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116・靄の中

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 「随分長い時間が経ったんだな……」

 赤く腫れ上がる頬を氷で冷やしながら、俺は皆と焚き火を囲んでいたーー空に輝く星の光はすっかり薄れ周囲の状況が克明に浮かび上がる。

 森の中にポッカリと拓けた空間、ここだけ何処かの砂漠をコピペして貼り付けたんじゃないかと思える様な異質さ。ほんの少し前まで集落が存在したなんて誰も思いはしないだろうな……。




 あの時、赤ん坊と共に靄の中へと取り込まれた俺がまず最初にやった事……それは言わずと知れた穴掘りだった。

 靄から赤ん坊を守る為にはしっかりと覆う必要がある。しかし、俺の身体がいくら大きくとも隙間は出来る、靄はその隙間から入って来る可能性があった。

 片足を靄に突っ込んだまま、両手で地面を掻く。今回は落とし穴を掘る訳じゃない、赤ん坊一人が隠れるくらいの小さな凹みを作れれば良いのだ。
 何せ穴掘りの腕前はマスタークラスの俺だ、大した時間は掛からない。
 
「よしよし、少しの間我慢してくれよ?」

 出来た窪みに赤ん坊を寝かせ、上から腹這いに覆い被さり自らの肉体で蓋をする。
 多少汗臭いかもしれないがそこは我慢して貰うしか無いーーなに、まだ加齢臭は出てないはずだ。

 俺の身体全体を靄が包み込むと、壁や建物の細かく崩れた破片がバチバチと全身へと食い込んできたーー地味に痛い!
 全身の無駄毛をピンセットを使い高速でチクチク抜かれてる気分だ、脱毛サロンに通っていた頃を思い出せば我慢出来なくは無いがーー不快な事には変わり無い。

「イテテテ、後でアイツの毛も毟り取ってやるーー全てだっ!」

 そんな俺の恨み節が聞こえたのか、磁力魔法士がこちらに向かって攻撃を仕掛けてきた! 

 まぁでも、魔法はコッチに届く前に片っ端から靄に呑み込まれてくんだが……アイツ、自分が優位な癖に何であんなに焦ってんだ? 

(……あぁそうか、アイツ、俺に毛を抜かれるのが余程怖いらしいな)

 大切な物は無くしてから分かるんだ。それまで無頓着で大事にしてなかった事を後悔しても、気付いた時には「時既に遅し」ってね…………抜け毛の話ね。

 恐らくアイツは、既に抜け毛に悩んでいたんだろう、「これ以上毛を毟られてたまるか」ってんで必死になってんだなーーうん、きっとそうだ。

「クソッ! クソッ! コレならどうだ! 黒槍ネグロランスッ!」

 平静さを失った磁力魔法士、遂には奇声を上げて長い槍らしき物を掲げ出した。

(いやいや、それでも無理だろ……)

 俺でもこの靄の中では凡ゆる物質が粉々にされるって理解してるってのにーー全く、学習能力が無さ過ぎる。俺に攻撃を当てたいのならば、靄に干渉されてない地面から攻撃すれば良いのに……まぁ効かないレジストするけどな。


ーー男が槍を掲げた直後、周囲を漂う黒い靄が眩しく発光し出す。
 まるでカジノのド派手なネオンの真ん中にぶち込まれたかの様な無数の光の点滅が襲い、俺は堪らず強く目を閉じた。

ーーバリバリッ! バリバリバリッ!!

 閃光に轟音! これは前に喰らったナルの雷魔法に似ているーー尤も肌にビリビリと感じる感覚はアレとは比べ物にならない程に強く、そして長い。


 再び目を開けた時ーー黒焦げの魔法士が一人、力無く地下へと姿を消した所だった。

 靄の中にナルの雷撃ライトニングボルトが落ちたっぽいが、近くに避雷針磁力魔法士が居たお陰で殆どの電撃がそちらに向かってくれたらしい。

「う~わ~、随分と凄いバチが当たったなアイツ」

 赤ん坊を使うなんて非道な事するからだ。

 磁力魔法士の纏う砂鉄鎧は真っ赤に爛れ、剥き出しになった顔は酷く焼け焦げ付き口から白い煙が出ていたーーあの様子から察するに、俺がやるまでも無く毛も全部燃え尽きた様だ。

「ーーお、何だか靄も薄まってきたみたいだ」

 肌へと当たる砂礫の勢いが弱くなって来た。靄は渦巻く様に流れていたが、俺に触れた端から無効化されて行くから薄まっていったのだろう。

 暫くして靄が晴れ、轟轟と鳴り響いていた風の音も次第に収まったーー辺りに静寂が訪れる。

 腹下の赤ん坊は随分と大人しいーー寝ているのだろうか? まぁ、あれだけ泣いたんだ、疲れて当然だ。
 大声出して泣くってのは意外と体力を使うらしいからな、それが空腹ならば尚更ーー。

「そ、そういやオッパイミルクがまだだった!」

 赤ん坊の体力ってどれくらい保つんだろう? 

(ーーね、寝てるんだよな? まさかとは思うけど……)

 「頼むぞ~、無事でいてくれよ~」と腹下の赤ん坊を薄目で覗き見ると微かにお腹が上下しているのが見えるーーホッと胸を撫で下ろした俺は改めて周りを見渡す。

「マジか!?ーー何も無くなってるじゃん!」

 民家とか倉庫とか、さっきまで沢山存在していた建物が軒並み無くなっている! まだ靄が到達していなかった建物も燃えてるしーー赤ん坊のご飯を探す場所が無くなってしまった!

 ……まずい、早急に解決しなければならない問題の糸口がまるで見つからない。

「ーーお、俺がオッパイを出すしか無いと言うのか?……」

 実は男性にも乳腺はあるのだ、実際に男性の胸からオッパイが出る事も有るらしいーー勿論、レアなケースではあるが……。

「クッ、やるしか無いかっ」

ーー出るか出ないかでは無い、捻り出すんだ! 

 覚悟を決め大胸筋をむんずと掴んだその時、森の方から声がーー見れば誰かがこちらへと駆けて来るではないか!

「ーーもうっ! 無茶ばっかりするんだからぁ!!」

 あれはーークリミアだ! ちょっと涙ぐんだ声を上げながらコッチに走ってくる!

 俺の目がその激しく揺れる豊冨な双璧に釘付けになったのは仕方ないと思うんだーー何せ、問題の解決策が向こうから走って来たんだから!

 泣き顔で駆け寄るクリミアを見て、俺はクタッとした赤ん坊にも聞こえる様に声を張り上げた。


「オッパイ!! やった、オッパイが来たぞ!!」


ーーバチーンッ!!


 静寂の集落跡に乾いた音が鳴り響いたーーその音に驚いたのか近くの木から大きな鳥が一羽、バッサバッサと飛び立っていった。
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