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127・未来視

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(ふぅ……最終日なのに、思ったよりも来なかったわね)

 見張り台から眺める空は夕焼けの赤橙と宵の青藍の二色に別れているーー後、半日もすればやっとこの訓練も終了だ。

「帰ったらお風呂に入りたいなぁ」

 イリスはうんざりした様に、軋む長い髪を後に纏め結び直した。

 訓練の最中は野宿が基本である、偶に水辺で身体を拭くくらいしか出来ないのは年頃の女の子にはキツい。手櫛も通らぬ銀髪を鼻先へと持ってくると、泥と乾草の匂いがした。

「ーーお嬢! ここに居たんすか。もしや……何か見えましたか?」

 光魔道士であるザービアがイリスを見つけて声を掛けた。堀の先は見えないながらも付近には人の気配は無さそうに見える。
 最終日ともなれば、拠点付近へと集まった分隊達の小競り合いが聞こえたり、暖を取る焚き火の煙が見えたりするのが常だったが……今回はいやに静かだ。

「いいえ…………まだ何も見てないわ」
「まぁ、来るなら夜襲でしょうからね。しかし、何時もの顔触れがまだ来てないのが不気味っちゃ不気味ですが……」

 訓練では常に上位である幾つかの分隊がまだ来ないーーザービアが心配しているのは最終日である今夜、彼等がヒースの様に徒党を組んで一斉に夜襲を掛けて来る事だ。いくらイリスの『先見の目』があったとしても、四方八方から攻め込まれては対処のしようが無い。

「大丈夫よ、貴方が考えてる様な未来は見えてないから」
「そうすか、お嬢が言うなら心配無いすね」

(…………今の所はね)

 実はイリス、ヘルムの予想した通り其れ程先の未来が見える訳では無い。しかも、それは見たい時に気軽に使える様な便利なものでも無かった。

 未来視が出来るタイミングは二つ、イリスの周りに大きな異変が起きる場合とイリスが自ら未来視を使う場合である。

 突発的に脳裏に浮かぶ未来ーーそのトリガーとなる異変の規模は決まっておらず、天候の変化から襲撃まで様々だがイリスの危機前には必ず現れる事は分かっている。
 先程ザービアが危惧した様な四面楚歌の危機的状況になるならパッシブである未来視が発動してもおかしく無い。しかし未だにその未来が頭に浮かばないと言う事は残りの分隊同士が徒党を組んだ大規模な襲撃は無い筈だ。

 もう一つ、イリスが自ら未来視する場合だが、燃費が悪く近い未来ーー精々五~六分先しか見る事は出来ない。しかもこの未来はイリスの近辺で範囲は目視程度、遠くの出来事は見る事は出来ない。


ーーだが、この事は誰も知らない。


 長く訓練を共にしてきた同じ分隊の仲間達ですらイリスはかなり先の未来がまで見えているものだと信じているーー何故か?

 それは『先見の目』を使ったイリスの助言が、五分程度とは思えない程先まで見通すからである。

「さぁ、次の分隊は正面から来るわよ、日が暮れてからねーー皆に伝えてきてくれる?」
「わかりやした、皆に準備しとくよう言ってきます」

 まだ夕刻にも関わらず、五分後の未来しか見えないイリスが何故などと断言出来るのか? それは左手に見える堀の外側の草原から沢山の鳥が飛び立った五分後の未来を見たからだ。

(鳥達が飛び去った反対方向から何者かが近づいている、闇に紛れて堀を渡るなら正面より反対側の背後を狙う筈ーーと言う事は堀を越える手段を持って居ない分隊、狙いは正面の橋。そして私達と真正面からやり合える分隊はもう残って無い……暗闇に便乗してこっそり橋を渡るつもりだわ)

 イリスは昔から、僅かな情報で先を読む事に長けていた。「一を聞いて十を知る」というやつである。
 この能力が発展して未来視が開花したと言っても良いだろう。イリスが本当の意味で優れているのは少し先の未来視などでは無く、僅かな情報で先を読む力ーー予測能力である。

 未来視と予測能力、この二つを組み合わせた言動・行動が戦巫女とまで言われるまでにイリスの立場を伸し上げたのだ。

 だが、もしも未来視が五分程度のものだと知られたなら、誰がイリスのだなんて言葉を信じるだろうか?

(……皆んなを信じてない訳じゃないけど、今はまだーー)

 一階へと降りてゆくザービスの背中を見ながら、イリスは胸にチクリと罪悪感の痛みを感じた。




 夕暮れはすっかり夜墨に覆われ、訓練最後の夜が始まった。

「お嬢、正面には何人行けば良いっすかね」

 イリスはギュッと目を瞑ると魔力を目の裏側へと集中させた。


 …………人影が二つ、正面の橋、そして不自然な雨…………


(たった二人? 残りの三人が違う場所から襲ってくる可能性がある、見張りは必要ね。奇襲に備えてテオと私は待機。それから雨、この程度ならリャクの炎魔法には影響無いけど念の為ジャンも一緒にーー)


「見えたわーー正面はリャクとジャン二人で行って、相手は二人よ。テオと私は拠点で待機、サービアは引き続き見張り台で付近の監視をお願い」
「何だよ、相手が二人しか居ないなら俺一人でもーー」
「良いから言われた通りにしろって、今までお嬢が言う事に間違えがあったか?」

「んな事……分かってる」
「ーージャン、しっかりやればお嬢は褒めてくれる、自分の役割を果たせ」

 ブツブツと拗ねた様に椅子の脚をコツコツと蹴るジャンの肩をポンポンと叩いてザービアは見張り台を昇ってゆく。

「それとリャク……雨が降るわーー気を付けてね」
「ーー雨?」

 確かに今夜の夜空は雲が多く星は見えないがーー雨雲には見えない。しかし『先見の目』を持つイリスが言うのだ、リャクは頷いて上着を羽織った。

「ーー雨か、じゃあリャクは役に立たなそうだーーその分俺が頑張るの見ててくれよ、お嬢!」
「ハッ、言ってろ! バケツがひっくり返る様な土砂降りでもなきゃ俺の魔法には影響ない!」

 二人はギャーギャー言い争いながら扉を出て正面の橋へと歩いて行った。
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