2 / 12
2話
しおりを挟む
窓から差し込む朝日は、嫌味なほどに穏やかだった。昨夜の彼を彷彿させる、柔らかな光。
睡眠時間が削れども、染みついた生活サイクルによって同じ時間に目を覚ます。ベッドに横たわったまま、セイは手を上へ伸ばした。指の間越しに白い天井を見る、その行為に何の意味もない。
「……」
昨夜のことを思い出すその表情は、不服に満ちていた。
**
「君の先の言動は、背信行為に値する。それは自分でわかっているのでしょう?」
神父は困ったように笑いながらそう言って、ゆっくりとセイに近づく。長椅子の位置を時々指先で確認するだけの、そんな程度で迷いなく歩を進めている姿を眺めながら、やはり盲目は似非なのではないかと、失礼なことを考えていた。
「いつからお聞きになられていたのですか」
「随分初めの方からかな」
「……はぁ。ならば、言い訳の余地もありませんね」
神に身も心も捧げるべきこの場所にあるまじき言葉は、たとえ独り言といえどただでは済まされないことはわかる。わかっているから、人気のない時間、場所を選んでいたのだ。
なのに見つかった。しかもよりにもよって、品行方正な神父である彼に。それなりの処分は免れないだろうと、特に言い返すこともなく、セイは神父の言葉を待った。
神父はセイの前で立ち止まる。パーソナルスペースを侵した、異様に近い距離。咄嗟に少し後退ったが、何故かそこまで不快感は無くて、しかしその理由を探している余裕は無い。
身長が変わらない二人の視線の高さはほぼ同じ。布越しに目を合わせる。彼からはどう見えているのだろうか。どういった言葉を吐くだろうか。なんであれ事態が好転することはないだろうと、セイは諦めをもって目を閉じた。
しかし、その予想はあらぬ方向へ覆された。
「きっと、懺悔なさいと言ったところで、君はしないのでしょう」
「……え?」
苦笑を浮かべたままの神父の口から出た言葉は、叱責でも説教でもなかった。想定外の言葉に、セイは目を開け言葉を失う。そんな彼をよそに、神父はわざとらしく「あぁ」と声を上げて言い直した。
「懺悔なさいと言えば、するだろうね。そこに気持ちがなくとも」
「……!」
「君はずっと、そうしていたものね」
神父はするりと手を伸ばし、セイの頬に触れた。体温が低いのか、ひんやりとした指先に少しだけ震えたが、内心はそれどころではない。
今まで隠していた全てを知られているような口ぶり。一貫して穏やかな声音と表情に、なんとか動揺を押し隠す。揺さぶりの可能性もあるが、聖職者として評判の高い彼から出る言葉としては不自然だ。彼を理解しきれていないとはいえ、今どういう感情で自分と向き合っているのか、驚くほど何も伝わって来ないことに胸がざわついておさまらない。そんなセイの様子がまるで見えているかのように、神父は言葉を続けた。
「君の普段の言動は、シスターとして問題ない。むしろ手本とも言えるだろうね。歌声は他のシスター、主任神父、信仰者の皆を癒やしていて……うん。申し分ない」
「……」
「上手に生きているな、と感心しているんだよ。あんな中身の無い聖歌が、あれだけ人間を感動させるのだからね」
あぁ、駄目だ。
これまでの経験上、どうしても理解させられる。処世術として使いこなしてきた物分かりの良さゆえに《理解る》。気づかれないように、セイは奥歯を鳴らした。
揺さぶりではない。彼はわかっている。セイがどうやって生きているかを。どういう思考を持っているかを、全て。
実直で優しい、自分とは無縁の人間だと思っていたが、どうやら随分意地悪く強かな男であるらしい。そうとわかれば、より一層反論をする気が失せた。一方的に弱みを見せている状況では、おそらく彼に勝てないだろう。しかし彼はどういうつもりか、全てわかった上で自分に理解を示してくる。その真意ぐらいは知りたくて、セイはようやく口を開いた。
「……それで、どういうつもりですか」
「どういうつもりとは?」
「主任に突き出すのではないのですか」
「そのつもりなら、最初からそうしているよ。君と話してみたかったから、こうして君の時間をもらっているの」
