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273・『海獣使い』
しおりを挟む『海獣使い』
クリミアが門の魔法とエレナを結びつけられなかったのは、この有名過ぎる二つ名の所為でもある。
水中では敵無しとされる鯱のオルガと、規格外の水量を自らの手足の様に操るエレナ。
二人揃えば「鬼に金棒」、その無双っぷりは荒くれ者が多い海の街ハバスだけでなく、周辺の街々に蔓延る犯罪者達をも震え上がらせた。
結果、不安定だった王国の治安改善に一役も二役も買ったと評されたエレナは、異例の速さで第二騎士団の団長へと抜擢され、その名を王国に轟かせる事になる。
そんな超有名人であるエレナだが、目の前に居るのは貧民街と言う狭い世界でのみ生きてきたバルボと、この世界に来て間も無い男。
当然ながら彼等は、エレナの事など露ほども知らなかった。
「私は『海獣使い』のエレナ。あぁ、こっちは相棒のオルガだよ」
「……………………」
ーーまさかの無反応。
驚くどころか振り向きもしない二人を見て、エレナはヨロヨロとオルガの背鰭へ顔を埋める。
「あぁオルガ、私達はだいぶ自惚れていたらしい……」
「ギュアァ?」
そこそこ自分達が有名である事を自覚していたエレナ。露払いの前に素性がバレると潰す予定の犯罪者達が隠れ潜んでしまうーーと、目深にフードなどを被って正体を隠していたのが馬鹿みたいだと赤らめた顔で呟いた。
しかし、実は『海獣使い』の二つ名はビエルの『壊滅』と同じぐらいイアマでも認知度は高い。
では世間に疎い二人は兎も角、何故酒場の店主はフードを取ったエレナに気付かなかったのか? それは『怪獣使い』の二つ名は知っていても、エレナの顔までは知らなかったからである。
この世界は魔法が発達した代わりに機械技術の発達が遅れがちの傾向にある。
その為、精巧な写真などある訳も無く、この世界の画像伝達はもっぱら絵画。しかもエレナはその様々な逸話と共に誇張された勇ましい姿で描かれる事が多い為、イアマで本当のエレナの姿を知る者はごく僅かであった。
自己紹介は不発に終わったが、捕物劇は未だ続いている。エレナは気を取り直すようにブルブルと頭を振ると、再び逃げる二人の背中を見据えた。
◇
バクンッ! バクンッ!!
「うおっ、あぶなっ!」
「バルゥ!!」
オルガが不定期に繰り出す獰猛な顎が、二人の背を抉り取らんと喰らい付いては空を切る。
瀕死のネズミに戯れ付く猫の如く、それはオルガにとって遊び感覚の行為であったが、喰らう方は堪らない。
逃げる二人は必死に足に纏わり付く水を蹴り払い路地を駆ける。思い付きで角を曲り、迷いながら十字路を突き抜け、疲労と悪路にもつれながら兎に角走る。
そんな彼等の行き当たりばったりの逃走が長く続くとは思えず、最早、捕まるのは時間の問題だと思われた。
しかし、圧倒的優位に立ちながらエレナは不可解な違和感に内心焦りを感じていた。
最初こそ軽い気持ちで始めた追跡だったが、オルガを使っていながら未だに彼等を捕らえらないのは明らかに異常。
土地勘が無いから?
周りへの被害を極力抑えた追跡だから?
オルガが遊び半分だから?
否、理由は明白。
これはエレナの問題だ。
(おかしい、やっぱり水魔法がうまく働かない!)
単なる疲れや不調じゃあ無い、ましてや名を知られていなかった事の気恥ずかしさから集中力を欠いた所為でも無い!
現在エレナが操る水魔法は、逃げる二人の進路を予測してオルガが泳げる水路を伸ばす水の操作。
そしてもう一つ、先行して相手の足下を浸す小波に引き波、素早く引く波の力で逃亡者の足を絡め取る効果を付随している。
この引き波の力は意外に強く、大の大人程度であれば、あっという間に水の中へと取り込む力があるのだが、何度試してもこれが一向に発動しない上に、二人に近付けば近付く程、海水に込めたエレナの魔力がどんどん抜けて行く。その為、エレナは一定の距離を保ったまま彼等を追尾する事しか出来ないでいた。
こんな事は初めてだ。
オルガの水路を維持する為に魔力を込め続けなければならなくなったエレナは、そのあまりの消費に軽い目眩を感じ始めていた。
魔力枯渇の初期の兆候である。
その扱う水の量により大量の魔力持ちと思われているエレナだが、門によって水の生成を省いているだけで、決してビエルのように膨大な魔力を保持している訳ではないのだ。
「オルガ、そろそろ遊びは終わりにしよう。どうやら私達が追い掛けてるのは只の小悪党じゃなさそうだ」
そう力強くオルガに囁くものの、魔力が抜ける原因すら分からない。あと一歩のところで決め手に欠ける今の状況、エレナは歯痒さに乾いた唇を強く噛んだ。
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