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序
しおりを挟むどうして鉄道が好きなのだろう、と時々思うことがある。
幼い頃の家族旅行で乗車した列車の、蒸気機関車のドラフト。
近所を走っていた、つりかけ電車のモーター音。
気動車の、機械っぽさ。惰行運転時の、レールジョイント音。
記憶の断片が、浮かんでは消える。
僕の場合は、夜行列車の思い出が
きっかけだったように思える。
父の郷里は青森で、そこへの往復は1960年代では必然的に夜行に
ならざるを得ず、その体験は子供心にとても魅力的な非日常であり
夜遅く、列車で眠る。起きていても叱られない、というだけでも
とても興奮した記憶がおぼろげに残っております。
列車が停車し小さな明かり取り窓から外を見ると、薄暗い駅の構内に
待機しているC62の勇姿、であるとか、
(これは、おそらく常磐線の平駅あたりの情景だろう)
雪明かりに照らされた深夜、行きすぎる貨物列車を率いるD51の
頼もしい汽笛の音、とか。
僕の場合、祖父、叔父が国鉄職員であり、こうした列車の乗務員で
あった事も関連ではないかとも思え、
大人への憧れ、のようなものもいくらか混じっていたか、とも。
普段優しい祖父が、厳しい表情で指差喚呼する、その制服の白い袖
とか、赤い腕章であるとかにそれは象徴的に記憶されて
奇妙な愛着をそれらに感じたりも。
だいぶ、枕が長くなりましたが、このmail-magazineを始めようと
思ったのは、そうした懐かしさへの回帰、であるかもしれず、
さて、読むに値する物に為りうるか自信はないのではありますが、
よろしかったら、おつきあいください。
さて、第1回としては、そういう思い出の断片から綴らせて頂こうか、
と思います。
最初に夜行列車に乗った記憶では、おそらく昭和40年頃の事、
常磐線経由の三段寝台列車であったように記憶しているので
おそらく「ゆうづる」であったか、と思えます。
当時、僕は目黒区碑文谷に住んでおり、行き交う東横線電車の
丸っこい車体の緑色、が妙に印象されているので
それ以前から鉄道は好きだったのかもしれません。
寝台列車、というのは今も昔も特別な意識を持って見てしまいますが、
まあ、そう滅多には乗れない、という料金もその理由ではないか、とも
思えます。
当時の感覚からしても寝台料金というのは高かったと思え、
この時も私は子供だ、ということで下段寝台に母と寝たような記憶がある。
B寝台の料金は3000円だったはずだ、とはいっても当時の
3000円だから、今ならさしずめ1万円位の価値ではなかろうか。
それだけに特別な思いがあったようで、とても興奮したような記憶がある。
上野駅。
上野駅の風景は、今とはかなり違っておりまだ新幹線もなく、
地平ホームから空が見えた。また、改札口や待ち合い室なども広く、
針金で列車名札が吊るされていて、そこに自由席を求める人は並んで待つ、
というような形態で沢山の旅人が座席夜行の入線を待っていた。
しかし、ホームにも順番待ちの人列はあふれ、新聞紙を敷いて寝転んだり、
大きな荷物を持った人がそこかしこに、といった風情で、
いかにも旅情のあるものだった。
今も変わらぬ単端式の行きどまりホームに多数の特急列車が居並ぶという
状況は如何にも壮観で、とても感動を覚え、今でも上野の15番線に行くと、
当時のことを昨日のように思い、郷愁に駆られてしまう。
この時は旅行というよりは移動のようだった記憶があり、
大人たちの表情はあまり明るくはなかった。しかし、子供であった私は
夜汽車に乗れるということで単純に喜び、後日、父母から
「ずいぶん気休めになった」と聞かされたところからもあまり良い旅では
なかったようである。
20番線ホームに推進回送でゆうづるが入線する頃になると、旅が始まる
というわきあがるような思いで足元からふるえるように感じ入っていた
ように記憶している。
このあたりは、今でも同じで、情けないかとも思えるが、
まあ、趣味というのはそんなものかも知れない。
20系ブルー・トレインは...
