汽車旅つれづれはなし

深町珠

文字の大きさ
上 下
6 / 38

東京~上野

しおりを挟む
 "はくつる81号" は、昭和の香りを乗せて



<その4> 東京~上野




大井町、....品川...田町...浜松町..
ブルーのラインの京浜東北線電車は、軽快なレールの響き、
なんとなく私鉄という印象がするモーターの響きを連れて夕暮れの街を行く。

帰宅ラッシュの時間だが、さすがに盆とあって、それほど混んではいない。
少々歩き疲れたので、空席を見つけて座る。
209系の座席はもちろんロング・シートで、座り心地をうんぬん、というよりは
座れることが有り難い、という都会の電車の椅子だ。
背ずりも座面もどことなく、自動車のチャイルドシートのような感触。
プラスチックの弾力を感じる。
先程まで乗っていた113系の、鉄とばねの重厚な感じのものとは隔世の感がある。
....などと、考えている間もなく、高架線にいつのまにか上った電車は東京駅へとすべりこむ、

上野に行くにはまだ早いので、ちょいと時間潰し。
東海道ブルートレインが、ぼちぼち何本か出る時間だから
ちょっと見ていこう。

始発駅に入線する寝台列車というものは、何度見ても良いものだし。
と、コンプライアンスを感じる座席を立ち、ザックを肩にホームに降り、
階段を下りコンコースへ。
海側(というか、八重洲側)の方向、新幹線ホームの側が東海道線ホーム。

18時ちょっと、という時刻。
東海道線ホームには「出雲」が入線していた。


東京駅に入ってくるブルートレインも年々すくなくなる一方で、ついこの間も「瀬戸」が
285系電車になったばかり。
オール個室とあって、それなりに人気を博しているようだが、客車寝台が消えて行くのは
少々さびしい。



「出雲」は直ぐに発車してゆき、「あさかぜ」が入線してくる。



この「あさかぜ」も現在は下関止まりになってしまった。
EF66型電気機関車も、年月を重ね、そろそろ世代交代が噂されている。
貨物機ではすでにEF200、EF210に交代したようにも見えるが、
特急列車の牽引ではまだまだこのEF66型が主流のようだ。
と、いうよりも、寝台特急列車の需要が減っているので
こと九州方面では、新型車両の導入がためらわれている、という状況のようにも思える。
北海道方面では、E26系の新造など、好況が聞かれるだけに
昔日の東海道ブルートレインを知る者としては、寂しいかぎり。

もっとも、この状況には分割・民営化の影響もあるであろう。
現在、この「あさかぜ」はJR西日本の車両受けもちだが、
「富士」「さくら・はやぶさ」などはJR九州の受けもち。
聞くところによると、長距離列車の運賃収入は走行する区域ごとに
それぞれの運営会社に振り分けられる方式だ、という。
この場合では、JR九州が車両を作ったとしても列車はその走行距離のほとんどを
九州島外を走ることから、運賃収入の大半を西日本、東海、東日本が受け取る事になり、
九州としてはそれほど旨味が少ない?ことになる。
こんな状況が、完全民営化で変化すればいいのだが。
例えば、経営合理化のための合併などが起これば、こうした不平等も起こりにくくなるだろう。

などと、とりとめのない事を考えていると、EF66-45は、ヘッド・ライトを上下に。
そろそろ出発準備のようだ。



写真はここです
     ↓
http://203.174.72.111/c62_/view/asakaze.jpg
http://203.174.72.111/c62_/view/ef66-45.jpg



盆の時期であったが、乗客はそれほどでもない。
それでも、寝台は7割くらいは埋まっているように見える。

小さな子供連れの家族、60代くらいの夫婦、見送りの若夫婦....

