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276・黒き砲弾
しおりを挟む「ヘコむねぇ……」
大波の行く末を壁から覗き込むと、エレナは溜息と共にそっと肩をすくめる。
何らかの阻害を受ける事は分かっていたものの、まさか渾身の水魔法ですら只の水に成り下がるとは……。
込めた魔力が一瞬で無くなるとは一体どう言った仕組みなのか? あらゆる状況を知見してきたエレナでさえ初めて経験する現象だ。
しかし、それでも4M近い高さがあったエレナの大波は、魔力では無く、落水の力によってそれなりの勢いで奥の壁へと衝突した。
ドォォン!!
思いのほか重たい衝撃音、路地全体がビリビリと震える。
魔力無しでこの威力。
仮に本来の力を出せていたならば、袋小路に聳えるあらゆる建物は崩壊していたかもしれない。
村一つを砂漠に変える力を持つビエル同様、エレナもまた紛れもない強者。エリートが集う騎士達を率いる団長の肩書きは伊達では無い。
「ちょっとやり過ぎたかね?」
「ギューゥィ」
壁越しに伝わる建物の揺れを背中で感じたエレナはオルガと顔を見合わせる。
思えば彼等は別に重罪人では無い。
やった事と言えば酒場での喧嘩と強奪程度、大怪我を負う程の罪では無かったかもしれない。
「全く、素直に修理代を出しとけば良かったんだよ」
「ギュイ ギュイ」
そんな若干の憐れみを見せるエレナ達の耳に予期せぬ言葉が飛び込んでくる。
「あれ、こんなもんか?」
本来の威力では無いにしても確かな手応えはあった。こんなもんかで済む訳が無い。
一体どうやって防いだのか、挑発的とも取れる男の言葉に一瞬で顔色を変えるエレナは、足下を流れる水に魔力を込めると再び大波へと昇華させる。
常人ならばその真意を確かめるべく路地を覗き込むところだが、エレナはそれをせずに次弾を曲がり角向けてぶち込んだ。
勿論、黒き砲弾オルガを乗せてーーだ。
「こんなもんかとは随分じゃないか。今の言葉、後悔させてあげるよ!」
エレナの啖呵に「ギュイッ!」と鳴き声で応えるオルガ、砕けたガラクタの破片が浮かぶ路地へと尾鰭を振って突入する。
泳ぐには心とも無い水量ではあるが曲がる必要が無いのならそれ程問題にはならない。何故ならより狭いこの路地ならば、オルガが少し首を振るだけで確実に獲物を捕える事が出来るからだ。
後はその顎で獲物を噛み千切るか、トンを超える巨体で押し潰すかーー。
路地の中腹で此方を睨み付ける男の姿を見たオルガは、尾鰭を振って波から飛び出すと、浅い水路をウォータースライダー代わりにその巨体を加速させて行った。
◇
「今度こそっ!」
瓶底に餌が入ってるのを見つけた魚みたいに、狭い路地に頭から突っ込んで来る鯱のオルガ。まるで巨大な砲弾が迫ってくるかのような恐怖に駆られるのはその独特な流線型と色の所為だろうか?
力はもちろん賢さや狡猾さにも定評がある鯱だが、良く見れば虎のように大きな爪がある訳でも熊のように太い手足を振るう訳でもない。気を付けるべきはただ一つ、あの鋭い牙を持つ顎のみだ。
「それでも怖いなっ!」
間近に迫るその勢いに若干怖気付くが、それでも俺が狙うはやはり巴投げ。
腰まで浸る水に動きを制限された今、寸前で逃げ出す事は不可能になった訳だが……まぁ、やるしか無い!
