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深町珠

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三バカらーず

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日記 1977

【三馬鹿ら’sとの出会い】

不思議な縁、というのか
彼らとはオートバイ仲間、と言う訳じゃない。

最初の出会いは、Nか山。

その頃は坊主頭の高校生、なぜ坊主かと言うと
田舎で一番レベルが低い高校なので、毛を伸ばしたりすると

リーゼントやパーマにしたりするので(笑)できないようにした。


そういう事らしい。

俺は、一応県立だったから
坊主は免れた(が、クラスメートのU原のように
悪い事して罰でそうなる奴は居た(笑)。


でも、Nか山はツッパリではないので
ふつうの坊主。


彼と出会ったのは、イトーヨーカ堂のバイト。
夏休み、俺はバイクのガソリン代稼ぎで。
Nか山は当然、バイク禁止なんだが
隠れて乗っていたらしい。

丸坊主だとすぐ、「あのバカ高の生徒」とばれるので
ヘルメットをかぶっていた。


この当時は、50ccはノーヘルでよかったのだが。


それで、汚いヘルメットをかぶってサングラス、なんて格好で
ミニトレとかパッソルで、股開いて乗る(笑)のが
当時の流行りだった。


それで、バイト先にくる。


♪ぺーん、ぺんぺんぺんぺん

と、2サイクルの響きと共に(笑)


時々、駐輪場の杭に引っかかってたりしたが(笑)



それで、バイトに遅刻(笑)


時給450円のバイトだから、そうそう遅刻してると
ガソリン代にもならない。


それで、杭にぶつかってバイクを壊してると
バイクの部品代にもならないらしく(笑)

最後の頃は、自転車で通ってたNか山である。


U原とは中学が一緒で、なんとなくおとぼけ加減も
似てる。(笑)

地域性だろうか、同じ中学のKき崎なんかも
同じ感じののんびり風、だった。


最近の尖ってるバカとは違って、昔はツッパリでも
心にゆとりがあったような気がする。


ツッパリでもなんでもない、三バカのもうひとり、Nし山も
この頃は尖ってなかった。

大人になって夜の蝶になってからも(笑)。

いい時代だったのだろう。
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