「何故です」
「以前から気になっていたからね」
ゆっくりと輪郭を撫で、神父は微笑む。そしてその手を退かすと、一番近い長椅子に腰をおろした。
「君のことだから、こうして現場をおさえなければ、のらりくらりとかわすだろうと思ってね。俺は君と『話がしたかった』から」
「……」
明らかに不服を浮かべたセイの顔は、神父には見えていない。しかしその表情は妥当だろう。要は、見事に罠に嵌められたということだから。
たまたま通りかかったわけではもちろんないし、任務帰りに此処に来ていたことも、前から知っていた可能性が高い。話すために、機会をうかがって泳がせていたということだろう。
「初めて君の聖歌を聴いた時からずっと、信仰心の無さには気づいていた。けれど周りは、未だにそれに気づかない。驚いたよ。君は本当に上手く生きている」
「……お褒めに預かり、光栄です」
「怒らないで。本心だから」
「怒ってなどいませんよ。気分は悪いですが」
「はは、そうだろうね」
「それで?私の弱みも握れたわけでしょう。満足ですか?」
貧乏ゆすりのように、十字架の先をとんとんと床にぶつける。再三注意深く生きていたあれこれが露呈していた、しかもそれがわかっていて泳がされていたと知れば不快にもなる。なんなら、いっそ上に通告してくれた方がマシにも思えてきた。怒りに任せた声音での問い掛けも、神父には特に効いている様子はない。
「弱みを握ったつもりはないよ。これからは、一層気をつけなさい」
「……は?」
「気づく人はそうはいないだろうけれど、油断は禁物だからね。じゃあ、戻ろうか」
「……ッ、待ってください」
立ち上がって入り口に向かう神父を思わず呼び止める。此処まで話して、何も無いはないだろう。神父は不思議そうな顔をして振り返った。そんな顔をしたいのは此方だと、喉まで出かかった言葉を引っ込めて、最優先の質問を脳から引っ張り出す。
「なんのお咎めも無いのですか」
「咎められたいの?」
「そういうわけではありませんが」
「なら良いじゃない。人の思想なんて好き好きでしょう」
思想の自由は、この聖なる場所では『神へ忠誠を誓う』前提ありきでしか成り立たない。聖職者の集まりの中での異端分子。そんな自分を好き好きで済まそうとしている彼に反論しようとして、しかしその無意味さに気づくと、セイは言葉の代わりに溜息を吐いた。
「貴方を、神父の鑑だと思っていた私が愚かだったのでしょうか」
「寛容な方だとは思うよ」
「……なんなんだ、貴方は」
「俺はただの神父だよ。少しだけ察しの良い、ね」
嘘つけ、と思わず反射で言いかけたのを必死に押し込んで、代わりに少しだけ睨んだが、神父はなんの反応も見せない。見えていないのだからそれはそうなのだが……自分を丸め込んだ男は、何を気にするでもなく微笑んでいる。それがあまりに気に食わなくて、しかし今自分に反撃の術はない。その事実に、更に不服の色は濃くなった。
「あぁ、そうだ。ねぇ、」
扉に手を掛けながら、神父は再度振り向いた。なんでしょうか、と不機嫌を隠すことなく返事をすると、肩を竦めて言葉を続ける。
「また吐き出したくなったら、俺のところにおいで」
「……は……?」
想定の斜め上にもない言葉に、今度こそ拍子抜けした声が漏れた。そんなセイに、やはり神父は構いもしない。
「此処が良ければ、此処でも。鍵は俺が持っているし」
「何故です」
「一層気をつけろと言ったでしょう。俺は、相当の人間に対して目眩しになると思うけれど」
「貴方が私に対して、何故そうするのか問うているのですが」
至極当然の疑問だった。顔見知りではあれど、特段仲が良かったわけでもなく、そこまで世話をやかれる筋合いもなければ、彼にだって面倒な思考を持つシスターの肩を持つ義理はない筈なのだ。けれど神父は何食わぬ顔で言葉を返す。
「俺は、君に此処にいてほしいからね」
「……理由は?」
「表向きとはいえ、君ほど優秀で、かつ歌の上手いシスターはいないでしょう。さらに限られた少数の、任務を行える人間だ。此処を守る神父として、逸材を手元に置いておきたいと思うのは、おかしいかな?」
