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第二話 枯れ木と月※
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ルートヴィッヒは恭しくエルヴィーラの左手を取ると、爪のない中指の先に接吻する。その途端、彼女の心臓がドキンッと跳ねた。物理的にあまりに近すぎる。治療の前に呼吸が止まりそうだ。
「ごらんなさい、エルヴィーラ嬢」
魔王の声に目をあけると、なんと中指から新しい爪が生えてきた。ピンク色のそれはみるみるうちに伸びて、若い女性らしい綺麗な指先が誕生した。一度だめになった爪が完全に元通りになるには一年かかると言う。驚異的な癒しの力だった。
エルヴィーラの口角は無意識に緩み、目尻が下がった。
「嬉しいです……っ 爪が元通りになるなんて、信じられません。ありがとうございます」
「どう、いたしまして」
魔王はどうしたことか、優美な手で顔の下半分を覆いエルヴィーラから視線を外す。
――目尻が赤い……?
ルートヴィッヒの肌は透明感があって真っ白なので、赤みが差すと分かりやすい。それがやけに艶っぽく見えて、彼女はまたドキドキしてしまった。
「続けてもいいですか、エルヴィーラ嬢?」
だが、低い声に頭を上げると、魔王の顔色は冷静沈着に戻っている。先ほどのは見間違えだったのだろうか、彼女は混乱しながら右手を差し出した。
「お、……おねがい、します」
魔王はにっこりと笑い、指一本一本に丁寧に唇を落としていく。ただの治療なのにエルヴィーラは平常心でいられない。しかも、ルートヴィッヒからはほのかな花香が漂ってくる。黴臭い地下牢で長く幽閉されていた彼女には、存在そのものが眩しい。必死に眼を閉じて、時が過ぎるのを待った。
「両手の治癒は、終わりました。わたしの魔力とあなたの身体はことのほか、相性が良いようです」
魔王はそう言いながら、早くも手首へと唇を移していく。
いくつかの例外を除き、エルヴィーラは血を採取するときは自分の手で行っていた。手首の内側に刃を当てる気にはならなくて、そこだけは傷がない。身体の傷痕が消えれば、心の痛みも癒えるだろうか。不意にそんなことを考えて、かすかな胸の痛みを感じた。
そうこうしているうちに、魔王の唇が肘を通過する。長い指がパフスリーブを上にずらすと、腕のつなぎ目に恭しく唇を落としていった。
「……っ!」
魔王の唇が腋の下をかすったとき、エルヴィーラから変な声が出そうになった。ぎゅっと眼を閉じて心の中で聖典を唱えるものの、気持ちを落ち着かせるのは到底不可能だ。下腹部にじわじわと甘い衝撃が走り、ビクッと腰が跳ねる。
「ん……っ」
「脚の治療は明日にしましょうか? エルヴィーラ嬢」
彼女は、慌てて首を振った。
「いいえ……変な声を出してすみません。続きをお願いします」
恥ずかしすぎて穴があったら入りたい心境に陥るが、今日乗り越えられないものが明日乗り越えられるはずがない。白いドレスをぎゅっと握りしめるエルヴィーラに、ルートヴィッヒが労りを見せる。
「無理だと思ったら、遠慮せずに言ってください」
「ありがとうございます……大丈夫です」
目尻に浮かんだ涙を、手の平で拭う。魔王はそんなエルヴィーラに寝台の縁に座るように伝え、自身は彼女の前に膝をついた。これは腕の治療より羞恥が増すのではないかと、今更気が付くエルヴィーラである。
ルートヴィッヒは目の前の貧相な足を宝物のように押し抱いて、頭を下げる。
「……っ」
エルヴィーラは足の指を食まれるのを感じて、慌てて顔をそむけた。これ以上は、怖くて直視できない。爪が生えてくるときのむず痒さに、またよからぬ声を上げてしまいそうだった。一本の指にするキスの時間は短いが、十回繰り返すと気が遠くなるほどの長さを感じる。
「ふ……っ」
唇を噛みしめていると、かわりに鼻息が漏れた。指と指の間に温く湿った舌の感触を覚える。そこに傷はないと指摘しようにも、口を開いたら変な声が出そうだった。魔王の舌はおそらく人間のそれより長くて、足指に舌が巻き付いているようにすら感じる。
「爪は終わりました。足の裏の傷痕を消したいので、寝転んでください」
「はい……」