小学生の坊や、コンパクト・カメラを持って。ストロボを焚いてEF66の勇姿を
収めている。
僕が補助光なしで撮っているのを興味深そうに見ていた。
それとも、年代ものの僕のカメラが珍しいのか、
一眼レフがほしいのか。


30歳くらいの鉄道ファン風の父親に連れられ、B寝台車両の
デッキを上っていった。

彼も、いつか僕のようにひとり旅に出、ホームの情景に
自らの幼い頃の姿の幻影を見たり、するのだろうか...。


などと、ちょっと回想的になるのも、旅立ちの夕暮れのせいかな。

始発駅にたたずむ寝台特急列車は、何も語らず。
しかし、長い年月を経た風格を漂わせ。
いくつもの"旅"を数かぎり無く運んできた、のであろう。
その青い車体の細かなきず、ひとつひとつが過ぎし年月を感じさせる。


写真はここです
     ↓
http://203.174.72.111/c62_/view/asakaze2.jpg



583系"はくつる"が上野に入線するのは21時過ぎ。
まだ、20時にもならないが、そろそろ上野駅に向かうとしよう。
食堂車は、編成に入っていないし、車中では冷水くらいしか手に入らない。
(あれはあれでまた、風情があって良いのですが)
しかし、何か食料を手に入れておかないと、少々さみしいと思う。

北海道行きの寝台列車は、おおむね出発してしまっているので
今から上野に行っても鉄道ファン的な楽しみはあまり無いだろうが。

とにかく背に腹は変えられず(?)東京駅を、今度は山手線に乗り、上野に向かう。
高架線から見る、神田、御徒町、秋葉原...という商業圏の地区は
景気後退、という言葉が思い浮かばないように活気ついて見える。
思わず、秋葉原など途中下車して部品を買いに行きたくなってしまう。
(が、オーディオのパーツなど背負って旅行するのも大変なので、あきらめる)

多少、混雑してきた山手線電車を降り、階段を下って上野駅地平ホームへと。
単端式、行き止まりのホームは昔のままだが、あちこち改修が加えられて
随分と都会的な印象になり、かつての「上野は俺らの心の駅だ」という雰囲気は
ほとんど感じられない。
ホーム端、尾久方向の端まで歩くと、そこには無数に感じられる程のレール、ポイントが幾重
にも重なり(日本で一番多重な路線であるとか)かつて、東北特急が華やかだった頃を
僅かに思わせ、そこだけが不変だ、という印象....

などと考えに耽っていると、113系湘南色電車が入線。
常磐線快速のようだ。
突然、現実に引き戻された感があり、さて、夜行の旅支度をせねば、と改札を抜ける。
改札氏、周遊切符をしげしげと眺めていたが、途中下車印は押してはくれなかった。
途中下車などする者も少ないのであろうか。


改札脇にあった古びたレストラン(いこい、だったか、ひびき、だったか..。どうも急行の
愛称のような名前だった)、は、改装中とかで青いビニールシートで覆われていた。

よく、ここでオムライスなどを食し、時間潰しをしたのだが今日は他をあたろう。


コインロッカーに荷物を預け、高架の線路脇の道路を尾久方向へ歩く。
夜もすっかりふけ、あたりにはホームレスの若者やらでやや異様。
昔からこの上野界隈にはこういう雰囲気があり、このあたりは昔と何も変わらない。

街灯が少なく、暗い舗道をしばらく歩く。
かつて、国鉄時代はこのあたりに乗務員宿泊所があり、僕も何度かお世話になった事がある。
当時としては近代的な鉄筋コンクリートの建物で、冷暖房完備、という贅沢な感じがする
設備だった。
その頃の僕の家には冷房などは無く(3C、などという流行語が聞かれ始めた頃だった)
この宿泊所に泊まるのが夏休みの楽しみのひとつ、でもあった。
今思うと、当時、国鉄時代というのは随分と鷹揚なものだったのだ、と思う。

だが、乗務員宿泊所は形跡すらなく、雑居ビルとか安ホテルなどが立ち並んでいるだけの
暗い裏通りを歩くのにも疲れ、コンビニエントで買い物をして駅に戻ることにする。

夏の旅行、というといつも冷たい飲み物にかなりの金額を費やす僕なので、
今回はちょっと頭を使って.....
氷を買い、それを麦茶で溶かしながら飲む事にする。
これならば、両方でも500円にもならず、一晩くらいは楽しめる。
氷のビニール袋も、開け口をしっかり輪ゴムなどで止めておけば水漏れの心配もない。
あとはコンビにのポリ袋でハンガーなどに掛けておけばいい。
タオルなどで氷の袋を包んでおけば、結露で寝台を濡らすこともなく、タオルも冷えて
丁度良い。