「……」
「君にとっても、悪い話ではない筈だけれど」
「筋は通っているように聞こえますが、そもそも問題はそこではありません。聖職者としての大前提を裏切る私を野放しにするという貴方は、一体、」
不意に言葉が切れる。すっと距離を縮められたかと思うと、神父の冷たい指が唇に当てられて、紡がれかけていた言葉をぴしゃりと遮った。唐突なことに目を丸くしたセイに、やはり神父は優しげに微笑む。その裏に、初めて意地の悪そうな雰囲気を纏いながら。
「俺の名前は、レンだよ」
「……」
「さぁ、今度こそ戻ろうか。俺のところに来なくたって、上に密告なんてしないから。君の好きにしたらいい」
そう言って、指を離す。そのまま踵を返すと、今度は振り返ることなく、レンは礼拝堂から出て行ってしまった。残されたセイは、不本意にもその背を見送ってから、大きく息を吐いた。
「なんなんだ、本当に。彼は……」
**
ゆっくりと身体を起こす。普段から他の者より幾分か早く起きる癖がついているけれど、その時間は回想に見事に潰されてしまった。
自分が後手後手になったことも、彼の言動も提案も何もかも、気に食わなくて仕方ない。
仕方ないのに。
「……」
その反面、誰にも開かなかった心中を、他人に打ち明けられるかもしれない。そんな安堵と背徳心を抱く自分がいる。そして同時に湧き上がる、彼に対する興味。
「(神父様の名前なんて、知る必要も無いのに)」
固有名詞を知り、冷たい指を知り、垣間見えた彼の本性の輪郭。もっと知りたいと思う好奇心と、エトセトラ。常時整然とした思考が、久しぶりにぐちゃりと濁される。その感覚に酔うように、セイは笑みを浮かべた。
「……あぁ、面白いかもしれない」
つまらない生活が、変わるかもしれない。そんな期待に、密かに心を躍らせて。
今日もまた、一日が始まる。
睡眠時間が削れども、染みついた生活サイクルによって同じ時間に目を覚ます。ベッドに横たわったまま、セイは手を上へ伸ばした。指の間越しに白い天井を見る、その行為に何の意味もない。
「……」
昨夜のことを思い出すその表情は、不服に満ちていた。
**
「君の先の言動は、背信行為に値する。それは自分でわかっているのでしょう?」
神父は困ったように笑いながらそう言って、ゆっくりとセイに近づく。長椅子の位置を時々指先で確認するだけの、そんな程度で迷いなく歩を進めている姿を眺めながら、やはり盲目は似非なのではないかと、失礼なことを考えていた。
「いつからお聞きになられていたのですか」
「随分初めの方からかな」
「……はぁ。ならば、言い訳の余地もありませんね」
神に身も心も捧げるべきこの場所にあるまじき言葉は、たとえ独り言といえどただでは済まされないことはわかる。わかっているから、人気のない時間、場所を選んでいたのだ。
なのに見つかった。しかもよりにもよって、品行方正な神父である彼に。それなりの処分は免れないだろうと、特に言い返すこともなく、セイは神父の言葉を待った。
神父はセイの前で立ち止まる。パーソナルスペースを侵した、異様に近い距離。咄嗟に少し後退ったが、何故かそこまで不快感は無くて、しかしその理由を探している余裕は無い。
身長が変わらない二人の視線の高さはほぼ同じ。布越しに目を合わせる。彼からはどう見えているのだろうか。どういった言葉を吐くだろうか。なんであれ事態が好転することはないだろうと、セイは諦めをもって目を閉じた。
しかし、その予想はあらぬ方向へ覆された。
「きっと、懺悔なさいと言ったところで、君はしないのでしょう」
「……え?」
苦笑を浮かべたままの神父の口から出た言葉は、叱責でも説教でもなかった。想定外の言葉に、セイは目を開け言葉を失う。そんな彼をよそに、神父はわざとらしく「あぁ」と声を上げて言い直した。
「懺悔なさいと言えば、するだろうね。そこに気持ちがなくとも」
「……!」
「君はずっと、そうしていたものね」
神父はするりと手を伸ばし、セイの頬に触れた。体温が低いのか、ひんやりとした指先に少しだけ震えたが、内心はそれどころではない。