土踏まずを舐められるとこそばゆくて、無意識に身体が逃げそうになった。足首を軽く掴まれ、温い唇の感触が足の甲、足首と移っていく。あの形の良い唇が自分の醜い傷痕を辿る光景を思い浮かべるだけで、全く関係ない身体の一部が熱を帯びてきた。視界を閉じると聴覚が鋭敏になる。衣擦れの音に、つい目を開けてしまった。
「ひ……っ!」
衝撃的な光景に、喉がひきつる。いつのまにか太ももの付け根まで露わになった枯れ木のような右脚が掲げられ、傷だらけの膝裏に今にもキスされようとしていた。どうしてか、ルートヴィッヒは目を閉じてうっとりとした表情を浮かべていた。美しいものが醜いものに恍惚する、倒錯的な光景。エルヴィーラは、今にも卒倒しそうだった。
だが、彼女を動揺させる行為は終わっていない。魔王はエルヴィーラの顔に陶酔したような瞳を向け、その太腿を大きく開いたのだ。
「あっ」
――下着が丸見えで恥ずかしい……っ!
心の中が羞恥と恐怖と驚きと恍惚が混じった感情で入り乱れて、訳が分からない。太腿は一つ一つの傷が深いせいか、魔王の口づけは念入りだった。
「ん……っ、だめ……っ」
内腿を軽く啄まれる。ナイフを深く刺した傷口の内側を探るように長い舌先が入ってきた。
「ひん……っ!」
エルヴィーラのあらぬ場所がぎゅんっと引きしまった。足の裏が宙に浮き、その後はかなくシーツに落ちる。彼女は自分の身に起きたことを理解できないでいた。
「今日は、ここまでにしましょう」
自分の肌から唇を離したばかりのルートヴィッヒに囁かれ、エルヴィーラは恍惚状態から現実に引き戻される。はー、はーと肩で息をして、何とか身を起こす。
「あ、ありがとうございました……」
茶色にくすんだ肌はごわごわして、二十歳の女性の健康な腕にはまだ遠いものの、傷痕がない分以前よりましな見た目だ。めくれ上がったドレスの裾を必要以上に伸ばし、小山座りでつま先までスカートの中に隠す。
――恥ずかしぃ……っ!
一度熱を放ったはずなのに、全然引いてくれない。股の間が、じゅくじゅくする。もしかしたら、下穿きが汚れて、恥ずかしい匂いをさせているかも。ルートヴィッヒに太腿の内側を吸われたとき、エルヴィーラはたまらず絶頂してしまった。
――わたし、なんてふしだらないの。
肌をくすぐる、甘やかな煉獄。絶世の美貌が枯れ木のような肉体に唇をよせる、シュールな光景。これが明日胴体にまで及ぶことを想像すると、顔から火が出そうだ。
「ほかに傷痕を消す方法はないのですか?」
「お嫌でしたか?」
ルートヴィッヒが首を傾げる。その顔は明らかに落胆しており、彼女はどう答えるべきか頭を悩ませた。嫌ではない、嫌ではないけれど。
「恥ずかしくて……とても、心臓が持ちません」
「では、今日我慢できたご褒美を差し上げましょう」
笑顔のルートヴィッヒはこちらに手を伸ばしてきた。頭を撫でられたと思いきや、すぐに両頬に金色のふわふわとしたものがかかる。髪にも癒しの力が宿ることを知られて以来、久しぶりの感覚だった。
「これ、わたしの髪……?」
「わたしはあなたの髪が好きだから、しばらくはこの長さでいてください」
「わたしも、わたしの長い髪が好きです。お日様の日を浴びて風になびく様子が、収穫直前の小麦みたいだって、小神殿のみんなが褒めてくれたんです」
「それならよかったです。私も長く、あなたの柔らかな髪を楽しむことが出来ます」
「ありがとうございます……っ、嬉しい……ですっ」
涙がこぼれる。髪を切られたときのことはまだ覚えている。相手は小神殿で働いていた時からの付き合いで、無二の親友といってもよかった。なのに、あっけなく裏切られた。悲しくて悔しい記憶だけど、魔王のお陰で少しずつ薄れていくようだった。
「ごらんなさい、エルヴィーラ嬢」
魔王の声に目をあけると、なんと中指から新しい爪が生えてきた。ピンク色のそれはみるみるうちに伸びて、若い女性らしい綺麗な指先が誕生した。一度だめになった爪が完全に元通りになるには一年かかると言う。驚異的な癒しの力だった。
エルヴィーラの口角は無意識に緩み、目尻が下がった。
「嬉しいです……っ 爪が元通りになるなんて、信じられません。ありがとうございます」
「どう、いたしまして」
魔王はどうしたことか、優美な手で顔の下半分を覆いエルヴィーラから視線を外す。
――目尻が赤い……?
