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242・兎肉
しおりを挟む「ーー荷車と手伝い? それならそうと初めから言っとくれよ! 全く、人が悪いったらありゃしない!」
決死の覚悟で飛び込もうとした深い穴が飛び込む寸前に消えて無くなった……。そんな拍子が抜けた気分と、自らの恥ずかしい勘違いに、顔を真っ赤にしたバーバルがキイキイと怒鳴り散らす。
「ーー知ってるもんだと思ってたんだよ。シェリー、こっち準備いいぞ!」
荒ぶるバーバルを無視して、俺は目の前でパチパチッと勢い良く弾ける火の粉を手で払った。焚き火の上に置かれた平たい石からは、もうユラユラと透明な煙が立ち上り始めている。
「ほらよっ」
そう言ってシェリーから手渡された肉の塊は、洞窟の中で転がっていた一角兎をぶつ切りにした物だ。
捌いた事が無いなどと言いながらも実に手際良く解体している。きっと普段から小動物をバラシ慣れている所為だろう。それでも流石に毛皮は上手に剥ぎ取れないみたいで、世話好きなラムザに教えて貰っていた。
因みに危険だった洞窟は、塞いでしまった空気穴を空け直したり、入り口から風を送ったりと、換気をしっかりしたおかげで一酸化炭素中毒の危険性はもう無い。
つまり、一角兎は取り放題の食べ放題である。
皮を剥いだ塩すら振っていない一角兎。だが、それを熱した石へと乗せた途端、ジュウッと何とも香ばしい匂いが辺りに広がった。
「あぁ、めっちゃ良い匂い……」
視覚と嗅覚が訴える刺激的な情報に、グルルと俺の胃袋が激しく反応している。
思えば昨日の朝から何も食べていないからな。そのクセ森を走り回ったり、崖からダイブしたり、果てには潜水までしてしまった。空腹時の激しい運動は脂肪と同時に筋肉までも分解されてしまう、マッチョを目指す者に取っては禁忌行為だってのに……。
そんな訳で色々やる事はあるけど、空腹の頭では良い考えも浮かばないし、パフォーマンスも下がるってものだ。治療を待つシルバ達には悪いが、まずは腹拵えをさせて貰おう。
その辺に落ちていた枝を削った串で焼けた肉を刺すと、ブリッとした弾力が返ってくる。血抜きをしていない所為か、刺した穴からは赤い血が滲んでくる。野生の生き物だ、寄生虫などを殺す為に本当ならしっかり焼くべきなんだろうけどーー、
「もうっ、我慢の限界だっ」
ーーがぶっ!
余りの空腹に待つ事を忘れた俺は、まだ赤さが残る兎肉にかぶり付いた。
「ふおぉ……」
噛み締める弾力! 溢れる肉汁! そう、これが肉、これこそが肉、肉である!
ウービンさんの店を出てから、こんな肉肉しい肉を食べた事があっただろうか?
食べる順番が一番最後だと言うのもあるが、孤児院で出てくる肉はスープに入った出涸らしみたいな味気の無い只の繊維だったからなぁ。久々のまともな肉だ、良質なタンパク質に俺の筋肉もきっと喜んでいる事だろう。
「なぁ、さっきの話。一体どういった交渉をしたら食う食われるの話になるのか、アタシ詳しく聞きたいんだけど?」
兎肉串に感動している俺の側で、次の肉の準備をしているシェリーの声は明らかに不機嫌だ。
(しまった!)
丸一日何も食べて無いのはシェリーも同じ。それなのに俺だけ先に食べてしまっては機嫌が悪くなるのは当然だ。特に獣人は食べる順番に煩いからな。
俺は慌てて持っていた兎肉串をシェリーへと手渡した。
「ほ、ほらシェリーの分だぞー。ちゃんと毒味は済ませたから大丈夫だからな?」
「…………一角兎に毒なんて入ってねぇし。ーーで?」
(あれ……思ったより怒って無い?)
いつもなら、序列の低い俺が先に食べているのを見ると烈火の如く怒るのに? まぁでも機嫌が悪いのは確かだ、腹が空き過ぎて怒る元気も無いのかもしれない。
「ーーで?って言われてもなぁ……。そもそも交渉を始めたのはアッチからだし。てっきり俺達の要望とか分かってるのかと思ったんだよ。あっ、まだ熱いから気をつけて?」
「ふーん? あっちから言ってきたんだ」(モグモグ)
「そうそう、向こうが勝手に勘違いをしただけで、俺は何もーー」
「はぁんっ? あたしゃ交渉なんて仕掛けた覚えは無いさね!」
後ろでシルバの様子を見ているバーバルが、聞き捨てならないと口を出す。自分達の身体目当てじゃない事は分かったが、シルバの口から男の唾液臭がしたのは事実。バーバルの中で男が特殊な性癖持ちな事は既に決定していた。
「いや、ギャレクだけで勘弁してくれって言ってたじゃん!」
「あれはアンタがシルバを狙ってると思ったからじゃないか!」
「ふーん、狙ってたんだ?」(モグモグ)
「いやいや、寧ろあの二人に狙われてたの俺だよね!?」
「じゃあ何でギャレクのパンツを下ろしたり、シルバに跨ってーー、」
バーバルはそこまで言ってハッと口を噤む。
(もしかして、虎娘はまだ、この男が男色家だって気付いて無いのかい?)
バーバルの見立てでは虎娘が男に惚れているのは間違い無い。ーーであれば、バーバルの不用意な一言が虎娘の淡い恋心を壊してしまうかもしれない。他人の恋など至極どうでも良い事ではあるが、逆恨みされても困るし街までは行動を共にするのだ。わざわざ雰囲気を悪くする事も無いだろう。
しかし、そんなバーバルの気遣いを知ってか知らずか、ワクワク顔のラムザが話の先を促す。
「ーーそれでそれで? シルバに跨ってお兄さんは何してたの?」
「ラムザっ!!」
空気を読まないラムザに思い切り顰めっ面をして指を立てたバーバルは、そっとシェリーの方を振り返る。
一見興味無さげにモグモグと口を動かすシェリーの両耳は忙しなくぴょこぴょこ動いていた。
(……な、何とか誤魔化すしかないね)
バーバルは立ち上がると、焚き火の前で肉を焼くフリをしながら摘み食いをしている大きな背中目掛けて思い切り掌を叩き付けた。
「あー、煩い煩い! とにかく、ウチの旦那に勝った男が細々とちんけな言い訳をしてんじゃないよ! アンタもアタシも勘違いしてた、これで話は終いさね!」
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