今まで隠していた全てを知られているような口ぶり。一貫して穏やかな声音と表情に、なんとか動揺を押し隠す。揺さぶりの可能性もあるが、聖職者として評判の高い彼から出る言葉としては不自然だ。彼を理解しきれていないとはいえ、今どういう感情で自分と向き合っているのか、驚くほど何も伝わって来ないことに胸がざわついておさまらない。そんなセイの様子がまるで見えているかのように、神父は言葉を続けた。
「君の普段の言動は、シスターとして問題ない。むしろ手本とも言えるだろうね。歌声は他のシスター、主任神父、信仰者の皆を癒やしていて……うん。申し分ない」
「……」
「上手に生きているな、と感心しているんだよ。あんな中身の無い聖歌が、あれだけ人間を感動させるのだからね」
あぁ、駄目だ。
これまでの経験上、どうしても理解させられる。処世術として使いこなしてきた物分かりの良さゆえに《理解る》。気づかれないように、セイは奥歯を鳴らした。
揺さぶりではない。彼はわかっている。セイがどうやって生きているかを。どういう思考を持っているかを、全て。
実直で優しい、自分とは無縁の人間だと思っていたが、どうやら随分意地悪く強かな男であるらしい。そうとわかれば、より一層反論をする気が失せた。一方的に弱みを見せている状況では、おそらく彼に勝てないだろう。しかし彼はどういうつもりか、全てわかった上で自分に理解を示してくる。その真意ぐらいは知りたくて、セイはようやく口を開いた。
「……それで、どういうつもりですか」
「どういうつもりとは?」
「主任に突き出すのではないのですか」
「そのつもりなら、最初からそうしているよ。君と話してみたかったから、こうして君の時間をもらっているの」
「何故です」
「以前から気になっていたからね」
ゆっくりと輪郭を撫で、神父は微笑む。そしてその手を退かすと、一番近い長椅子に腰をおろした。
「君のことだから、こうして現場をおさえなければ、のらりくらりとかわすだろうと思ってね。俺は君と『話がしたかった』から」
「……」
明らかに不服を浮かべたセイの顔は、神父には見えていない。しかしその表情は妥当だろう。要は、見事に罠に嵌められたということだから。
たまたま通りかかったわけではもちろんないし、任務帰りに此処に来ていたことも、前から知っていた可能性が高い。話すために、機会をうかがって泳がせていたということだろう。
「初めて君の聖歌を聴いた時からずっと、信仰心の無さには気づいていた。けれど周りは、未だにそれに気づかない。驚いたよ。君は本当に上手く生きている」
「……お褒めに預かり、光栄です」
「怒らないで。本心だから」
「怒ってなどいませんよ。気分は悪いですが」
「はは、そうだろうね」
「それで?私の弱みも握れたわけでしょう。満足ですか?」
貧乏ゆすりのように、十字架の先をとんとんと床にぶつける。再三注意深く生きていたあれこれが露呈していた、しかもそれがわかっていて泳がされていたと知れば不快にもなる。なんなら、いっそ上に通告してくれた方がマシにも思えてきた。怒りに任せた声音での問い掛けも、神父には特に効いている様子はない。
「弱みを握ったつもりはないよ。これからは、一層気をつけなさい」
「……は?」
「気づく人はそうはいないだろうけれど、油断は禁物だからね。じゃあ、戻ろうか」
「……ッ、待ってください」
立ち上がって入り口に向かう神父を思わず呼び止める。此処まで話して、何も無いはないだろう。神父は不思議そうな顔をして振り返った。そんな顔をしたいのは此方だと、喉まで出かかった言葉を引っ込めて、最優先の質問を脳から引っ張り出す。
「なんのお咎めも無いのですか」
「咎められたいの?」
「そういうわけではありませんが」
「なら良いじゃない。人の思想なんて好き好きでしょう」
思想の自由は、この聖なる場所では『神へ忠誠を誓う』前提ありきでしか成り立たない。聖職者の集まりの中での異端分子。そんな自分を好き好きで済まそうとしている彼に反論しようとして、しかしその無意味さに気づくと、セイは言葉の代わりに溜息を吐いた。
