或る二人の戯れ

千木

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3話

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 セイは怒っていた。
 呆れと、心配と、その他諸々の感情が複雑に絡み合い入り混じり、その結果、心情は驚くほど綺麗に「怒り」として纏まった。人前では普段の様相を崩さず、街から外れた途端、その歩幅は明らかに不機嫌な大股に変わる。手に粗末な鉄パイプを握り、真っ直ぐに"あの森"に向かうその顔に、少しの笑みも無い。

「あの野郎」

 他人にはおそらく聞かせてはならない、低く地を這うような声音で吐き捨てる。もちろん周囲に人が居ないことを確認してはいるが、普段の鈴のような美しい声はどこへやら……とにかくそれだけセイは怒っていた。そのまま規制線をくぐり、森へ躊躇いなく足を踏み入れる。
 いつもの時間に教会へ迎えに行ったら、レンの姿が見えなくて。やたら落ち着かない様子のシスターたちを問い詰めて。ことの顛末を聞き出し、あれからレンが帰ってこないと。アンナという少女は「わたしのせいで」とずっと部屋の隅で泣きじゃくっていた。その頭を優しく撫でて、敷地の隅で廃棄を待つだけの鉄パイプを一本拝借して、今に至る。

「(森に入る理由にしたのはわかりきっている)」

 もちろん、アンナを助けるため。ぬいぐるみを取り戻すため。それもあるだろう。しかし、いくらなんでも一人で行く理由にはならない。危険なら尚更だ。レンの「他の人を巻き込ませたくない」という優しさと相反して「森を探索したい」という好奇心が垣間見える。
 人に心配を掛けるだろう状況で、長居をするような人ではない。特に幼い少女の涙を悪戯に誘うようなことはしない……筈だ。多分。自信を持って言い切れないのは、レンという人間がその実かなり利己的であるのを知っているからだった。とはいえこの状況で何か強いイレギュラーが無い限りは、引き返して出直すだろう。だからこうしてまだ戻らないということは、その「何か強いイレギュラー」があったのだろうというのが、セイの予想だ。

「(いくらその場の流れとはいえ)」

 一人で行く奴があるか、と舌打ちする。なんなら一度戻った後、レンは再度森に入ったというではないか。その間にワンクッション置くことは可能だったのに。その結果、もし危険に晒されていたりしたら。もし、動けないほどに怪我をしていたら。

「(絶対に許さない)」

 森に入ると、真新しい獣道があった。レンのものだろう。それに従って進む。薄暗いとはいえ、視界が悪いというほどではない。暫くして地面が露わになった場所で立ち止まる。異様な気配が自分を包んだのに気がついた。生い茂る葉の間から日光が薄く糸を垂らす。太い木の表面を指でなぞると、立派な幹に一発の銃弾がめり込んでいた。

「銃……持ち歩いていたのですか。しかし、それを撃ったということは、」

 背後で《何か》が動いたことで、独り言は途切れて消える。
 木を背にして振り向くと、なんとも形容し難い黒い《何か》が、辺りの空気を侵食するように漂っていた。リグレットに近い、しかし気配が違う《何か》。煤の塊のような、蟲の群れのようなそれは、友好的には見えないものの特に襲ってもこない。それでも本能が「触れてはならない」と警鐘を鳴らしていた。
 対峙して暫し、何もしてこないそれを刺激をしないように、セイは先に進んだ。《何か》は追ってきた。走ってみれば、それもまたスピードを上げる。止まって振り返ると、それは……止まらずにセイを飲み込もうとした。

「あぁ、邪魔です」

 しかしセイはそれに恐怖しなかった。そもそもそういう非科学的なモノを相手にしていた経験があったから。それと、今は虫の居所がかなり悪かったから。鉄パイプを思い切り振り下ろすと、《何か》は散り散りになった。気味悪く蠢きながら、ゆっくりと一つに戻ろうとする。その間に、セイは先を急いだ。
 倒せないようだが、動きを止めることは出来る。それがわかれば、進むことを優先した。修復を終え、再び追いかけてくる《何か》を、鬱憤を晴らすように叩き殴っては、進む。
 途中で獣道が異様に歪んでいた。その横を見れば木々の合間に崖が見える。一瞬嫌な予感が脳裏を過ぎったが、しっかりと見渡すと奥に進める小道が見えた。まだ、先がある。無事を祈るセイの背後に、《何か》はいつの間にか二手に分かれて迫っていた。

「しつこい」

 二つの塊を一気に殴り倒す。実体が無いように見えるのに、身体には攻撃をしている手応えがあった。リグレットにそんな反動はなく、紙を破くような印象だっただけに、余計に気味悪く思える。
 それにしても修復スピードが速い。後ろを振り向いた途端、《何か》は奇声を上げた。それは鼓膜を劈き身体を震わせたが、今のセイには効果が十分でなく。一層腹立たしくなったのかもう一度鉄パイプを叩き込んだ。

「まさか、こんなものにやられていないでしょうね……!」


**


「……騒がしい」

 沈黙を破ったハヲの呟きに、向かいに座るレンは首を傾げた。
 屋敷に案内されてから、最低限の話や質疑応答をしただけで、まだそう時間は経っていなかった。手元の紅茶はまだ芳しく香っていて、レンの鼻を擽る。嗅いだことのない、しかし好感の持てる香り。椅子を引く音に合わせてレンも立ち上がると、ひんやりとした指が手の甲に当たった。

