月守を逃したというだけで、彼自身が月守だとわかる根拠はない筈だが……。こんな嘘を吐いた真意はともかく、彼女が自分の名前を使って密告したことは間違いないようだった。

「彼女は、今何処に」
「レレには、月守の処理を任せている」
「!!」
「もうすぐ山奥の崖へ着くだろう。彼女は任務執行者であり、運搬者でもあるからね。密かに処理をするにはうってつけだ」
「そんな……」
「セイ、君は優しく慈悲深い。しかし、相容れない者は存在するのだよ。……此方に来なさい」

 主任はセイを手招くと、そのまま自室に戻っていった。
 セイは立ち尽くした。どうにか平静を取り戻したいのに、頭が上手く回らない。レンには、自分が裏切ったと伝わっているのだろうか。そうであれば、憎まれているのだとしたら……あの夢はある意味で、正夢なのだろうか。
 ふらふらとした足取りで、主任の後を追う。重厚な机の上には古びたトランシーバーが置かれていた。

「処理の際には連絡を貰う手筈になっている。折角此処に居合わせたのだ。せめて、最後を見届けなさい」
「……」

 返事をすることもままならず無言でいると、トランシーバーがジジッと音を立てた。主任がそれを取り、塗装の剥がれたボタンを押すと、機械の向こうからくぐもった声が聞こえた。

「つ、着きました。神父様」
 レレの声は普段から余裕が無さそうなボソボソとしたもので、古い機械越しでは一層聞き取りづらい。「よろしい」と主任は短く応える。

「レン、月守であることを隠し、我々や村人たちを騙し続けた罪は重い。が、お前の功績は確かだ。何か最後に言いたいことがあるかね」
「……」

 レンの声は聞こえない。

「此処にはセイもいる。何かあるのではないかね」
「……ッ、」
「……」

 レンはやはり何も言わなかった。違う、誤解だと伝えなければならないのに言葉が出てこない。
 苦しい。どうしたら良いかわからない。
 喉奥をごり、と銃口で抉られるような感覚に襲われ続けている。それでも、伝えなければならない。言葉を紡ごうと、喘ぐように空気を吸う。
 その時。

「なっ、何、」

 トランシーバーの向こうで大きな音がした。ノイズの中に、焦ったレレの声が聞こえる。「どうした」と問いかけた主任に、応答は無い。化物とエンカウントしたのだろうことはすぐにわかった。困惑の色を浮かべる主任からトランシーバーを取り上げた。

「レン、……レン!」

 驚いた様子の主任に構っている暇はなかった。レンからの応答はない。代わりに銃声と爆発音がひっきりなしに響く。

「化物が……化物、何故、こんな強、あぁぁ!!」

 断末魔が耳を劈いた。木が倒れる音がする。そうして暫くして、静かになった。ただノイズだけが聞こえる。繋がっている。

「……」
「レン、私は、」

「え……」
「……」

 六。それだけ聞こえた。レンの声だ。それを最後に、ガシャリと通信が途絶えた。切ったというよりは、壊したのかもしれない。部屋は静寂する。主任はトランシーバーを取り返そうともせずに頭を抱えていた。

「悪魔の数字を唱えるなんて、なんという奴だ。化物の奇襲を食らったのか……今すぐにでも他の任務執行者を派遣しなければ、奴を放置してしまう」
「……」
「セイ、君は部屋に戻りなさい。くれぐれも内密にするように」
「……」
「セイ」
「はい」

 いやにはっきりした返事に、主任は眉を顰めたが、そんな彼にそれ以上の反応をすることなく、セイはトランシーバーを置いて部屋を後にした。

「(もしかしたら)」

 セイは必死で頭を回した。六。それだけで、レンの真意を。自分がどう動くべきかを。とにかく考えに考えて、一つの仮説を立てる。確信はなかったが、セイが動くとしたらこうしかない。
 廊下を早足で歩き、自室に戻る。手早く着替え、金と十字架、それから懐中時計を持つと、窓から飛び降りて門を出た。静寂が包む山林を、セイは全力で駆けおりる。

「(私にチャンスがあるのなら、急ぐしかない)」

 既に四時を回っていた。辺りは暗い。台車の跡がのびる道は整備されてはおらず、ほぼ獣道。そして、朝日の昇っていない今は、リグレットの時間だ。
 黒い影がセイの行手を阻む。

「貴方達には同情します。ですが……邪魔をするな!」

 十字架が大きく振るわれた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】『ルカ』

瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。 倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。 クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。 そんなある日、クロを知る青年が現れ……? 貴族の青年×記憶喪失の青年です。 ※自サイトでも掲載しています。 2021年6月28日 本編完結

【奨励賞】恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する

SKYTRICK
BL
☆11/28完結しました。 ☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます! 冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫 ——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」 元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。 ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。 その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。 ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、 ——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」 噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。 誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。 しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。 サラが未だにロイを愛しているという事実だ。 仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——…… ☆描写はありませんが、受けがモブに抱かれている示唆はあります(男娼なので) ☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

王様の恋

うりぼう
BL
「惚れ薬は手に入るか?」 突然王に言われた一言。 王は惚れ薬を使ってでも手に入れたい人間がいるらしい。 ずっと王を見つめてきた幼馴染の側近と王の話。 ※エセ王国 ※エセファンタジー ※惚れ薬 ※異世界トリップ表現が少しあります

今世はメシウマ召喚獣

片里 狛
BL
オーバーワークが原因でうっかり命を落としたはずの最上春伊25歳。召喚獣として呼び出された世界で、娼館の料理人として働くことになって!?的なBL小説です。 最終的に溺愛系娼館主人様×全般的にふつーの日本人青年。 ※女の子もゴリゴリ出てきます。 ※設定ふんわりとしか考えてないので穴があってもスルーしてください。お約束等には疎いので優しい気持ちで読んでくださると幸い。 ※誤字脱字の報告は不要です。いつか直したい。 ※なるべくさくさく更新したい。

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

あなたが好きでした

オゾン層
BL
 私はあなたが好きでした。  ずっとずっと前から、あなたのことをお慕いしておりました。  これからもずっと、このままだと、その時の私は信じて止まなかったのです。

例え何度戻ろうとも僕は悪役だ…

東間
BL
ゲームの世界に転生した留木原 夜は悪役の役目を全うした…愛した者の手によって殺害される事で…… だが、次目が覚めて鏡を見るとそこには悪役の幼い姿が…?! ゲームの世界で再び悪役を演じる夜は最後に何を手に? 攻略者したいNO1の悪魔系王子と無自覚天使系悪役公爵のすれ違い小説!

処理中です...