「貴方を、神父の鑑だと思っていた私が愚かだったのでしょうか」
「寛容な方だとは思うよ」
「……なんなんだ、貴方は」
「俺はただの神父だよ。少しだけ察しの良い、ね」
嘘つけ、と思わず反射で言いかけたのを必死に押し込んで、代わりに少しだけ睨んだが、神父はなんの反応も見せない。見えていないのだからそれはそうなのだが……自分を丸め込んだ男は、何を気にするでもなく微笑んでいる。それがあまりに気に食わなくて、しかし今自分に反撃の術はない。その事実に、更に不服の色は濃くなった。
「あぁ、そうだ。ねぇ、」
扉に手を掛けながら、神父は再度振り向いた。なんでしょうか、と不機嫌を隠すことなく返事をすると、肩を竦めて言葉を続ける。
「また吐き出したくなったら、俺のところにおいで」
「……は……?」
想定の斜め上にもない言葉に、今度こそ拍子抜けした声が漏れた。そんなセイに、やはり神父は構いもしない。
「此処が良ければ、此処でも。鍵は俺が持っているし」
「何故です」
「一層気をつけろと言ったでしょう。俺は、相当の人間に対して目眩しになると思うけれど」
「貴方が私に対して、何故そうするのか問うているのですが」
至極当然の疑問だった。顔見知りではあれど、特段仲が良かったわけでもなく、そこまで世話をやかれる筋合いもなければ、彼にだって面倒な思考を持つシスターの肩を持つ義理はない筈なのだ。けれど神父は何食わぬ顔で言葉を返す。
「俺は、君に此処にいてほしいからね」
「……理由は?」
「表向きとはいえ、君ほど優秀で、かつ歌の上手いシスターはいないでしょう。さらに限られた少数の、任務を行える人間だ。此処を守る神父として、逸材を手元に置いておきたいと思うのは、おかしいかな?」
「……」
「君にとっても、悪い話ではない筈だけれど」
「筋は通っているように聞こえますが、そもそも問題はそこではありません。聖職者としての大前提を裏切る私を野放しにするという貴方は、一体、」
不意に言葉が切れる。すっと距離を縮められたかと思うと、神父の冷たい指が唇に当てられて、紡がれかけていた言葉をぴしゃりと遮った。唐突なことに目を丸くしたセイに、やはり神父は優しげに微笑む。その裏に、初めて意地の悪そうな雰囲気を纏いながら。
「俺の名前は、レンだよ」
「……」
「さぁ、今度こそ戻ろうか。俺のところに来なくたって、上に密告なんてしないから。君の好きにしたらいい」
そう言って、指を離す。そのまま踵を返すと、今度は振り返ることなく、レンは礼拝堂から出て行ってしまった。残されたセイは、不本意にもその背を見送ってから、大きく息を吐いた。
「なんなんだ、本当に。彼は……」
**
ゆっくりと身体を起こす。普段から他の者より幾分か早く起きる癖がついているけれど、その時間は回想に見事に潰されてしまった。
自分が後手後手になったことも、彼の言動も提案も何もかも、気に食わなくて仕方ない。
仕方ないのに。
「……」
その反面、誰にも開かなかった心中を、他人に打ち明けられるかもしれない。そんな安堵と背徳心を抱く自分がいる。そして同時に湧き上がる、彼に対する興味。
「(神父様の名前なんて、知る必要も無いのに)」
固有名詞を知り、冷たい指を知り、垣間見えた彼の本性の輪郭。もっと知りたいと思う好奇心と、エトセトラ。常時整然とした思考が、久しぶりにぐちゃりと濁される。その感覚に酔うように、セイは笑みを浮かべた。
「……あぁ、面白いかもしれない」
つまらない生活が、変わるかもしれない。そんな期待に、密かに心を躍らせて。
今日もまた、一日が始まる。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
5回も婚約破棄されたんで、もう関わりたくありません
くるむ
BL
進化により男も子を産め、同性婚が当たり前となった世界で、
ノエル・モンゴメリー侯爵令息はルーク・クラーク公爵令息と婚約するが、本命の伯爵令嬢を諦められないからと破棄をされてしまう。その後辛い日々を送り若くして死んでしまうが、なぜかいつも婚約破棄をされる朝に巻き戻ってしまう。しかも5回も。
