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267・配慮
しおりを挟む「あっはっは! アンタ面白いねぇ! ……ちょっと色んな事が重なって見過ごす訳にはいかなくなっちまったよ」
ハスキーな声に貫禄に満ちた佇まい。ピリルの話から銭袋を奪ったのは男だと思い込んでいた所為もあり、目の前の相手を勝手に男性だと決め付けていたがのだがーー、
「もしかして……、女性!?」
少し開けたマントの中でチラリと見えた胸の膨らみに、俺は「やっちまった」と頬を掻く。
良く見れば目深に被ったフードからは肩程まで緩やかに波打つ茶髪が伸びているし、両耳には妙な存在感を醸し出す青いピアスが覗いている。顔は見えなくとも女性としてのシグナルは充分に出ていた。
ーーだが聞いて欲しい。
長い髪にピアスをしていれば女性だなんてのはあくまで日本人の感覚であり、それが全ての国や地域で通じるかと言えば「否」である。
インディアンは男性でも長髪でピアスもしているし、ミャンマーでは男性でもスカートを履く。それぞれの場所に様々な形があり、男女を判別する基準は千差万別。ましてや此処は異世界、こちらの常識や歴史、ファッションすら良く分かっていない俺が装飾品や髪型だけで男女を判別するのは無理と言うもの。
(ーーいや、これは言い訳だな)
本人がお姉さんだと言うならば、見た目に関係無く「そうですね」と無難に返しておけばよかったのだ。あれ程に多様性とハラスメントが溢れる世界から来たってのに、俺はそう言った配慮をすっかり忘れていたらしい。
「ーーと言う事で、配慮が足りませんでした。すいません!」
「…………何て言うか、こういうのはちゃんと謝られてもそれはそれで腹が立つねぇ……」
釈然としないと不満気に腕を組んだ自称お姉さんは、「やれやれ」とフードを外す。中から出て来たのは40代後半の所謂美魔女っぽい綺麗な女性だった。年齢的にはお姉さんと言うより姉さんと呼ぶ方がしっくりくるが、もうこれに関しては何も言うまい。
「まっ、この声の所為で男に間違えられるのは初めてじゃない。素直に謝った事だし、やっぱり金だけで勘弁してやろうか」
「ありがとうございます! ーーって、金?」
謝罪だけじゃ足りないと? 全く、此方が下手に出たらこれだ。弱味を見せれば際限なく要求してくるのがこの手の輩、ここはしっかり釘を刺さねば。
「謝ったんだからもう良いだろ? それにこれは俺の金じゃないから勝手に渡したりーー、えっ、何?」
自称お姉さんがパチクリと驚いた目で此方を見詰めている。次いで床に座り込んでいる店主とバルボを見回すと何だか気恥ずかしそうにゆるゆると首を振りピアスを揺らした。
「ふふっ、ちょいと自惚れていたよ。フードなんて被っちゃって、あー、恥ずかしいったらありゃしない! ーーあぁすまない、こっちの話さ。そうだね、それがアンタの金じゃないのは知ってる。あの馬が他の客から金を強奪したのを私はこの目で見ているからねぇ」
他の客から強奪? 何だか話が噛み合わないな。俺は背中に隠れているバルボにコッソリ耳打ちする。
「なぁ、あの人は金を奪って行った奴らの一味なんだよな?」
「バルッ? ブルル、バルブゥ ブヒィブバフゥ」
糞っ、全く分からん。バルボに聞いた俺が馬鹿だった。
そうこうしているうち、いつの間に魔法を使ったのか、自称お姉さんと俺達を隔てる様に大きな扉が現れた。
「まぁ良い、渡さないってなら牢屋にぶち込むまでさ。金はその時に没収すりゃあ良いだけだからね」
何処かの美術館にありそうな様々な模様が彫られた扉が開くと、現れたのは幾つもの荒ぶる高波だった。
そう、扉の中に広がるのは彼方まで続く大海原。遠くの風景を切り取った様な光景にバルボと店主が震え上がる。
一方、現代っ子の俺に驚きはない。確かに魔法でこんな大きな物を出すのは凄いが、映画やプロジェクターなどで気軽に大迫力映像を見慣れている俺にとってはそれ程目新しい物では無いからだ。
それでも感想をーーと言うならば、「殺風景な店が一気にモルディブの海中のレストランみたいになったが、こんなベーリング海の蟹漁船から見た荒々しい光景じゃ客は呼べないぞ」ぐらいなものである。
勿論、彼女だって店のレイアウトの為にこの魔法を使ったんじゃない事は分かっている。恐らくこの扉の中の大波が先程店から溢れ出した水の正体なんだろう。
そして今回もこの大波を用いて俺達を攻撃するつもりなんだろうが、所詮は魔法。残念だが俺の魔法無効には敵わない。
何せ俺の魔法無効は王国でトップレベルの魔力量を誇るビエルさんの魔法すら無効化したんだからな。
動揺どころか余裕綽々で扉を眺める俺に、自称お姉さんは少し呆れながら最後の文言を紡いだ。
「肝が太いのか馬鹿なのかがイマイチ判断が付かないねぇ。まぁアンタらの罪はそう重いもんじゃない、加減はしてやるから安心しな。ーー大波!」
扉の奥で一際大きな波が盛り上がり、天井をも越える大きさで此方へと迫って来る。腹の底に響く不気味な海鳴りと飛び出す波飛沫、体験型映画館4DX並みの大迫力だ。
「ブルッ、ブヒィー!」
「大丈夫だって、出て来た瞬間に消してやるからさ!」
逃げるバルボの袖を掴み、俺は顔を濡らす波飛沫を拭いながら意気揚々と大波を待ち受け…………うん? 波飛沫?
ーーはたと思い、俺は飛沫を拭った指を舐める。
塩辛く、間違い無く本物の海水である事を確信すると同時に背中に冷汗が滲む。そう言えば此処へ来た時に浴びた水も…………。
こ、これはもしかすると、俺はとんでもない勘違いをしているかもしれない!
「ーーや、やばいっ!? 走れバルボ! ここから出るぞ!」
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