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第四十七話 「今夜はおまえに抱かれて眠りたい」
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居間を、再び沈黙が支配した。言ってしまって、ラウリは判決を待つ罪人のような気持ちでその時間を耐える。
「無理です。わたし、あなたを許せません」
彼女にしては珍しく、きっぱりと言った。ラウリはがっくりと肩を落とす。
「……そうか」
「お義母様の話は初めて聞いてびっくりして、まだ自分のなかで消化できないんですけれど……あなたが辛い思いをしたのは分かりました。……でも、だからと言ってわたしへの態度とお義母様の件は別の次元の話ですよね?」
「もちろんだ。アンニーナに一つも瑕疵はない」
――俺は、何て未練がましいんだ。
スティーナのように愛する人を亡くすわけじゃない。それでいいじゃないか。彼が出来るのは、彼女が今度こそ幸せになれるよう、遠くから見守るだけだ。なのに、どうしてこう心が痛いのだろう。頭を垂れるラウリのうえに、アンニーナの声が降ってきた。
「何でもない相手に嫌われても悲しいのに、好きな人に不誠実で冷たい態度をとられたら、どんな気持ちになるかあなたにはわかりますか? あなたはいつも人に愛されるから、きっとわかりませんよね?」
「……え?」
それは自分のことか? 理解するのにたっぷり十秒はかかった。見れば、アンニーナの顔は涙に濡れ、白い肌は紅潮している。彼女は膝の上のスカートの布地をぎゅっと握りしめた。
「毎日悲しかった、苦しかった。あなたに顧みられず、いっそ死んでしまいたいと思った。あなたに浮気されても、みんながわたしにあなたを引き留めるだけの魅力がないと嘲笑って、悲しかった」
妻の恨みつらみが胸に痛い。しかし、ラウリが認識している事実とは違っていて、彼はそれを確認せずにはいられなかった。
「だが、おまえはこの二年間ずっと怯えていたじゃないか。俺が怖かったからじゃないのか?」
「それは……わたしがあなたに相応しくないから、嫌われるのが怖かったんです。結婚するって言われたとき、わたし本当に嬉しかったんです。あなたはわたしにとって、ずっと憧れの人だったから」
ラウリはその言葉に、目を見開く。慕われているとは思ってもみなかった。嬉しいというより、とても信じられない。
「最初はたとえそうだったとしても、結婚したあとは違うだろ? 俺は結婚して二年間、ずっと不倫してたんだぞ? アンニーナのことないがしろにしたし、身体を労わってやったこともなかったんだ」
彼が言い切ると、アンニーナのなかのつらい記憶が蘇ったのかグズグズと鼻をすすり始める。ラウリは泣かせたいはずがないのに、やってしまったことが大きすぎ、慰める資格もなかった。
アンニーナは、自分の手の甲で涙を拭う。
「じゃあ、どうしてわたしがあなたの世話を喜んでしていると思っていたんですか?」
「それは……」
「答えてください」
確かに、彼女は毎晩笑顔で『おかえりなさい』と彼を迎えてくれた。嫌いな人間に笑顔を作れるほど、彼女が器用じゃないのを自分は知っているではないか。ラウリは具体的な答えがでてこなくて、首をかしげてしまった。
「義務的な……? 母親が子どもの面倒を見るように……?」
「親だって、子どもに愛情がなければ何もしてやりませんよ。ましてや、夫婦なんて」
不幸に優劣はないはずだけど、こんな言葉を言い切ってしまうアンニーナに比べて、自分はなんと軟弱なのかと思う。彼女はこっちが考えるより芯が強くてしっかりして、だからラウリが虐げようとも彼女は平静を保てたのだ。
顔を隠して泣く彼女を見ると、いつもラウリの見えないところでこうしていたのかと、胸が痛くなる。
「アンニーナ、そっち行ってもいいか?」
彼女は鼻をすすりながら、激しく首を振った。これは行っても行かなくても怒られるやつだ、とヤリチンの勘が働く。隣に座って彼女の正面を自分に向けさせると、早速ポカポカと胸を叩かれた。
「あなたはずるくて卑怯で、わたしのことなんて何にも考えてくれなくて、なのにたまに優しくしてきて。……わたしはいつもそれに振り回されて、いつかあなたがわたしに優しくしてくれるんじゃないかと淡い期待を抱いて、でもやっぱり裏切られて……」
「ごめん、アンニーナ。俺が悪い」
「そんなの、……あたりまえじゃないですか……っ」
正面から見るより小さな茶色い頭が愛おしい。その頭に顎を乗せて、彼女を抱き締めた。
「すまなかった。何度でも謝る。これからは、アンニーナだけを大切にする」
彼女はラウリを叩くのをやめ、頭をあげる。その視線がいつもより強くて、彼はどきりとした。
「一生かけて償ってください、わたしの隣で。わたしだけを見て、わたしだけに触れて。そうしたら人生の最期には許してあげる気持ちになるかもしれません。……今は全然そんな気がしないですけれど」
アンニーナは表情を隠したいのかラウリの胸に顔を押し付けてくる。ラウリがゆっくりと包み込むと、細い腕が背中に回り、ギュッと締め付けてきた。
