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191・未知との遭遇
しおりを挟むーーズクン、ズクンッ
傷口の脈動が耳鳴りの様に頭に響く。
折れた足に枝が当たる度、遠くで聞こえていた荒い息遣いとビュウビュウ鳴る風切り音がハッキリとした輪郭を持つ事もあるが、鈍い痛みと共にまた、頭まで水に浸かった様な自分の体内の音だけがズクンズクンと響く空間へと意識が沈むーーそれの繰り返し。
痛みによる失神と覚醒を繰り返しながら魔獣人の腕に囚われたガウルは意識が戻る度考える。
(俺は……このまま……コイツに食われるのかな……)
加減を知らぬ力で締め付けられる胴がギシギシと軋む。同行者を一切考慮しない不規則な疾走は、時に上に飛び上がり、時に横へ転がる様にと、その暴力的なジェットコースターの様な振動に今にも首が取れそうだ。
それでも、腕ごとキツく抱えられている所為で自慢の爪は自身の太腿を引っ掻く事しか出来ず、噛み付いてやろうにもその口に牙はもう無かったーー最早、ガウルに出来る事は何も無い。
(森にこんな奴が居るなんて……知らなかったんだ……)
既にガウルには抵抗する気力は無い。乱暴な揺籠に揺られながら、只々漠然とこれから起こるであろう絶望的な未来に目を閉じた。
◇
~少し前~
「……全然どうって事無いじゃん」
ヘイズにはまだ早いと言われたが、枯葉が積もる森の道は硬く滑る屋根や石畳何かよりもずっと楽に走れるし、道中に見掛けるのは小鳥に栗鼠くらいな物で危険など何処にも在りはしなかった。
これなら荒くれ者が活歩する夜の貧民街の方がよっぽど危ない。
「ヘイズの兄貴は未だに俺を子供扱いしやがるからよ。今日こそ俺の実力を見せつけて認めさせてやる!」
最初はザザザーッと枯葉を舞い上げる風の音にも身を竦ませていたガウルであったが、今はすっかり慣れてしまった。聞いていた様な危険な獣の気配は無い、仮に出会してしまっても、狭い木々を縫う様に駆ける事が出来るガウルには逃げ切れる自信があった。
「活躍次第じゃ『鉄の牙』に誘われるかもしれないよな!」
つい先程、危なく見つかりそうになった場面も有った筈だが、既にガウルの頭には無いようだ。
因みに、『鉄の牙』とはヘイズが在籍している中堅冒険者パーティーの名前である。ガウルはそこで『ひと噛みヘイズ』と呼ばれたヘイズの右腕として活躍するのが夢であった。
そんな夢馳せるガウルが目前の崖下を見下ろすと、ポツンと小さなテントの屋根が見えた。その周りではあの人族がせっせと薪を集めているのが見える。
(アレが拠点か? アイツ、良くこの崖を降りたな…………どっか別の降り口は無いのかよ?)
爪が引っ掛かる様な壁ならば問題無いのだが、見れば大小様々なつるりとした岩が重なる崖である。しっかりと凹凸を握る事が苦手なガウルの手には相性が悪い。
(アイツしか居ないって事は、狩りはもう始まってる!)
早く合流しなければ手柄をみんな取られてしまうと、ガウルは酷く焦る気持ちで別の道を探す為、再び森の中へと戻る。
慢心したガウルは森の中に居る事を忘れ、周りへの警戒心が圧倒的に不足していた。
ーーだから遅れた、気付け無かった。
枯葉を細波の様に揺らす風音と共に、ゆっくりとガウルへと近づく存在に。
「ーーぐぶっ!!」
ガウルがその濃い臭気に気付いて振り向いた時、身体は既に空高く吹っ飛んでいた。
顎を撃ち抜かれ目を回したガウルの意識は、枯れた木々の枝を叩き折りながら落下した衝撃で再び覚醒する。
(一体、何が??)
口の中の違和感に思わず嘔吐く。チカチカする目を一度ギュッと瞑り再び開くと、紅く鮮やかに染まった枯葉が目に入る。
ーー霞んだ茶色の中に艶やかに混じる紅。
(…………血?)
再び嘔吐いた後に広がる紅に、これが自分の口から漏れた物だと認識するーー途端、鋭い痛みが電流の様に全身を駆け巡りガウルは自分の状況を理解した。
(ーー痛ってぇっ! 何で俺は倒れてる??)
ガザッ、ガザッ、ザザザーガザッ
ーー風と共に枯葉が畝る。
目の前の紅い葉が不意に盛り上がり、枯葉を纏った大きな何かが這い出てきた。
ガウルの前に立つ大きな異形ーー熊でも鹿でも、獣ですら無い、見た事も無い存在にガウルは恐怖する。
「ぐぶぁあ……あぁ……」
思わず上げた声は溢れる血が喉を塞いだ所為で、まるで溺れたようにくぐもったーー次の瞬間。
ーーグシャ
魔獣人は動けないガウルの足を狙い、叩き潰す様に石を持ったその腕を振り下ろす。
「ぐぎゃっ! は、離せ……この化け物ッ! ガルル!!」
魔獣人はその唸り声に一切反応しない。再び腕が空へ伸びてーー落ちる。執拗に、正確に、淡々と振り下ろされる打撃はガウルの足骨を完全に破壊した。
ーーグシャ グシャ グシャ
「もう……やめて……ください……」
圧倒的な力の差を見せ付けられたガウルは、完全に服従するかの様に尻尾を丸めて腹を見せるーー獣人が降伏の時に見せるポーズである。
しかし、再び振り上げた魔獣人の腕とその無機質な表情を見て、ガウルは服従のポーズが一切の意味を成さない事を知る。
ーーグシャッ
「うああぁああ!!」
ガウルだってカーポレギアの一員だ。暴行を受けるのは初めてでは無いし、加減の知らないクソ衛兵に骨を折られた事だって一度や二度では無い。しかし、ガウルの知る暴力には常に何らかの感情が篭っていた。
憎しみ、嫉妬、嘲り、嫌悪、様々な言葉にならないその場の感情のぶつかり合い。ガウルにとって、暴力 とは対話の手段でもあったのだ。
ーーしかし今、ガウルに振るわれている暴力に感情は一切見られない。
それもその筈、逃げぬ様に獲物の足を潰す。それは魔獣人にとって暴力などでは無く只の作業であった。
狩った獲物を捕らえ、血を抜き、皮を剥ぎ、肉を食うーー焼き上がったトーストにバターとジャムを塗るのと同じく、そこに特別な感情など無い。
ガウルはこの日初めて、獣人としてではなく、食われる獲物として暴力を受けたのだ。
「………………」
魔獣人は、何の反応も示さなくなったガウルの腕を乱暴に掴むと、ズリズリと森の中へと引きずり歩き出した。
ーーその時だ。
「生活魔法くらい使える様になれよッ!」
崖下から聞こえる吠える様な大声に魔獣人はビクンとその動きを止める。
そうして、逃さぬ様にと獲物をしっかり抱え、声のした方へと用心深く忍び寄った。
崖下を覗くと見えたのは、声を上げる獣人の女だ。
同じ縞模様が興味を引いたのか、魔獣人は食い入る様に女を目で追う。
暫くして、視界から女が消えてしまうと、その姿を追う様に魔獣人は獲物を抱えたまま崖下へと飛び込んだのだった。
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