ゆっくりと、レール・ジョイント音を響かせ、しかし軽快に静々と入線する
20系の丸い車体は、今思い出しても気品に満ちており、特別な列車なのだ、
と主張をしているかのように思えた。
交流電機の赤い塗装は、子供心になぜか怖いという印象が強く、
「やはり蒸気がいい」と当時の僕は思ったものだった。
エアの放出音がし、折り畳みの戸のロックが外れる。
20系は半自動扉のために、折戸中央に昔のバスのような握り手がついており、
これを握ることでロックを開放することが出来るようになっている。
ただ、深夜停車駅などでロックを開放し、走行風で折戸が開いて
しまう事が往々にしてあったようだ
(その割には、転落事故の噂を聞かないのは、当時は乗客も弁えていた
ということであろうか。この時も、夜中に洗面所へ行こうとすると折戸が
開いていて、ずいぶんと怖い思いをしたものだった。)
車内は明るく、天井も高く。今、似ている雰囲気を探すと、
583系位のものだろうか。
待ち人でごった返すホームをよそに、寝台列車は静かなものだ。
全席指定であるから当然なのだが、子供心に、なんとなく優越感のような物を
覚えた。
大人になると、それが逆に座席夜行を好んだりするから解らぬものだ。
近郊私鉄に慣れた体には、ずいぶん停車時間が長いように思えた。
このあたりは今も変わらないが、発車の数十分ほど前に入線する。
乗客はゆっくりと、旅立ちの感慨に浸ることが出来る。まさか演出ではない
だろうが、今も昔も寝台特急が好きな方は、案外こうした感覚的なゆとりを
楽しむタイプの方が多いのではないか、と思う。
変わらぬように願いたいものだ。
弁当売り、荷物車扱いなどが行き交うホームに人影が減ってくると、
そろそろ出発だ。
車掌がホームに出で、扉扱いの確認。指差し。赤い腕章、白い制服が
凛々しい...
この列車長は、祖父の後輩である....
笛の音が響き、圧搾空気の音、扉が閉じる。
引き出しもスムーズに、スタート・ノッチに入った電機は、滑らかに
加速に入る。
足元からのレール・ジョイント音の間隔が徐々に早くなってゆく...
上野界隈の賑々しさが車窓に。
磨かれた硝子窓に、寝台のカーテンが揺れて映っている..
常磐線は、この先で急激にカーヴして三河島へと入る。
元々は上野に入る線形ではなかったためだが、この頃は線形も今より
急に感じ、まるで遊園地の乗り物のようだった。
「この辺に、お化け煙突が見えるんだよ。」
叔父が、こう教えてくれた。当時、車掌補だった叔父は、この列車に乗務
しており、制服姿の叔父は普段と違ってずいぶんと格好良く見えて。
「いつか、僕も国鉄に入るんだ。」
こう発言し、叔父を喜ばせたものだった。
列車は次第に速度を速め、20系独特の軽快な車軸音が車内に響きはじめた。
当時、常磐線経由の列車が多かったのは東北本線の勾配、線路容量の問題で
あった。鉄道好きとしてはそのおかげでいろいろ楽しみが増えるのだが。
特に、このゆうづる号などは、当時はC62牽引でずいぶん鉄道趣味の対象と
なったものだった。
平-仙台間(だったかと記憶しているが)の間、非電化区間だけのことだった
が、それでも、最後のC62特急、と話題になったものだった。
この時の僕は、深夜でもあり、眠りに落ちてしまって実のところ何も覚えて
いない。その事が今にして残念でならない。
車内は減光され、寝台灯だけが輝く、夜となった。
僕は母の寝台でシュウマイ弁当(なせか、横浜の?)を食べ、
そろそろ眠りが誘う頃。
寝台灯は今の24系などと同じタイプで、押しボタンで点灯するもの。
現在でも、はくつる号であるとか、富士号などには時々見掛ける。
その、白い光、当時は常夜灯として白熱球がついていて、「切」を一度押すと
白熱灯の弱い明かりがつくような構造になっていた。
それをぼんやり眺めているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
当時も今も、東北へ向かう夜行寝台の客というのは何故か寡黙な方が多いよう
だ。
観光客より、用務客が多いせいもあったろう。皆、黒っぽい服装で大荷物を
持ち、黙って寝台に揺られている。もっともこれが盆暮れの帰省列車、
座席夜行、となると話は別で、出稼ぎ帰りの人が賑やかに談笑する、
さながら宴会のような雰囲気が深夜まで続くそうだ。
(後に、十和田、八甲田などにも乗車するが、その通りだった。)
当時の背景。
ゆうづる号は、昭和40年10月ダイア改正で急行「北斗」の特急化として
走り始め、上野21:30->青森9:15というダイアで、常磐線を経由していた。
この当時は未だ常磐線が全線電化前であったために、平->仙台間はC62
蒸機の牽引、仙台以北はDD51ディーゼル機の牽引、また車両は20系が
使用されていた...とある。
この資料によれば僕の記憶は割と正確だったようだが。
20系が手動扉で、車掌補が出発の際、手動でロックをしていたようであり、
それが今ではとても贅沢な高級列車、という印象として残っている。
この他にも、「おいらせ」「みちのく」といった懐かしい名前の列車も
