背きの秘事

千木

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7話

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 朝日はまだ昇っていなかった。宿泊施設から飛び出たセイは、暗い視界の中に村長と、その足元で泣きながら縋る女性を目の当たりにする。村長の腕の中には布に包まれた小さな命が静かに佇んでいて、何処を見ているかわからないその瞳は……。

「(金色……!)」

 虚空を見つめるように泣きもしないその赤子の瞳は、紛うことなく金色だった。その美しい瞳が、セイの方をちらりと見やる。思わず立ち尽くしたセイに、気づいた村長が振り向いてにこりと微笑んだ。

「これはこれは、シスター様。早朝にも関わらずお騒がせして……」
「シスター様!お助けを……お助けを……!!」

 村長の言葉を遮るように、地面を這う女性が必死に乞う。そんな女性の姿に、村長は小さく舌打ちをしたのがわかった。大体の状況を理解するも、それを明らかに出してはならないと、セイは落ち着くために一息吸って、吐いた。

「……何事ですか」
「月守でございます」
「……」
「嗚呼、シスター様はお若いからご存知ではないか。この村に災いをもたらす存在でございます」
「こんな赤子が、ですか?」

 しらばっくれて話を続ける。レンの話と書物の中でしか存在していなかった光景が、今自分の目の前に広がっていることに内心穏やかではなかったが、必死に平静を取り繕った。村長は未だ足元で我が子を取り返そうとする女性を荒っぽく振り払う。

「月のような瞳は人を惑わせ、狂わせると言われている。この女をご覧ください。おかしくなっているでしょう。それもこれもこの目を持つ者の所為なのです。早めに処理せねば」
「自分の子ならば、必死にもなりましょう。こんな状況下でさえ、大人しくしている愛らしい赤子を処理だなど、」
「嗚呼、嗚呼!シスター様は本当にお優しく、慈悲深くいらっしゃる!どうかその慈悲を赤ん坊でなく、この女に与えてくださいませ。彼女はただ、惑わされているだけなのです」
「……」
「あまり泣かぬのを良いことに、納屋に隠して育てていたのです。そのしがらみから解放してやらねば」
「しかし、」
「この状況下において、赤子らしく泣かないのは確かに少しおかしいね」
「!!」

 穏やかな声に、その場にいた全員が振り向く。声の主はレンだった。包帯を巻き直す等、身支度に時間が掛かると遅れて現れた彼は、普段と変わらない様子でゆっくりと村長に近づいた。

「月守である赤子は、あまり泣かないと聞くし」
「嗚呼、神父様!ご足労痛み入ります。この赤子です」

 レンに動揺した様子はなかった。この状況に立ち会ったことがあるような口ぶりだ。村長から赤子を受け取り、優しく背を叩く。金色の瞳は、レンの顔を不思議そうに見上げた。

「うん、俺の方で神の御許に送ってあげよう。赦していただけるように」
「は……?何を言って、」

 セイの言葉は、酷く心酔した様子の村長の言葉に遮られた。

「シスター様も、神父様もなんと慈悲深いことでしょう!月守に対してまで、お優しいとは……」
「あとは任せて、家に戻りなさい。村の人にはうまく伝えるように」
「はい!」

 村長は膝をつき、ロザリオを掲げてレンに向かい祈る。その横で絶望を浮かべる女性は、ただ嗚咽を漏らしていた。セイも状況についていけず、どんな言動をとるべきか全く分からない。何より……レンの言動は、今まで聞いていたものとはかけ離れている。困惑している間に、レンは崩れ落ちる女性の前にしゃがみ込んだ。

「貴女もいらっしゃい。せめて、最後まで我が子の傍に」
「あ……ああ、……あぁぁ……」

 女性は打ちひしがれたまま、しかしよろよろと立ち上がる。子を想う心だけで動いているようだが、レンの言っていることはかなり酷なことだ。自分の子供が命を散らす最後を見届けろと言うのか?