ルートヴィッヒの肌は透明感があって真っ白なので、赤みが差すと分かりやすい。それがやけに艶っぽく見えて、彼女はまたドキドキしてしまった。
「続けてもいいですか、エルヴィーラ嬢?」
だが、低い声に頭を上げると、魔王の顔色は冷静沈着に戻っている。先ほどのは見間違えだったのだろうか、彼女は混乱しながら右手を差し出した。
「お、……おねがい、します」
魔王はにっこりと笑い、指一本一本に丁寧に唇を落としていく。ただの治療なのにエルヴィーラは平常心でいられない。しかも、ルートヴィッヒからはほのかな花香が漂ってくる。黴臭い地下牢で長く幽閉されていた彼女には、存在そのものが眩しい。必死に眼を閉じて、時が過ぎるのを待った。
「両手の治癒は、終わりました。わたしの魔力とあなたの身体はことのほか、相性が良いようです」
魔王はそう言いながら、早くも手首へと唇を移していく。
いくつかの例外を除き、エルヴィーラは血を採取するときは自分の手で行っていた。手首の内側に刃を当てる気にはならなくて、そこだけは傷がない。身体の傷痕が消えれば、心の痛みも癒えるだろうか。不意にそんなことを考えて、かすかな胸の痛みを感じた。
そうこうしているうちに、魔王の唇が肘を通過する。長い指がパフスリーブを上にずらすと、腕のつなぎ目に恭しく唇を落としていった。
「……っ!」
魔王の唇が腋の下をかすったとき、エルヴィーラから変な声が出そうになった。ぎゅっと眼を閉じて心の中で聖典を唱えるものの、気持ちを落ち着かせるのは到底不可能だ。下腹部にじわじわと甘い衝撃が走り、ビクッと腰が跳ねる。
「ん……っ」
「脚の治療は明日にしましょうか? エルヴィーラ嬢」
彼女は、慌てて首を振った。
「いいえ……変な声を出してすみません。続きをお願いします」
恥ずかしすぎて穴があったら入りたい心境に陥るが、今日乗り越えられないものが明日乗り越えられるはずがない。白いドレスをぎゅっと握りしめるエルヴィーラに、ルートヴィッヒが労りを見せる。
「無理だと思ったら、遠慮せずに言ってください」
「ありがとうございます……大丈夫です」
目尻に浮かんだ涙を、手の平で拭う。魔王はそんなエルヴィーラに寝台の縁に座るように伝え、自身は彼女の前に膝をついた。これは腕の治療より羞恥が増すのではないかと、今更気が付くエルヴィーラである。
ルートヴィッヒは目の前の貧相な足を宝物のように押し抱いて、頭を下げる。
「……っ」
エルヴィーラは足の指を食まれるのを感じて、慌てて顔をそむけた。これ以上は、怖くて直視できない。爪が生えてくるときのむず痒さに、またよからぬ声を上げてしまいそうだった。一本の指にするキスの時間は短いが、十回繰り返すと気が遠くなるほどの長さを感じる。
「ふ……っ」
唇を噛みしめていると、かわりに鼻息が漏れた。指と指の間に温く湿った舌の感触を覚える。そこに傷はないと指摘しようにも、口を開いたら変な声が出そうだった。魔王の舌はおそらく人間のそれより長くて、足指に舌が巻き付いているようにすら感じる。
「爪は終わりました。足の裏の傷痕を消したいので、寝転んでください」
「はい……」
土踏まずを舐められるとこそばゆくて、無意識に身体が逃げそうになった。足首を軽く掴まれ、温い唇の感触が足の甲、足首と移っていく。あの形の良い唇が自分の醜い傷痕を辿る光景を思い浮かべるだけで、全く関係ない身体の一部が熱を帯びてきた。視界を閉じると聴覚が鋭敏になる。衣擦れの音に、つい目を開けてしまった。
「ひ……っ!」
衝撃的な光景に、喉がひきつる。いつのまにか太ももの付け根まで露わになった枯れ木のような右脚が掲げられ、傷だらけの膝裏に今にもキスされようとしていた。どうしてか、ルートヴィッヒは目を閉じてうっとりとした表情を浮かべていた。美しいものが醜いものに恍惚する、倒錯的な光景。エルヴィーラは、今にも卒倒しそうだった。
だが、彼女を動揺させる行為は終わっていない。魔王はエルヴィーラの顔に陶酔したような瞳を向け、その太腿を大きく開いたのだ。
「あっ」
――下着が丸見えで恥ずかしい……っ!