当時は現役であり、四角いサービスボードを差し替える情景が
ローカル駅ではどこでも見られたものだった。
今でも、青森駅や大分駅などで見かける度、この頃のことを思い出しふと、
懐かしくなる。
夜行、旅の実感。
深夜、ふと列車の揺れで目が覚めた。
転落止めのベルトをくぐり、スリッパを履いて廊下に出て見る。
廊下側の窓の、閉め忘れたカーテンから、飛ぶように流れる景色に驚く。
僕の想像を超えた速度で列車は驀進していたのだった。
時折聞こえる、踏み切り警報機の音。
せわしく流れるポイント。
丸太に琺瑯の、駅名表示。
青地に白く。
裸電球の照明。
側線の蒸気機関車、茶色の客車。
流れさる景色の中、はじめて見る東北の雰囲気。
思えば、この時から旅好きが始まったのかもしれない。
廊下を歩き、デッキに向かう。
24系とほぼ同じアルミのドアを開くと、レールの音と疾風。
見ると、やはり扉は開いていて、上り線のレールが鈍く光っていた。
秋口のはずだが、思いの他寒く、しかし、降雪は見られなかった。
一面の銀世界を期待していた僕は、肩透かしを食らったような感じを覚えたが、
東北といっても、太平洋側のこの地方は意外と雪は降らない、と後日、叔父が教えてくれた。
列車は夜の鉄路を着実に進んでいる。
夜、起きている、寝台車に揺られている、という、なにもかもが新鮮な感動であった。
列車の乗務が仕事、という祖父、叔父の生活がとても羨ましく、それ以後の将来の夢、
職業の選択に際し微妙な影響を与え続けたのも、この夜の体験が強く、印象的であったから
であろうと思う。
等と、寝台に戻ると、母が心配そうな顔で起きていた。列車扉が開いていたことを告げると
なお、一層心配そうな表情で僕を引き寄せ、頭を撫でた。
僕は、少し冒険をしたような誇らしげな気持ちと、母を困らせてしまった、という後悔の
ような気持ちが入り交じり少し複雑な思いに駆られ、これが「大人」の感情?かと
勘違いな思いに、成長したような錯覚にとらわれていた。
まあ、子供だったのだ、と今は笑って回想するのだが。
そして。
いつのまにかまた眠りに落ち、ふと気づくとカーテンの向こうは薄明かりに照らされ、
夜が明けてしまった、という事を曙光は告げていた。
その清々しい光に、朝がやってきた、という晴れがましい気持ちと、特別な夜が終わってしまい、
列車が終点に近づいている、という事実を確認して僕は、すこし寂しい気持ちにもなっていた。
この感じは、今の夜行に乗るといつも同じ感覚におそわれるが、なんとも甘美な夜の感覚は
果たして何故訪れるのであろうか、と時々思ったりもする。
それは、おそらくこうした幼い記憶を追想する、ノスタルジックな感情のせい、
二度と戻ってはこない時間の流れを惜しむ、生き物としての基底的な感情ではないか、
などと今は思ったりもする。
ただ、この時の僕は寂しいだけで、その行き場のない感情にどうしようもなく、
母親に寄り添うだけだったように記憶している。
「おお、おはよう、なんだ、どうした?」
車掌補であった叔父が、寝台を片付けに来た。
紺の制服に赤い腕章「乗客案内」。
手早く寝台を片ずけ、窓のカーテンを開くと、曇った空はどんよりと。
流れる車窓には、ちらほら雪の存在。
「....!」
初めて見る雪。幼かった僕には、それが固体だ、という事が信じられずに、
硝子窓に額を近づけ
じっと飛び去る雪片を追っていた。
広々とした地平、鉛色に見える海。
何もかもが東京とは異なり、遠くへ来た、という事を実感させた。
やがて、車窓から伺える白い面積は次第に広がり、
列車はゆっくりを速度を落としていく....。
セレナーデのチャイムが鳴り、東北なまりの車掌長は、青森への到着を告げた。
昨夜よりはずいぶんとゆっくりとしたポイント通過音も、
列車が別れを惜しんでいるかの
ように僕には感じられ、より一層旅愁は強まるのであった。
青森駅は海のすぐ側で、巨大な青函連絡船が目前と控え、
その、レールは海へと伸びているように見えて。
子供の僕には、最果ての地、という印象を強烈に与えたようだった。
今でも、青森駅に降り立つ瞬間、この時の事を思い出し懐かしくなることがある..。
---------以下、次号に続く----------
次回は、奥羽本線の蒸気機関車列車乗車記、になるかと思います。
10月中ごろ、でしょうか。
僕、10月は九州に行こうか、と思っています。
そのお話は、また今度...
--[汽車のある風景]----------------------
木綿のハンカチーフ/太田裕美
ちょっと旧いか、とも思いますが、この曲、時代的に今の座席夜行を
感じさせるという意味合いではこのあたりが限界か、と思えます。
僕は、旅たつ、東へと向かう列車で。
と歌詞の冒頭にあるように、西から東へと向かう、都会へと。
という情景のようですから、多分九州特急あたりでしょうか。
僕は、これを聞くと、客車しかイメージできないのですが、
「草に寝転ぶ、あなた...。」というくだりがあるところ。
草千里でしょうか。それとも都井岬?
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