夜食のおにぎり、菓子などを買い、少々気味悪く思えてきた高架脇の道路を早足で戻る。

上野駅に戻り、改めて改札前のホールをぐるり、と眺めてみると、天井は昔のままだった。
(その後、改装され変化したようだが)
かつて、二階にあったはずの車掌区は、どこに移転したのか見当たらない。
広い階段の踊り場正面に、墨書で「おかえりなさい御苦労様」と額に入った駅長の書?があり
二階から下る時には「元気でいっていらっしゃい」と掲示されていたことなどを
不思議と新鮮に記憶しているのだが、その階段のあったあたりが
どこだったか、は思い出せなかった。

当時と良く似た作りの、木の手すりのある階段を見つけたので上って見ると、
中二階の所に古びた喫茶店があったので、そこでひとやすみする事にする。

天井が低く、薄暗い、ばねが痛んで擦りきれたクッションの椅子。
僕と似たような列車待ちの乗客らしい客が数人。

東北なまりが聞こえてくることに、妙な安堵感を覚える。
寂しくなると上野に来て、東北弁を聞きに来る、と言っていた文士がいたっけな。

などと、妙に落ち着くこのひなびた喫茶店で、アイスコーヒー一杯で40分程休憩する。
(失礼。)

そろそろ21時、というあたりで荷物が気になり、店を出る。
というのも、コインロッカーが21時閉鎖?の所もあるからで、
以前読んだ旅行記で、閉鎖されたゲートを飛び越えて荷物を取った...
とあった事を思い出したから、だったのだが、
ここのロッカーは終日開放だった。(笑)

ザックを取り出し、改札をくぐり、入線までの時間をホーム観察。
ホーム柱に回送列車の時刻表が張ってあったりし、「回2021レ」などという表示から
推進回送の情景を思いだし、どことなく高揚感。
あけぼの号も、そろそろ入線か。

 写真はここです
     ↓
http://203.174.72.111/c62_/view/14ban.jpg


583系"はくつる81号" 8001Mの入線は21:14分。
なぜか出発の30分近くも前に入線するが、これも長距離特急の本来の姿。
遠い、過去の記憶を手繰ってみても、やはり寝台に荷物を置いてから、
弁当とかお茶などを買いに行っていたような記憶がある。
そう思い、ここ東北線ホームをぐるり、と眺めて見ると、
駅立ち売りの弁当売りの姿は無いけれど、ホームの売店はコンビニエンス・ストアのように
様変わりして、乗客もそれぞれに普段のライフ・スタイルのように利用している。
日常的、という点ではおよそ非日常たる旅立ちには相応しくはないが、
まあ、この施設も常磐線昼行特急などを利用するビジネス客などには便利なシステム。
鉄道のスピードアップが旅のスタイルを変えてゆくのは自然なことだと思う。
鉄道などなかった頃には、自分の足で歩いていったのであろうし。
「水戸黄門」の主題歌のように(笑)...最近、歌詞が変わったようだけど....。

 写真はここです
     ↓
http://203.174.72.111/c62_/view/hitachi.jpg
http://203.174.72.111/c62_/view/hitachi2.jpg



しかし、乗り物に乗る、というスタイルが変化しないだろうから、何に乗るか、で
旅の趣は大きく違ってくるだろう。
鉄道、自動車、飛行機.....この他は、しばらくの間は出現しないだろう。
...などと、考えていると、そろそろホームが騒がしくなってくる。


「業務連絡、トーロクバン、ニュウセン、列車接近!」

なんていう構内放送(アナウンスとは呼びたくない感じ^^;)がせわしく響いていた頃をふと、
思いだす。

この構内放送の声の感じも、昔と同じ、雰囲気とか、話し方、とかも。
あれから30年は過ぎているはずだから、同じ人ではない....だろう。
駅によってそれぞれ特徴のある、こんなところも僕のような旅行好きには
「上野、東北夜行」の雰囲気を作る大事な部分だ。