だが6回目に巻き戻った時、婚約破棄当時ではなく、ルークと婚約する前まで巻き戻っていた。
今度こそ、自分が不幸になる切っ掛けとなるルークに近づかないようにと決意するノエルだが……。
【BL】記憶のカケラ
樺純
BL
あらすじ
とある事故により記憶の一部を失ってしまったキイチ。キイチはその事故以来、海辺である男性の後ろ姿を追いかける夢を毎日見るようになり、その男性の顔が見えそうになるといつもその夢から覚めるため、その相手が誰なのか気になりはじめる。
そんなキイチはいつからか惹かれている幼なじみのタカラの家に転がり込み、居候生活を送っているがタカラと幼なじみという関係を壊すのが怖くて告白出来ずにいた。そんな時、毎日見る夢に出てくるあの後ろ姿を街中で見つける。キイチはその人と会えば何故、あの夢を毎日見るのかその理由が分かるかもしれないとその後ろ姿に夢中になるが、結果としてそのキイチのその行動がタカラの心を締め付け過去の傷痕を抉る事となる。
キイチが忘れてしまった記憶とは?
タカラの抱える過去の傷痕とは?
散らばった記憶のカケラが1つになった時…真実が明かされる。
キイチ(男)
中二の時に事故に遭い記憶の一部を失う。幼なじみであり片想いの相手であるタカラの家に居候している。同じ男であることや幼なじみという関係を壊すのが怖く、タカラに告白出来ずにいるがタカラには過保護で尽くしている。
タカラ(男)
過去の出来事が忘れられないままキイチを自分の家に居候させている。タカラの心には過去の出来事により出来てしまった傷痕があり、その傷痕を癒すことができないまま自分の想いに蓋をしキイチと暮らしている。
ノイル(男)
キイチとタカラの幼なじみ。幼なじみ、男女7人組の年長者として2人を落ち着いた目で見守っている。キイチの働くカフェのオーナーでもあり、良き助言者でもあり、ノイルの行動により2人に大きな変化が訪れるキッカケとなる。
ミズキ(男)
幼なじみ7人組の1人でもありタカラの親友でもある。タカラと同じ職場に勤めていて会社ではタカラの執事くんと呼ばれるほどタカラに甘いが、恋人であるヒノハが1番大切なのでここぞと言う時は恋人を優先する。
ユウリ(女)
幼なじみ7人組の1人。ノイルの経営するカフェで一緒に働いていてノイルの彼女。
ヒノハ(女)
幼なじみ7人組の1人。ミズキの彼女。ミズキのことが大好きで冗談半分でタカラにライバル心を抱いてるというネタで場を和ませる。
リヒト(男)
幼なじみ7人組の1人。冷静な目で幼なじみ達が恋人になっていく様子を見守ってきた。
謎の男性
街でキイチが見かけた毎日夢に出てくる後ろ姿にそっくりな男。
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
【完結】僕の大事な魔王様
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。
「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」
魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。
俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/11……完結
2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位
2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位
2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位
2023/09/21……連載開始
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる