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153・黒マントの大男

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 黒パンに山羊乳が入ったスープ、それにおかみさんが味見と称してこっそり口に入れてくれた山葡萄のタルトの切れ端ーー食べた朝食の殆どが石畳の上をどろりと濡らす。胃液が喉を焼く痛さよりも自分に一体何が起こったのかという戸惑いに頭の整理が追いつかない。

 ーー蹴り飛ば……された?

 そして、その乱暴極まりない仕打ちが間違い無く自分に向けられたものだと理解出来たのは、衛兵の汚物を見るかの様な冷たく蔑んだ目を見た時だった。

「獣臭い孤児のクセに話だと? 偉そうに!」 
「ち、違っーー私は孤児なんかじゃ……」

 ルーナは慌てて孤児である事を否定するが、被せる様な衛兵の言葉がそれをバッサリ遮った。

「違うって? あぁ、小綺麗な服を着てるからって誤魔化せるとでも思ったのか!」
「ーー考えたものだな、まともな格好なら表通りを違和感無く歩く事が出来る。孤児だと警戒されずに獲物を物色出来るって訳か…………の入れ知恵か?」

 当初五人はいた衛兵達だが、どうやらルーナを追ってきたのは二人らしい。残りはきっと捕らえた子供達を見張ってるのだろう。だが、二人に減ったからと言ってこの状況が好転する訳では無い。

「お、お願いします……私は違うんです、緑燕亭のケインさんに聞いて貰えばきっとーー」
 
 ルーナは縋るように必死で訴えるが、二人は嘲笑うだけでまるで話を聞いて貰えない。

「ーーさて、盗んだ財布の中身は何処だ?」
「私、知らないんです……お、お願い、ちゃんと話をーーきゃっ!」

 髪の毛を引っ張られ、その場に無理矢理立たされたかと思うと、衛兵の節くれだった大きな手が頬をバシンと強く叩いた。ブチブチと自分の髪の毛がちぎれる音を聞きながらルーナはそのまま反側の壁へと転がっていった。

「これだけ手間をかけさせたんだ、それを知らないの一言で済まそうだなんて、随分薄情じゃないか、なぁ?」

 相手の言い分も聞かずに一方的に悪と決めつけ、意義を申し立てれば暴力で黙らせるーーこれが嘗て父が誇らしげに語った衛兵の姿なのだろうか? 

 身体中を巡る痛みと、恐怖、そしてどうしようもない悲しさにボロボロと涙が流れ落ちる。
 
「おい、また逃げ出さない様に足を凍らせておけよ」
「そうだな、追いかけっこはもう懲り懲りだ。氷結拘束アイス・バインド!」

 ズリズリと必死に這いずりながら距離を取るルーナに向かって、青白い氷のいばらが衛兵の手から放たれる。
 
 罪人に向けられた一才の手加減が見られないその魔法は、身体の丈夫な獣人ならばいざ知らず、只の街娘であるルーナの細い足など血も神経も筋肉も、一瞬で芯から凍らせ壊死させてしまう威力がある。

「だ、誰かーー誰か助けてッ!」

 悲痛な声が狭い路地に反響するーー無法者が集まる恐ろしいこの場所で、唯一の正義であった筈の衛兵に裏切られたルーナの声は一体誰に届くというのだろうかーー。


「…………あっ」

 ーー風が通り過ぎた。
 風は涙で濡れたルーナの頬を優しく撫でる様に……次いで轟音! そして突風! 

 先程の優しさはなんだったのかと思う程の強風に砂埃が舞う。

ーーズシンッ!!!

「やり過ぎだろっ!」

 突如、路地から男が飛び出したかと思うと、まるで板切れでも踏折るかの様な勢いで、ルーナに放たれた魔法に左足を叩き落とした!

 相撲の四股にも似たその踏み込みは、まるで目前に大岩でも落ちたのかと思う程の衝撃を起こし、近くの壁をビリビリと揺らす。

「な、何だ貴様はっ!」

 お尻が一瞬浮く程の衝撃ーールーナは思わずギュッと目を閉じ小さく頭を抱える様に縮こまった。それを背に庇う様に仁王立ちした男はジロリと衛兵達を睨みつける。

「こんな子供に向かって氷結拘束アイス・バインドなんてーー明かにやり過ぎだろっ!」

 誰だか分から無い、しかしその言葉から自分を害する者では無さそうだとルーナはそっと閉じた目を開けるーーそこには視界を覆い尽くさんばかりの大きな黒い壁が、ルーナと衛兵を隔てる様に聳え立っていた。

(か、壁が…………落ちたの!?)