「セイもいらっしゃい」
「……」
「セイ、」
「……、はい」

 ここに来て、レンの考えていることがまるでわからない。不服だった。しかし今ここで騒いだところで意味は無いだろう。実際、女性があれほど助けを求め泣き叫んでいたのに、他の村人が現れるどころか家の明かりさえ点らないのだ。声が届いていないわけはないのに。セイは奥歯を軋ませながら後に続く。とにかく、これから先を見なければ判別がつかない。もし、本当にレンが赤子の命を奪うようなことがあるならーー……。十字架を持った手に力がこもる。
 三人で歩き出す。淀む気持ちと反して、空はだんだんと白み始めていく。
 村を外れて、森の中へ進む。女性はずっと俯いて、もう涙さえ流していない。痛々しい姿だったが、セイには掛ける言葉も無かった。レンはセイ達の前を、一度も振り向く事なく歩いている。今どんな顔をしているのか、察することも出来ない。
 やがて、木々が拓かれた場所に出ると、レンは足を止めた。そこは赤子を投げ落とすための崖でも、流すための川でもなかったが、しかしセイが見たことのない景色が広がっている。

「此処は、」

 独特な音が響き、オイルのような臭いが辺りを包む。目の前には線路と、エンジンのかかった短い列車があった。存在しているのは知っているが、停車する場所が村からも教会からも離れているのと、そもそも走っている頻度が低いため、こんな近くで見るのはセイにとっては初めてだった。女性もそうであるらしく、目を丸くして黒いボディの車体を見上げている。レンはそんな彼女に近づくと、徐に腕の中の赤子を差し出した。

「はい」
「え……」
「貴女の大切な子供でしょう」

 女性は困惑を浮かべながら、しかし愛しの我が子を自分の腕に取り戻すと、安堵したように泣き出した。その様子にレンも微笑むと、列車の運転席に向かっていく。小さな窓から顔を出した若い男性は、レンの顔を見るなりにかりと笑って手を振った。欠けた前歯が白く光る。

「ごめんね。今日も頼めるかな」
「神父様も大変だねぇ。ま、金さえ貰えば幾らでも乗せるよ。ほんの少し荷物が増えるだけだしな」
「ありがとう」

 懐から札の束を取り出して、男に向かって放り投げる。男は器用にキャッチして、車内に引っ込んでいった。

「さあ、これに乗ってお行きなさい」
「神父様……」
「見たことのない地で、母一人子一人では困難もあるでしょう。けれど、今この子の命が救われて良かったと思うならば、きっと大丈夫だよ」

 貨物車両の中には藁や段ボールが乱雑に置かれていた。そこに、女性と赤子が入る。女性は泣きながら、何度も頭を下げて祈り続けた。それに応えるように、レンもロザリオに口づける。

「貴女達にご加護がありますように」

 扉を閉めると、列車は数分と待たずに発車する。この周辺で唯一かつ圧倒的なテクノロジーを持った乗り物は、大きな音を立てながら遠方に姿を消していった。
 静かになったその場に、二人が残る。日は昇りきり、鳥の囀りが響く中で、レンは暫くの間列車が去った先を眺めていた。何も言わずに、ただ穏やかな顔のままで。

「ずっと、こんなことを?」

 セイが問い掛ける。レンは端的に「うん」とだけ言った。村長や村人から信頼を得て、月守の処理を自ら任された上で、列車の停車位置や来るタイミングを調べ、金を握らせて村の外へ逃す。言うだけなら簡単だが、それが如何に難しいかは計り知れない。化物の救済をしきれないなら、化物となる魂を増やさない、彼なりの抗いなのだろうか。

「あれだけ泣かないなら、きっと大物だろうね。大丈夫だとは思うよ」
「月守の赤子があまり泣かないと言うのは……」
「嘘に決まっているでしょう。多分、個性じゃないかな」
「……はぁ、貴方の演技には感服します」
「ふふ、君まで騙せるとは思わなかったな」