やはり、上野駅、というと駅員さんの太い声で「業務連絡!」とやってくれるとそれらしい。

機械仕掛けの録音のアナウンス、にはなってほしくないな。

僕は、カメラをザックから撮り出して、レンズをセットしながらホーム端、尾久方向へと歩いた。
もちろん、威風堂々たる583系の勇姿を収めるためだ。
最近はデジタル・ヴィデオを持参して、音の収録もしている。
小型軽量になった器材のおかげで、気楽に持ち運べるのはとても有り難い。
肩掛けベータムービー、の頃からすると日進月歩の感がある。
あの頃は、ヴィデオ撮影というと器材が重くて、気合が必要だったのだが、
現在では軽いカメラが普及して、気軽に持ち歩けるようになった。
時代の変化、技術革新。
その、発展に貢献した技術者たちも、この583系は運んで来たかもしれない。
そう思うと、ほほその使命を終え、静かな余生をおくっている583系を
技術革新の賜物であるディジタル・ヴィデオで撮影することは
なんだか、孫が偉大な祖父に敬意を表しているかのようにも思えて...

.....遠く、レール・ジョイントを踏み締めるような重厚な音。
.....遥かに、線路がヘッド・ライトに照らされて。
.....それは、交差したポイントを輝かせて。

幾つもの輝線は重なりあい、それは一直線に近づいて。
やがて、発光点はゆっくり、と

近づいて、くる。

特徴的な3つのヘッド・ライトが近づいてくる。
厳かなムードさえ、漂わせ。

上野駅14番線の天井に触れて(しまいそうに見えるほど)
車両限界一杯のボディは、あの頃のままのクリーム色で。
レールジョイント音も重厚に、クハネ583が現れる。

鶴の意匠に、"はくつる"。
貫通扉は埋められてやや、趣は異なるが、長い年月を経たヘッドはそれでも風格すら感じさせる。
冬期など、隙間から寒気が侵入するので、運転士はこの措置を喜んだ、とか。
以前、運転台に添乗した記憶でも、足元の通風はかなり良かったようで、
その頃は貫通路の隙間を、ガムテープで目止めしてあった。(笑)。
東北路では、使われた記憶のない貫通路なので、このような措置が取られていたのだろう。
(西の方では、臨時列車などで485系と連結されたことがあるそうだが)。
東北の冬は厳しく、夏ですら通風の良い貫通路は、さぞかし冬は.....


 写真はここです
     ↓
http://203.174.72.111/c62_/view/kuhane583.jpg
http://203.174.72.111/c62_/view/kuhane583e.jpg



無数の傷、へこみ。
先頭はどうしても傷みが目立つが、この編成は2編成ある内、比較的外装状態の良くない方
であるから....
それというのも、外装が良い方の編成は、高校野球の臨時列車として、甲子園へ遠征している
のであるから(必勝号。)まあしかたない。
半ば恒例となった多客時臨時列車よりも、583系仕業の行方を左右するであろう
臨時列車の仕事に重きを置いたか、さて、高校野球の勝利へのゲンかつぎか。

いずれにしても、傷みの目立つ編成である。
中間車両なども錆、塗装割れなどが多数発生している。
青森留置の車両は、583系のみならず24系なども傷みが目立つ車両が多いが、
同じような路線区を走る北斗星などと比較しても傷みが多いのは
青森の留置線が、海に近いからか、それとも厳冬のためか。