 思わず空を確認するが、付近の屋根が崩れた形跡は無いーーよく見れば黒い壁は微かに揺れていた。

(黒いマントの大男を探すんだーー)

 シェリーの言葉が頭をぎる……そうだ、これはマントだ。通路を埋める程の大きさと、地面を揺らす程の衝撃を伴って出現した為、てっきり硬くて重い物が落ちて来たんだと思い込んでいたが、間違い無くこれはマントだ。
 
「もう大丈夫ーーって、よく見たらうちの子孤児院の子供達じゃ無い?」
 
 首だけ振り返った男は、此方が想像していた人物と違ったのか、一瞬困惑した表情を見せるがすぐに首を振りルーナに優しく話しかけた。

「いや、ごめん、実はまだ全員の顔覚えてる訳じゃないからさーー待って、大丈夫、ちゃんと思い出すから! え~と、確か君は……アミバ?」

「ル、ルーナです!」
「残念、そっちか!」

 男は自分の額をペシリと叩いた。まるで此方の名前を知っているかの様な言い草だが、緑燕亭のお客さん、商店街の主人、学校の先生と、ルーナのあらゆる記憶を引き出してみても全く面識の無い人物だ。第一これ程特徴的な人物を忘れる筈も無いだろう。

「あ、あの……私、シェリーって子に貴方を探せって言われてーー」

 後々面倒事にならぬ様、予め誤解を解いて置くーー事前の説明がどれ程大事かは現在進行形で体験済みだ。

「あぁ! 君、うちの子じゃなくて、シェリーの友達なのか」 

 合点がいったのか、「そうかそうか、道理で見た事無いと思ったんだ……」と何度も頷きながら男は両手をバンバンと打ち鳴らし、何事かと様子を窺う衛兵に再び向き合うーーそんな男の背中にルーナは恐る恐る尋ねる。

「助けて……くれるの?」
「ーーあぁ、必要だろ?」

 その言葉にルーナは堰を切った様に話始める。不慣れな路地裏で荷物を取られた事、そこで出会ったシェリー達に荷物を取り戻して貰った事、見知らぬ財布が紛れ込んでいた為に衛兵に追われ捕まった事、そして全ての元凶が野良犬ストレイ・ドッグと呼ばれた男の所為だとルーナは早口に説明した。

「お願い、マルリがーー妹のマルリが捕まってるの! シェリー達も! ……私達、何も悪い事してないの!」

 大変な事をお願いしている自覚があったーー話の通じ無い衛兵を相手に、犯罪者と思われている自分達を助けてくれと言っているのだ。そんな事をすれば、おそらく男だって衛兵に追われる事になる。捕まれば犯罪者として投獄されるかもしれないのだ。
 しかし、ジッと背中越しに聞いていた男は何でも無い事の様に頷いた、「大丈夫、任せろ!」とーー。

 ーーその言葉にルーナは身体中の力が一気に抜けてゆくのが分かった。

 それと共に、溢れる涙が止まらなくなり、気付けばわんわんと声を出してルーナは泣き出していた。
 普通に暮らしていたルーナにとって沢山の事出来事が起き過ぎた、精神的にも肉体的にも既に限界を超えていたのだ。

 大男はそんなルーナの頭に羽織っていたマントをバサリと被せる。

「それ、多少の魔法なら弾くみたいで結構良い代物なんだってさ」
「…………?」

 確かに、重厚な見た目に反してマントは軽く、裏地の肌触りはするりとしていて暖かい。見ればあちこちに魔法陣が刻まれており、男の言う通り対魔法の防御が施されているのが分かる。

 「まぁそんな大層な機能、俺には必要無いんだけどさーー友達から貰ったマントだし、あんまり汚したく無いんだ。悪いけどちょっと持っててくれるか?」

(暖かい……)

 初めて会った筈の目の前の男に、何故これ程の安心感を感じるのか? その頼もしい背中をルーナは何故か遠い村に居る父の背中に重ねていた。
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