そうこう考えている間にオルガはもうすぐ目の前だ。これまでのだるい逃走劇に苛立ちがあったのか、オルガは俺を弾け飛ばすどころか、後ろの壁をも破壊しそうな勢いで突っ込んでくる。
「ギューイィ!」
両手を伸ばせば触れる程の距離。王者たる自信の現れか、オルガは特に何の警戒もせずに鋭い牙が並ぶ口を開いた。
ーー瞬間、噛み付こうとしたオルガの顎を亀の様に首を引っ込めて躱した俺は、そのまま素早く水の中へとしゃがみ込む。そしてオルガ顎下へと両腕を滑り込ませた。
硬く分厚いゴムみたいなオルガの体が伸し掛かる。
(うわっ、重機のタイヤみたいな感触!)
がっぷりとオルガと組み合うように腰を深く落としたこの体勢、何だかタイヤ・フリップでもするみたいな格好だ。
タイヤ・フリップとは大型トラックなどのタイヤを使った筋トレの一種で、地面に置かれた巨大なタイヤを全身の力を使ってひっくり返すトレーニングだ。
(これはタイヤ、大きなタイヤ!)
未知なる物より知っている物の方が成功のイメージは湧き易い。タイヤ・フリップなら、どう力を入れるべきかを俺の筋肉は知っている!
「ぬ、ぬぅんんんっつあッ!!」
重い! ーーが、僅かにオルガの顎が持ち上がる。
「ギュイッ!?」
だが悲しいかな、人間の体には限界がある。
いくらタイヤだと思い込んでも、流石にこの重さを持ち上げようだなんて無謀極まり無い。
一瞬体を強張らせたかのように思えたオルガも、我関せずとばかりに力づくで突き進む。
「あ、上がらないっ!!」
後は背後へ倒れ込んで受け流すだけだと言うのに、オルガの下に入り込む隙間が無い! これでは投げるどころか潜り逃げる事すら出来ない。
巨大な負荷を真正面から受け止めた背骨がメキリと軋んだ。
一瞬でも力を抜けば下敷き、このまま押され続けても壁に挟まれてジ・エンド。
ここが踏ん張りどころと俺は鼻血が出るほど全身に力を込めた。
「ふぎぃぎぎい!!」
ーーオルガの巨体が浮いた。
残念ながら俺の秘めたる力が解放された訳では無い、周辺の水位が大幅に上昇した所為だ。
追行していた大波がオルガに追い付いたおかげで急激に水位が上昇、それに伴ってオルガの巨体に浮力が発生したのだ。
すかさず空いた腹下へと滑り込んだ俺はそのままオルガの背後へ回る事に成功する。
「よぉっし! そのまま壁に突っ込んじまえっ!」
だが、この水位の上昇が恩恵を与えたのは俺にだけでは無かった。
期待通り奥の壁へと激突するかと思えたオルガは、直前で大きく頭を持ち上げる。そしてそのまま水面に倒れ込み腹下に溜まった大量の水を前方に押し出した。
ザッバーンッ!
結果それが逆噴射のような役割を果たし、あれ程の勢いで突き進んでいたオルガの突進は壁に鼻先を押し付ける程度に終わる。
流石は鯱、賢さ半端無い!
「ギューイ!」
俺の企みを阻止したオルガは得意気に尾鰭を振り回す。そうしてゆっくりと背後の俺へ振り向いてーー、
「ギュッ? ギュイッ??」
「大きさが仇になったな。この狭さじゃ振り向けないだろう?」
俺はそう言ってニヤリと笑う。
わざわざこの狭い行き止まりに逃げ込んだのは厄介な鯱を封じる為だ。
魚みたいな形状をした生物ってのは大抵が前にしか進めない。その習性を利用してペットボトルを使った簡易的な罠があったりするのだが、俺はそれをこの狭い袋小路を使ってやったと言う訳だ。
「ギュイッ! ギュイー!!」
完全に身動きが取れなくなり焦るオルガ、だが生半可に賢いだけに周りを壊してまで振り向こうとはしない。恐らくはエレナさんの許可無しに破壊するような行動は出来ないよう躾けられている。
ーーさぁ、後はエレナさんを何とか撒くだけだ!
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