上 下
185 / 276

185・ルール

しおりを挟む

 
(ーーッチ、流石に声がデカすぎたか)

 男は片手で汗ばんだ顔を覆うと奥歯を強く噛んだ。

 「煩い!」と、このまま怒鳴られ喧嘩を売られるくらいならまだ良い。万が一、貴族へ従事している者が青年の言葉を聞いたのだとしたら大分面倒な事になる。

 大声を上げた当人はすっかり頭の奥まで酒が詰まったのか、此方へと近付く人物に全く気付いていない。

(クソッ、面倒臭ぇ)

 勿論、男は貴族への悪口など一切言ってはいないのだが、自分の不注意で財布を取られた事は棚上げし、取り返せなかった衛兵に怒りを向ける様な……貴族とはそんな理不尽に振る舞うものなのだと身を持って知っているーー「同席していた」「悪態を止めなかった」などの糞みたいな理由で何らかの罰を与える可能性は充分考えられた。

 いっそこのまま一人で席を立ってしまおうかとも思ったが、青年が捕まったとして尋問の苦痛に耐えてまで自分を庇うとは思えない。所詮一月やそこら仕事を教えた程度の関係だーーそこまでの仲では無い。

 此処で席を立つのはかえって自分を不利にする悪手だと男は仕方なく腹を括った。

 此方へと真っ直ぐ歩み寄る人影は随分と細く小柄だ。目深く被ったフードでその表情は良く分からないが、ニヤリと歪む口元が見える。

ーーしかし、見た目にそぐわぬ妙な雰囲気がある。

 この相手の雰囲気からある程度の危険度を読み取るのは、男が衛兵での経験から習得した一種の特技の様な物で中々に馬鹿に出来ない物である。

 フードを被った人影はテーブルの傍らで立ち止まると、ジッと此方を観察するかの様に無言で男達を交互に見つめる。

「ーー何だお前? 何見てやがる」

 やっと自分が凝視されている事に気が付いた青年は、不快だったのか喧嘩腰で席に手を掛けると勢いよく立ち上がる。しかし酩酊したその足腰はヨタヨタと便りなく、喧嘩など出来る状態では無い事は誰の目にも明白であった。

「まぁ、待てーー」

 男はそんな青年を宥めながら、なるべく穏便に済まそうと無言で此方を見つめる者へと穏やかに声を掛けた。

「すまんな、少し嫌な事があってどうやら飲み過ぎたらしい。あ~、もしかしたら何か聞こえたかもしれんが……コイツの本心じゃあ無いんだ、分かるだろ?」

 フードを被った人物はそれに対する返事はせずに、代わりにポケットへ手を突っ込んでジャラリと何かをテーブルへと投げ置いた。

「すげぇ、金貨がこんなにーー痛てぇっ!?」

 思わず手を伸ばした青年は小さな悲鳴を上げて椅子に崩れ落ちるーーテーブルの下で男に脛を思い切り蹴られたからだ。

「…………なんのつもりだ?」
「……今の話……もう少し……詳しく……聞かせる」
 
 フードの奥から聞こえたのは意外にもまだ若い女性の声だ。背格好と声からは十代にも思えるが、纏う雰囲気と無造作に出した大金が随分とその印象をチグハグにさせた。

「あ~お嬢さん、話ってのは一体どの話の事だろう?」
「……魔法無効レジスト……」
 
(そっちかよ、脅かしやがって……)

 偶々居合わせた貴族の側近が大金を見せて悪態の言質を取るつもりかと思ったが、どうやら違った様だ。

 確かに闇市で魔道具が流れてきている話はまだ一般には浸透していない。頻繁に貧民街に出入りしていた衛兵だったからこそ得られた比較的新しい情報である。

 この只者ならぬ雰囲気の女は恐らく冒険者、それであれば帝国製の魔道具に興味を持つのも納得だ。

 男は貴族絡みで無い事に安心すると同時に僅かな欲が湧いて来た。

 テーブルに置かれた金貨、これだけの金があれば他の街への旅費どころか当面の生活費になる。しかし、二人で分けるには少々心許無い額でもあった。

「あぁ、魔道具あのの話か……どうだったかな? 最近嫌な事が多かった所為で物忘れが激しくてね」
 
 ーー男は金貨と女をチラリと見比べるとワザと惚ける様に言った。
 
 普通、酒場で得られる程度の情報など精々相手に酒を奢るくらいな物だ。しかし女は初っ端から大金を提示してきたーー物を知らないのか、もしくは余程この情報が欲しいのか……。