 そう言って、レンは可笑しそうに笑った。一方でセイはまんまと騙されたこと、そして彼を疑った自分自身に苦虫を潰したような表情を浮かべる。それを察したのか、レンはセイの頭をぽんぽんと撫でた。

「自分の立場を考慮した上で、月守を知らない、初めて聞いたという演技をしてくれたのは本当に良かったよ。なぜ知っているのかとなったら面倒だからね。村長と教会の上の人間は繋がっているから」
「反吐が出そうでした。あんな感じなのですね」
「そう。まぁ、全員を助けられているかといえば、答えはノーだけれど」
「……」
「あの列車は、奇数の日に、朝六時からほんの数分だけ此処に停車するんだよ。線路も村や教会の方向には無いから、あまり見ないでしょう?昼頃、置いて行かれた荷物を何人かが取りに来るというわけ」
「確かに、そういう役割の人間が教会にいた気がしますね」

 決まった時間に台車を引いて数人が出ていく姿を何回か見たことがあった。物資を運んでいるとは聞いていたが、列車の停車位置を知らなかったので、こんな外れまで来ているとは初めて知った。だいぶ重労働だろう。

「外部と接点を持ちたくないのか、運転手も俺以外に話したことのある人はいないと言っていたよ。時間をわざわざずらすのもそういうことかもしれない」
「……」
「内密にね」
「当たり前でしょう」

 こんなことを口にしようものなら、レンは追放では済まされない。わざわざ売ろうとする筈も無いのに、意地の悪い男だと溜息を吐く。その様子を見て、レンはまた笑った。

「君は優しいからね」
「優しいだとか、そういう問題ではないと思いますが」
「優しいよ。優しくて、賢い。君の立ち振る舞いや言動が少し違ったら、俺はかなり動きづらかったからね」
「……」
「あの場で感情的になったりせず、俺にちゃんとついて来て、その間も余計なことをしなかった。俺をちゃんと疑い、ちゃんと信じてくれたわけでしょう?」
「困惑していただけですよ。買い被りです」
「それでも、俺は嬉しかったよ。ありがとう」
「……もう、良いです」

 嫌なほどレンの気遣いを感じる。レンを疑ったことへの「気にするな」と言わんばかりの言葉。甘やかされているような感覚がむず痒く、言葉を遮るようにキスをした。レンは特に抵抗もせず受け入れる。

「俺は一度村に戻って、ホラ話をしに行かないといけない。『月守は川に流し、絶望した母親は後を追った』……なんてね。君は先に教会に戻って、もし上に報告する必要があれば、あったことを素直に話してくれて良い」
「わかりました」
「うん、じゃあまた後でね」

 そう言ってにこりと笑むと、レンは踵を返して来た道を引き返していく。セイは別方向の道に歩を進めた。台車が何度も引き摺られた跡が残っている。ひたすらのぼっていけば教会に着くと、レンは言っていた。

「(列車の場所がわかるなら、やはりレンはいつでも此処を出ることが出来るのか)」

 ふと考える。運転手に金を握らせ、自身を運ばせれば此処から出るタイミングは今までもこれからもあるだろう。しかし、そんな気配は見られない。やはり彼は此処から出て行くつもりが無いようだ。

「……」

 セイは被りを振った。淡い期待は現実にはなり得ない。此処で一緒にいられるならば、危うくも傍で過ごすことが出来るのならば、それ以上を望むことはしない。
 ふと、良い香りが鼻を掠めた。セイは足を止めて辺りを見渡す。花の香りだ。しかも、かなり特徴的なこれは……。

「(金木犀?何故?この辺りには咲いていないし、まず季節が違う)」

 どれだけ見回しても、あの鮮やかで可愛らしい花は見受けられない。気づけば風に流されたのか、香りも無くなっていた。首を傾げて、セイは再び歩き出す。
 遠くで、教会の鐘の音が聞こえた。
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