「足元、」
「うん、ありがとう」
「……」

 その手を素直にとり、レンはゆっくりと歩く。心地の良いカーペットの感触と、僅かな段差。空気の流れが途切れた室内は、物の配置等を把握するのに気を使うから、こうしてハヲが手を引いてくれるのはありがたい。
 ハヲは口数が少なく、素っ気ない言葉を使うが、盲目なレンを気遣い、手をすっと差し出す仕草は、見えずとも洗練されていることがわかった。エスコートをし慣れている。彼の育ちの良さ、紳士的な部分が感じとれた。
 肌に塩気を帯びた風が当たる。バルコニーに出ると、その下には先ほどまでレンがいた森が広がり、奥には街と、港、海までが一望出来た。レンの視力が正常であったなら、絶景と呼べただろう。
 その森の、屋敷に近いところ。本来なら人が入って来ないだろうところで、確かに聞こえる葉の擦れる音と、感じる人の気配。しかしレンに感じられるのはこの段階ではまだ僅かで、室内にいたハヲがどうやって察したのか問う前に、ハヲが口を開いた。

「知り合いか」
「えっ?」
「金髪で、鉄の棒を振り回している」
「……あぁ、うん。じゃあ間違いないかな」
「……。"アレ"の相手を、あんな棒一本で……?」

 隣のハヲの声音に、若干困惑が混じる。それとは違う意味で、レンも溜息を吐いた。

「早いな。こんなところにまで迎えに来させるつもりは無かったのだけれど……」

 教会で聞いたのだろう。時間的にもそろそろ危ういだろうと思ってはいたが、まさかこんな短時間で追いつかれるとは。ここまで一人で来てしまう彼の強さには、正直感服せざるを得なかった。

「あれだけ多く引き連れて、よく無事で……しかし、埒があかないだろうな」
「僕、いこっか?」
「ッ、」

 急に知らない声がして、レンは振り返った。中性的なその声の主もまた、気配がなかったのだ。驚いたレンの、問いを紡ぎかけた唇に人差し指を置いて、その声の主は……三階以上の高さがあるバルコニーから飛び降りた。

「……まだ何も言っていないだろうが」

 ハヲの溜息と、唖然とした表情のレンだけがその場に残された。


**


 建物が見えた。少し古い仕様の、アンティークのような屋敷。外装は綺麗で廃墟には見えなかったが、その全貌は、未だ木々が視界を遮って確認することが出来ない。崩れた塀の瓦礫があちらこちらに飛び散っていて足場が悪い中を跳ねるように、セイは何度目かの攻撃を捩じ込んだ。
 気づけば随分広範囲に《何か》が集まっている。増殖したのか、走り回るうちに四方八方のそれを引き連れたかはわからない。早く屋敷の方を捜索したいのに、倒すことが出来ないままでは仕方なく、ここに来てセイはどうするか思考を巡らせる。それを、不快な音波が遮った。

「大丈夫かい?」
「……は?」

 ふと、頭上で声がした。察知出来なかった気配に身を強ばらせるが、その声はセイを通り越して《何か》との間に立ち塞がった。栗色のボブカット、両手に細い剣。華奢な身体のシルエットは、再度セイに問い掛ける。

「大丈夫かい?って」
「……はい。なんとか」
「そりゃ凄いねェ。じゃ、その強さに免じて、僕が倒してあげちゃおう」

 首だけで振り返られ、視線がぶつかる。深い紫の瞳が悪戯っぽく細められ、それが外された刹那。

「……」

 息をする間もなく。彼の身体はしなるように飛んで跳ねて、瞬く間に《何か》を薙ぎ倒していく。斬られた《何か》は霧散して、再び纏まることも出来ず、風の中に消滅していった。剣を何度か振ってから腰の鞘に戻すと、今度はしっかりとセイと向き合って、肩を竦めた。

「変な客が立て続けに来るもんだな。普通の人間は、"アレ"を相手にするのは大変だと思うよ?」
「立て続け……。ということは、」
「あの目の見えない神父サマの嫁さんだろ?」
「……」
「ありゃ、旦那だった?」
「そこはどうでもいいですよ。お邪魔しているようですね」
「うん。ハヲくんが珍しく拾ってきてね」
「……良かった」
「……」
「……じゃない。彼は何処に?」
「そこ」

 安堵したセイの言葉に、少しだけ目を丸くした彼は、すぐにへらっとした表情に戻って指を差す。少し歩いて現れた屋敷の、大きく白いバルコニーに、二人の姿が見えた。端正な顔立ちの、背が高い見知らぬ男の隣に、にこやかに手を振っているレンを見つけて、一瞬姿を眩ませていた怒りがふつふつと蘇る。明らかに険しくなる表情を覗き込んだ彼は「あらら」と漏らした。

「君も大変だねェ」
「……いえ。助けてくれて、ありがとうございました」
「いいよ。君達には僕もちょっと興味があるしさ。上がりなよ。……えーと?」
「セイです」
「そっか。僕はカズハ。じゃ、どーぞ?中は存外綺麗だから」

 カズハと名乗った彼は大雑把に扉を開けると、さっさと中へ入っていく。セイはもう一度バルコニーを見上げ、そして舌打ちをした。

「首を洗って待っていなさい、クソ神父」
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