DiaryRZV500

深町珠

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The Motor

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[ザ・モーター]

兄がいすゞへ入り、横浜に行ったが
週末に帰ってくる。

その時買ってくるこの雑誌に・・・・そのH小説が書いてあって
当時、子供だったオレはそれが楽しみだった。

西本正左衛門、と言う人の(変名だろう)
オホーツク御朱印船、とかたまきん商売とか。

内容は、まあ、あってないようなもので。ロマンポルノみたいなスジだった(笑)。

サバンナRX-3のレースカーを買ってもらうために、体を売る青年とか。

オレも売ってみたい(笑)。



[音楽]




オレは音楽が好きで、どっちかと言うとバイクはその後、みたいな感じだった。
兄がTY50を買ってきてから、くらいだろう、バイクが気に入ったのは。 

74年だったかな。

ヤングマシンの表紙に、小林麻美ちゃん(当時17)が
跨っていた写真が載ってて。

ヤングマシン、柔らかめでいい雑誌だった。

レーサー崩れみたいな人が少なかったのもあってか。

ふつーの人が見て楽しい、そういう雑誌。
かわいい女の子が出てたり、ツーリング記事が多かったり。
バイクの整備とか。

どのバイク買ったらいいか?みたいな企画でも

同じ排気量のバイクを全部、ツーリングテストして。
それと、性能データーを全部書いてあったり。

マジメに作っていた感じである。


90cc全車、なんて記事もあって。見たこと無いようなバイクの
テスト記事。みんなでツーリングして、その燃費とか、壊れるとこ、とか。
役に立った。

このバイクいいなぁ、と思ったり。

1000kmテスト、なんてのもあって
編集部員が普通に使って、1000km走る。


そういう、ふつうの人が使って役に立つコトが載っていて。



サーキットのラップが何秒とか、そういうオタッキーなコトよりも
普通の人が読んで楽しい。

だから、売れたのだろう。

[TY]

んで、TY50である。



スリムなデザイン、競技用そっくりなイメージ。

なんだけど、50ccだからトライアルはそれなり。

河原の土手を上り降りするくらいの感じだった。


でも、それなりに乗ってて満足するバイク。


ここが大事で。


気分が大事、なんだな(^^)。


兄は女に弱いので、それで身を崩した。
親父と同じである。



[女に弱い]


そーいうのは家系らしい。
そういえば坊主とか、役者とか多い家系である。

オレも、そのツテを使えばミュージシャンになれたかもしれないが
残念、才能が無かった。


これは自分で解る。

売れるような曲を作る才能が、ない。


好きな音楽をするのは楽しいけど。


[兄の一生]

それで、チチとハハに翻弄されて
逃げ出したら、ヘンな女に捕まって(笑)。

生まれた子供が難病で。

アタマがヘンになって、宗教に縋った。
んで・・・交通事故を装って死んだ。


その事実は、オレだけが知っている。

不運・・・といえば不運だが。

オレに言わせれば、そんなもの切り捨てないからダメなのだ。


ヘンな女に引っかかったって、嫌なら切り捨てればいいし
チチハハが何言っても、成人したら自分の人生である。

ね。

今考えると、難病の息子が自分の子かどうかも怪しい(笑)。

[90年代]

音楽が流行っていたので、いろんなオーディションにテープを送ったりした。
作るのが楽しかったのもある。

サラリーマンで暇だったから、のもある。

オーディション、流行ってたし。



当時、ヤマハからDX7と言うシンセが出て、ドラムマシン・シーケンサ・MTRで
ひとりで音楽が作れた。


それを買い込んだのは、タクシードライバー時代で

今でもあるが。


暇が出来たのもあって、曲を作ったりして
ちょこちょこ。テープを送っていた。


70年代の音楽みたいなのが好きで。

フィフィス・ディメンションとか、シュープリムスとか。
ああいう感じのをひとりで、インスト中心でやってて。


それはそれなりに面白かった。


でもまあ、あんまり・・・レコード会社だって面白いとは思わなかったらしい。

売れそうには見えなかったんだろう。



別に、それでも良かった。売れたいとも思わなかったし。


でもまあ、音楽を作るのは面白かったから


その経験が、後々、物理モデルなんかの時に役に立ったりするから
なんでもやっとくもんだ、と思う。



それが、後半のオレの仕事になっていくのだが。
どこでどう転がるか解らない。ホント。

ダイスをころがせ、ではストーンズ、だが(笑)。
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