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231・傷跡
しおりを挟む夕焼けが森を染め、秋の紅葉はその緋色をさらに増してゆく。雲の無い空にはもう、気の早い星達の燈がチラチラと瞬き始めていた。
ゆっくりと夜が迫る中、シェリーはヘイズが事前に用意していたテントの傍らで膝を抱えながら睡魔と格闘していた。
昨晩は柄にも無く緊張した所為で中々寝付けなかった事に加え、ガウルの救出に魔獣人との遭遇。あまつさえ崖からダイブして溺れ死にそうになると言う味濃い日中を過ごしたのだ。シェリーの精神と体力は疲弊の極みへと達している、眠くならない方がおかしい。
ーーパチパチ バチッ!
「ーーッ!?」(ヤベっ、また寝てた……)
静かに燃える赤い木炭がバチリッと弾ける音で目を覚ましたシェリーは、再び落ちる瞼を無理矢理こじ開けて身体を大きく伸ばした。
(ダメだな、気を抜くと寝ちまう……)
いっそこのまま寝られるならどんなに楽だろう。しかし、日が完全に落ちれば巣穴から大量の一角兎が現れるのだ。あの鋭い角で身体中を穴だらけにされてしまう事を考えればおちおち寝てなどはいられない。
さっさと森を出ると言う方法もあったが、ヘイズに連れられて来た二人には帰り道が分からない。闇雲に進んで迷っては結局別の魔獣に襲われるのかオチだ。ならば襲ってくる魔獣が限定されている方がまだ対処し易い。
それに、もしヘイズが応援を連れて来るとすれば此処だろうと言う期待もあった。
「ふぁ~あ……それで、アンタはさっきから何やってんのさ?」
別に男の行動に興味があった訳では無い。しかし眠気覚ましには丁度良いと、シェリーは巣穴の入り口を行ったり来たりしている男に声を掛けた。
「もう夜は寒いだろ? 朝起きた時にさ、すぐ熱々のサウナに入れる様に有りったけの木炭を巣穴の中に運んでるんだ」
「ーー寒い? あぁ、アンタはそうなのか……まぁそうだろうねぇ……」
およそ冒険するにはそぐわない普段着の男を見ながら、人族の不便な身体に同情の目を向ける。
それにしても、無事に夜を越せるかと言うこの状況で、その夜をすっ飛ばして明日の朝の寒さを心配をするとは……必死で眠気と戦ってまで夜に備えている自分が馬鹿みたいに思えて来る。
(コイツには危機感って物が無いんだろうか?)
先程だって下手すれば全滅していてもおかしくない状況だったにも関わらず、男の態度と言えばどこか他人事というか緩慢というか…………まぁ、こんな時でも告白してくるような男だ、頭のネジが何本か飛んでいるのかもしれない。そうでなければ先程の事が霞むくらいの修羅場を経験して来たか、ーーだ。
「ーーんな訳無いか」
煤で塗れた男の間抜けな顔を見て、シェリーはそんな自分の考えを鼻で笑った。
「ん、何? 俺の顔に何か付いてる?」
「…………あぁ、鼻先を泥に突っ込んだ豚みたいな顔になってる」
「えぇ~~」
◇
「そういえば……さ、アイツ……あの魔獣人はどうなったんだ?」
水流の檻に閉ざされた滝壺の牢獄、そこに囚われ意識を失ってしまったシェリーにはあの時の記憶がさっぱり無い。あの絶望的な状況からどうやって抜け出せたのかも気になるが、それよりも気になるのが魔獣人の事だ。
「うん? 多分、まだ滝壺の底かな」
男は煤だらけの顔を袖口で拭きながら、大して興味無さげにそう答えた。
「そう、そうなんだ…………いや、ほらっ、また襲って来たら困るな……と思ったんだよ……」
「ーー水中で息が出来るなら兎も角、あれだけの時間浮いて来ないならもう大丈夫じゃないかな? それにあそこはちょっとやそっとじゃ抜け出せ無い。今回俺達が脱出出来たのだって、ある意味魔獣人のお陰だしね」
「魔獣人のお陰? それって、どう言うーー」
「アイツ、風魔法で周囲の水流を逆流させたんだよ。それが結構強くてさ、あの流れに乗れなかったら、今頃俺達も水の底だったかも」
偶然なのか、故意なのかーーあの時、水面に向かって魔獣人が風魔法を放た無ければ、間違い無く二人は湖底に沈んでいただろう。
「ーーそ、それでアイツは?」
「……反動受けて湖底の壁にめり込んでた。そういや、何であの時逆方向に風を出さなかったんだろう? それぐらい分かる知能はあったよなぁ。あれじゃまるで俺達を助ける為にーーおわっ、ど、どうしたシェリー?」
ーー無自覚のまま頬を伝い溢れ落ちる涙に、シェリーは驚き目を瞬かせた。
「え? あ、あれ……アタシ、どうしたんだろ……」
「だ、大丈夫? 腕の傷が痛むのか? 帰ったらティズさんに見て貰おうよ、魔法なら傷跡とかも残らないんだろ?」
オロオロと戸惑いながらそう心配する男に、シェリーはまだ痛々しく残る傷跡を撫でながら答えた。
「いや、いい……この傷はこのままにしておく」
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