心の中が羞恥と恐怖と驚きと恍惚が混じった感情で入り乱れて、訳が分からない。太腿は一つ一つの傷が深いせいか、魔王の口づけは念入りだった。
「ん……っ、だめ……っ」
内腿を軽く啄まれる。ナイフを深く刺した傷口の内側を探るように長い舌先が入ってきた。
「ひん……っ!」
エルヴィーラのあらぬ場所がぎゅんっと引きしまった。足の裏が宙に浮き、その後はかなくシーツに落ちる。彼女は自分の身に起きたことを理解できないでいた。
「今日は、ここまでにしましょう」
自分の肌から唇を離したばかりのルートヴィッヒに囁かれ、エルヴィーラは恍惚状態から現実に引き戻される。はー、はーと肩で息をして、何とか身を起こす。
「あ、ありがとうございました……」
茶色にくすんだ肌はごわごわして、二十歳の女性の健康な腕にはまだ遠いものの、傷痕がない分以前よりましな見た目だ。めくれ上がったドレスの裾を必要以上に伸ばし、小山座りでつま先までスカートの中に隠す。
――恥ずかしぃ……っ!
一度熱を放ったはずなのに、全然引いてくれない。股の間が、じゅくじゅくする。もしかしたら、下穿きが汚れて、恥ずかしい匂いをさせているかも。ルートヴィッヒに太腿の内側を吸われたとき、エルヴィーラはたまらず絶頂してしまった。
――わたし、なんてふしだらないの。
肌をくすぐる、甘やかな煉獄。絶世の美貌が枯れ木のような肉体に唇をよせる、シュールな光景。これが明日胴体にまで及ぶことを想像すると、顔から火が出そうだ。
「ほかに傷痕を消す方法はないのですか?」
「お嫌でしたか?」
ルートヴィッヒが首を傾げる。その顔は明らかに落胆しており、彼女はどう答えるべきか頭を悩ませた。嫌ではない、嫌ではないけれど。
「恥ずかしくて……とても、心臓が持ちません」
「では、今日我慢できたご褒美を差し上げましょう」
笑顔のルートヴィッヒはこちらに手を伸ばしてきた。頭を撫でられたと思いきや、すぐに両頬に金色のふわふわとしたものがかかる。髪にも癒しの力が宿ることを知られて以来、久しぶりの感覚だった。
「これ、わたしの髪……?」
「わたしはあなたの髪が好きだから、しばらくはこの長さでいてください」
「わたしも、わたしの長い髪が好きです。お日様の日を浴びて風になびく様子が、収穫直前の小麦みたいだって、小神殿のみんなが褒めてくれたんです」
「それならよかったです。私も長く、あなたの柔らかな髪を楽しむことが出来ます」
「ありがとうございます……っ、嬉しい……ですっ」
涙がこぼれる。髪を切られたときのことはまだ覚えている。相手は小神殿で働いていた時からの付き合いで、無二の親友といってもよかった。なのに、あっけなく裏切られた。悲しくて悔しい記憶だけど、魔王のお陰で少しずつ薄れていくようだった。
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