9連であるとほとんどの車両が電動車、という力強い編成は重量を感じさせる車輪の響きを
轟かせ、ゆっくりと14番線定位置に停止した。




-------|以下、次回に続きます..|-------

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

タビスルムスメ

深町珠
青春
乗務員の手記を元にした、楽しい作品です。 現在、九州の旅をしています。現地取材を元にしている、ドキュメントふうのところもあります。 旅先で、いろんな人と出会います。 職業柄、鉄道乗務員ともお友達になります。 出会って、別れます。旅ですね。 日生愛紗:21歳。飫肥出身。バスガイド=>運転士。 石川菜由:21歳。鹿児島出身。元バスガイド。 青島由香:20歳。神奈川出身。バスガイド。 藤野友里恵:20歳。神奈川出身。バスガイド。 日光真由美:19歳。人吉在住。国鉄人吉車掌区、車掌補。 荻恵:21歳。熊本在住。国鉄熊本車掌区、車掌。 坂倉真由美:19歳。熊本在住。国鉄熊本車掌区、車掌補。 三芳らら:15歳。立野在住。熊本高校の学生、猫が好き。 鈴木朋恵:19歳。熊本在住。国鉄熊本車掌区、車掌補。 板倉裕子:20歳。熊本在住。国鉄熊本車掌区、車掌。 日高パトリシアかずみ:18歳。大分在住。国鉄大分車掌区、客室乗務員。 坂倉奈緒美:16歳。熊本在住。熊本高校の学生、三芳ららの友達・坂倉真由美の妹。 橋本理沙:25歳。大分在住。国鉄大分機関区、機関士。 三井洋子:21歳。大分在住。国鉄大分車掌区。車掌。 松井文子:18歳。大分在住。国鉄大分車掌区。客室乗務員。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

肥後の春を待ち望む

尾方佐羽
歴史・時代
秀吉の天下統一が目前になった天正の頃、肥後(熊本)の国主になった佐々成政に対して国人たちが次から次へと反旗を翻した。それを先導した国人の筆頭格が隈部親永(くまべちかなが)である。彼はなぜ、島津も退くほどの強大な敵に立ち向かったのか。国人たちはどのように戦ったのか。そして、九州人ながら秀吉に従い国人衆とあいまみえることになった若き立花統虎(宗茂)の胸中は……。

鉄道学校2年F組

深町珠
ファンタジー
とある国の鉄道職員養成高校。 クラスメートの4人、めぐ、リサ、naomi,れーみぃは 廃線になった軽便鉄道を再生、保存鉄道とする実習を始めます....

お盆に台風 in北三陸2024

ようさん
ライト文芸
 2024年、8月。  お盆の帰省シーズン序盤、台風5号が北東北を直撃する予報が出る中、北三陸出身の不良中年(?)昌弘は、ひと回り年下の不思議ちゃん系青年(?)圭人と一緒に東北新幹線に乗っていた。  いつまでも元気で口やかましいと思っていた実家の両親は、例の感染症騒動以来何かと衰えが目立つ。  緊急安全確保の警報が出る実家へ向かう新幹線の車中、地元に暮らす幼馴染の咲恵から町直通のバスが停まってしまったという連絡が入る。  昌弘の実家は無事なのか?そして、無事に実家でのお盆休暇を過ごすことができるのか!? ※公開中のサブタイトルを一部変更しました。内容にほぼ変更はありません(9.18) ※先に執筆した「ばあちゃんの豆しとぎ」のシリーズ作品です。前作の主人公、静子の祖母の葬儀から約20年経った現代が舞台。  前作を読んでなくても楽しめます。  やや残念気味の中年に成長したはとこの(元)イケメン好青年・昌弘が台風の近づく北三陸で、鉄オタの迷相棒・圭人と頑張るお話(予定)   ※体験談をヒントにしたフィクションです。実在の人物、団体とは関係ありません。 ※題材に対してネタっぽい作風で大変申し訳ありません。戦乱や気象変動による災害の犠牲が世界から無くなることを祈りつつ真剣に書いております。ご不快に思われたらスルーでお願いします。  

山の秘密のアイスクリーム屋さん

O.K
エッセイ・ノンフィクション
物語は、無断で山に入る主人公が、山の中で美味しいアイスクリームの秘密を見つけ、山を買い取りアイスクリーム屋さんを始めることになるという冒険と成長の物語です。主人公は地元経済の活性化や環境保護にも力を入れ、成功と責任感を兼ね備えた新しい人生を歩んでいます。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...