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239・脱出

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「ーーよっこらしょっと」

 シルバの巨体を右肩に担ぎ上げ、空いた左手で蹲《うずくま》ったまま動かないギャレクの首根っこを掴む。そのままズルズルと業務用のモップみたいになっているギャレクを引き摺り、俺は真っ直ぐに洞窟の外へと向かった。
 
 えっ? ギャレクの扱いが雑過ぎるって? 

 だってコイツ、ゲロ塗れなんだもん。あんまり触りたく無いじゃない……。

(うっ、流石に男二人は重いな……)

 重い足を一歩づつ踏み出すものの、その歩みはかなり
遅い。

 俺が筋トレで得た特技の一つに『担いだ重量を当てる』と言う物があるが、そのスキルによるとシルバは大体150kg。ギャレクを含めた荷物の総重量は200キロは越えてそうだ。

ーー200kgか、それは流石の俺でも重い。

 洞窟の外までは大した距離では無いが、一息も付けぬ無呼吸での力仕事に脳の血管がはち切れそうだ。
 ーー全く、ただでさえ重いのに、意識の無い人ってのは何故にこう重く感じるのだろう……。

ーーズリズリ ズリズリ

(何か匂うな……)

 まだくすぶる木炭の上を通る度に毛が焦げる臭いが鼻につく。あの髪の毛が焦げる時に出る嫌な臭いである。一体何が焦げているのかと振り返ると、原因は…………ギャレクだった。

 引き摺られているうちにベルトが切れたのか、ギャレクのズボンは脱げ、下半身が丸出しになっていた。
 そんな状態で燻る木炭の上を引き摺られるのだから毛が焦げるのは当然である。
 だが、幸い(?)な事に毛に燃え移った火は地面に擦れる事ですぐに消火されている様だ。引き摺っている間は火ダルマになる様な事は無さそうである。ーーとは言っても、黒く滑らかだった毛並みはすっかり縮れ、所々がハゲ焦げてはいるけれど……。

 ま、まぁ。きっとギャレクだって死ぬよりは尻がハゲ焦げる方がマシに違いない。

 尊厳よりも人命を優先させる事にした俺は、ギャレクが焦げるのをそのままに洞窟の外を目指すのだった。



 

「すぅー、はぁっ。空気が美味しい!」

 澄み渡る秋空に広がる御空色みそらいろを見上げ、俺は新鮮な空気を思い切り吸い込む。

 やはり呼吸が出来ないと言うのはストレスだ、酸素の有り難みが染み渡る。

 冷たい空気が喉を通り、肺へ吸い込まれ、酸素が体を巡るのを感じる。そうやって深呼吸を繰り返すうちに、洞窟の暑さと酸素不足で朦朧としていた頭が段々と冴えてきた。

 幾分か頭がスッキリとした所で、俺は改めて目の前の問題に向き合う事にした。

「さて…………どうしよう」

 俺の目の前には意識の無い二人の獣人が転がっている。猛毒立ち込める洞窟から連れ出したのは良いが、新鮮な空気を吸わせても一向に二人の状態が良くならない。

 尻が焦げたギャレクは浅いながらも息をしているのでまぁ置いとくとして、問題はシルバの方だ。

 豪快に笑い、怒鳴り、暴れた所為で、より多くの一酸化炭素を吸い込んだシルバはかなりの重症だった。
 時折痙攣していた身体も今はピクリとも動かず、呼吸も完全に止まっている。青白かった顔は最早白粉おしろいでも塗ったかの様に白く変色し始めている。

 獣人はしぶといって聞いてたのに、早急に何らかの処置をしなければ死んでしまいそうだ。
 ーーと言っても、回復魔法士でも無い俺に出来る事などある筈も無い。

(いや、有るっちゃ有るんだけど……)

 そう、魔法は使えないが、俺には前の世界での知識と筋肉がある。応急手当てのやり方は学校でも習ったし、自動車学校では人形模型を使ってまでやったもんだ。

(最初は声掛けだったかな)

「もしもーし、大丈夫ですかー?」

 シルバの耳元で叫んでは見るが……勿論、反応は無い。

ーーいや、分かってる。分かってるよ? 今はもう、その段階じゃ無いって事ぐらいはさ!

 だが、正直、物凄くやりたく無いっ!

(しかしなぁ、このままシルバに死なれては困るんだよなぁ)

 意図せずだったにせよ、原因となった一酸化炭素を発生させたのは俺である。責任の一端が無いとは言え無い。

(もしこれで死人が出た場合、事故では無くやはり殺人的な罪に問われるのだろうか?)

 相手が賊か何かなら良かったのだが、シルバ達は一応俺たちを救助に来た冒険者である。異世界こちらの法はどんな判断を下すのかは分からないが、良い結果にはなりそうも無い。そうなれば俺の騎士団への復帰は絶望的な物になるだろう。

「ち、ちくしょう! やってやらぁ!!」

 慣れて来たとはいえ、俺はこのまま貧民街で一生を過ごすつもりは毛頭ない。俺は意を決し、横たわるシルバの口に自分の唇を押し当て、思い切り息を吹き込んだ。

「ぷぅー、ぷぅー、ぷぅー!」

 異世界で初めてのキスが強面のオッサンになろうとは思わなかった! 

(いや、これは人工呼吸だからノーカン、ノーカウントだ!)

 自分にそう言い聞かせながら、二度、三度と繰り返す人工呼吸。右手はシルバの厚い胸を『アンパンマンのマーチ』に合わせてリズミカルに叩き心臓マッサージを施すーーが、呼吸は戻らない。

 …………何だか段々と腹が立って来た。

 原因が俺であっても、忠告を無視し攻撃までして来たのはシルバである。そんな彼等をまだ一酸化炭素が残る危険な洞窟から助け出し、あまつさえ応急手当てまでしてやっているというのに、復活しないとは一体何様だろう?

「こっちは犠牲(ファーストキス)を払ってるってのに!」

 怒りに任せ、加減の無い拳がシルバの胸に撃ち下ろされる。

ーードォン! ドォン、ドォン!!

 地面が揺れ、胸がひしゃげる程に繰り返された打撃は、シルバの厚い胸筋を越えて心臓に届いた。
 
「ゴッ、ガハッ!!」

 喉に詰まった異物を吐き出す様に咽せながら再び息を吹き返したシルバ。カッと目を見開くと、目の前にある俺の顔に驚き叫んだ。

「て……てめぇ、何で俺様に口付けをしてやがる!?」
「く、口付けって言うな、これは人工呼吸だっ!」

ーーズドンッ!

「ぐふぅっ!?」

 先程とは比べ物にならぬ程の衝撃がシルバの鳩尾へと突き刺さる! 苦悶と動揺の表情を浮かべたシルバは再び気を失ってしまった。

 
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