 交渉次第では更に女から金貨を引き出せるかも知れないと男は考えたのだ。
 
 フードの女は首を傾げ暫く思案していたが、男の意図を汲み取ったのか、ポンッと一つ手を打った。

「……そう……じゃあ……これなら……思い出す?」

 そうして男の思惑通りテーブルの金貨をーー

「ーーちょ、何でだよ!?」

 キラキラ光る沢山の金貨を夢見心地で眺めていた青年が急に酔いから覚めた様に引き攣った声を上げた。
 なんと女が金貨を増やすどころか、テーブルから一つ取り上げて自分のポケットへと戻してしまったからだ。

「あ~お嬢さん、こう言う交渉事は初めてかい? じゃあ教えてやる、この場合はなーー」

 女は男の言葉を遮る様にその口元へと人差し指を押し当てると、感情が消えた様な抑揚の無い声で冷たく言った。

「……それは……貴方達のルール……私のじゃ……無い……」

 女はまた一つ、テーブルから金貨を戻す。

「……全部……無くなる前に……思い出す……」

「おいおいおい! 先輩、無くなっちまう!」

 それを見て焦った青年が思わずテーブルの金貨をかき集め様と身を乗り出すがーーどういう訳か尻が椅子に吸い付き離れない。 

「な…んだ、こりゃ? ケツがーー」

 ガタガタと身体から離れぬ椅子と格闘している青年を怪訝な顔で見る男は、自分の足も床から離れない事に気付き慌てて足下を確認する。
 床にはドライアイスを敷き詰めた様に青白い冷気がゆらゆらと立ち込め始めていたーー既に男の足先の感覚は無い。

氷結拘束アイスバインド?ーーい、いつの間に魔法を!?)

 詠唱は間違い無く聞こえなかった……それなのに青年の尻は椅子に、男の足は床へとしっかりと凍り付いている。

「……どのみち……思い出すまで……帰さない……」

「クソッ! 分かった、分かった! 全部思い出したからこれ以上は勘弁してくれ!」

 時間と共に凍っていく身体と減って行く金貨ーー男が両手を上げ知っている事全てを女へと話すまでそれ程時間は掛からなかった。


「……貧民街……それは盲点……」

 一通りの情報を仕入れた女は満足気に小さくガッツポーズを取る。そうして足速に酒場の扉を開くと、まだ騒がしい夜の雑踏へとその姿を消したのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

全校転移!異能で異世界を巡る!?

小説愛好家
ファンタジー
全校集会中に地震に襲われ、魔法陣が出現し、眩い光が体育館全体を呑み込み俺は気絶した。 目覚めるとそこは大聖堂みたいな場所。 周りを見渡すとほとんどの人がまだ気絶をしていてる。 取り敢えず異世界転移だと仮定してステータスを開こうと試みる。 「ステータスオープン」と唱えるとステータスが表示された。「『異能』?なにこれ?まぁいいか」 取り敢えず異世界に転移したってことで間違いなさそうだな、テンプレ通り行くなら魔王討伐やらなんやらでめんどくさそうだし早々にここを出たいけどまぁ成り行きでなんとかなるだろ。 そんな感じで異世界転移を果たした主人公が圧倒的力『異能』を使いながら世界を旅する物語。

【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する

雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。 その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。 代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。 それを見た柊茜は 「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」 【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。 追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん….... 主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

異世界へ誤召喚されちゃいました~女神の加護でほのぼのスローライフ送ります~

モーリー
ファンタジー
⭐︎第4回次世代ファンタジーカップ16位⭐︎ 飛行機事故で両親が他界してしまい、社会人の長男、高校生の長女、幼稚園児の次女で生きることになった御剣家。 保険金目当てで寄ってくる奴らに嫌気がさしながらも、3人で支え合いながら生活を送る日々。 そんな矢先に、3人揃って異世界に召喚されてしまった。 召喚特典として女神たちが加護やチート能力を与え、異世界でも生き抜けるようにしてくれた。 強制的に放り込まれた異世界。 知らない土地、知らない人、知らない世界。 不安をはねのけながら、時に怖い目に遭いながら、3人で異世界を生き抜き、平穏なスローライフを送る。 そんなほのぼのとした物語。

あの、神様、普通の家庭に転生させてって言いましたよね?なんか、森にいるんですけど.......。

▽空
ファンタジー
テンプレのトラックバーンで転生したよ...... どうしようΣ( ̄□ ̄;) とりあえず、今世を楽しんでやる~!!!!!!!!! R指定は念のためです。 マイペースに更新していきます。

ちっちゃくなった俺の異世界攻略

鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた! 精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。 だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。 十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。 ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。 元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。 そして更に二年、とうとうその日が来た…… 

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

処理中です...