ラウリは目の眩むような多幸感に包まれる。『底の抜けた水差しが満ちる錯覚』。ラウリのなかにそれが戻って来て、心臓の位置にピタリとはまり込む。
「ありがとう、アンニーナ」
本当はもう、ラウリは母親のことも理解している。母が次は幸せな人生を送れるように、天国でも生まれ変わっても、また父に逢えるように願っている。そうでなければ、なんども母親を悼む詩を読み返したりしない。
「アンニーナ、頼みがあるんだ」
「なんですか?」
「今夜は……おまえに抱かれて眠りたい」
妻は大きく目を開く。ラウリの顔を両手で引き寄せると、互いの頬を引っ付けた。
「はい、わかりました。今晩は特別にわたしがあなたのお母さんになります」
彼女の声、彼女の香り、柔らかい肌の感触。ラウリはそのすべてを温かく感じ、充足感を覚える。彼は無くした幸せを見つけて、また同じ言葉を繰り返した。
「ありがとう、アンニーナ」
「無理です。わたし、あなたを許せません」
彼女にしては珍しく、きっぱりと言った。ラウリはがっくりと肩を落とす。
「……そうか」
「お義母様の話は初めて聞いてびっくりして、まだ自分のなかで消化できないんですけれど……あなたが辛い思いをしたのは分かりました。……でも、だからと言ってわたしへの態度とお義母様の件は別の次元の話ですよね?」
「もちろんだ。アンニーナに一つも瑕疵はない」
――俺は、何て未練がましいんだ。
スティーナのように愛する人を亡くすわけじゃない。それでいいじゃないか。彼が出来るのは、彼女が今度こそ幸せになれるよう、遠くから見守るだけだ。なのに、どうしてこう心が痛いのだろう。頭を垂れるラウリのうえに、アンニーナの声が降ってきた。
「何でもない相手に嫌われても悲しいのに、好きな人に不誠実で冷たい態度をとられたら、どんな気持ちになるかあなたにはわかりますか? あなたはいつも人に愛されるから、きっとわかりませんよね?」
「……え?」
それは自分のことか? 理解するのにたっぷり十秒はかかった。見れば、アンニーナの顔は涙に濡れ、白い肌は紅潮している。彼女は膝の上のスカートの布地をぎゅっと握りしめた。
「毎日悲しかった、苦しかった。あなたに顧みられず、いっそ死んでしまいたいと思った。あなたに浮気されても、みんながわたしにあなたを引き留めるだけの魅力がないと嘲笑って、悲しかった」
妻の恨みつらみが胸に痛い。しかし、ラウリが認識している事実とは違っていて、彼はそれを確認せずにはいられなかった。
「だが、おまえはこの二年間ずっと怯えていたじゃないか。俺が怖かったからじゃないのか?」
「それは……わたしがあなたに相応しくないから、嫌われるのが怖かったんです。結婚するって言われたとき、わたし本当に嬉しかったんです。あなたはわたしにとって、ずっと憧れの人だったから」
ラウリはその言葉に、目を見開く。慕われているとは思ってもみなかった。嬉しいというより、とても信じられない。
「最初はたとえそうだったとしても、結婚したあとは違うだろ? 俺は結婚して二年間、ずっと不倫してたんだぞ? アンニーナのことないがしろにしたし、身体を労わってやったこともなかったんだ」
彼が言い切ると、アンニーナのなかのつらい記憶が蘇ったのかグズグズと鼻をすすり始める。ラウリは泣かせたいはずがないのに、やってしまったことが大きすぎ、慰める資格もなかった。
アンニーナは、自分の手の甲で涙を拭う。
「じゃあ、どうしてわたしがあなたの世話を喜んでしていると思っていたんですか?」
「それは……」
「答えてください」
確かに、彼女は毎晩笑顔で『おかえりなさい』と彼を迎えてくれた。嫌いな人間に笑顔を作れるほど、彼女が器用じゃないのを自分は知っているではないか。ラウリは具体的な答えがでてこなくて、首をかしげてしまった。
「義務的な……? 母親が子どもの面倒を見るように……?」
「親だって、子どもに愛情がなければ何もしてやりませんよ。ましてや、夫婦なんて」
不幸に優劣はないはずだけど、こんな言葉を言い切ってしまうアンニーナに比べて、自分はなんと軟弱なのかと思う。彼女はこっちが考えるより芯が強くてしっかりして、だからラウリが虐げようとも彼女は平静を保てたのだ。
顔を隠して泣く彼女を見ると、いつもラウリの見えないところでこうしていたのかと、胸が痛くなる。
「アンニーナ、そっち行ってもいいか?」
彼女は鼻をすすりながら、激しく首を振った。これは行っても行かなくても怒られるやつだ、とヤリチンの勘が働く。隣に座って彼女の正面を自分に向けさせると、早速ポカポカと胸を叩かれた。
「あなたはずるくて卑怯で、わたしのことなんて何にも考えてくれなくて、なのにたまに優しくしてきて。……わたしはいつもそれに振り回されて、いつかあなたがわたしに優しくしてくれるんじゃないかと淡い期待を抱いて、でもやっぱり裏切られて……」
「ごめん、アンニーナ。俺が悪い」
「そんなの、……あたりまえじゃないですか……っ」
正面から見るより小さな茶色い頭が愛おしい。その頭に顎を乗せて、彼女を抱き締めた。
「すまなかった。何度でも謝る。これからは、アンニーナだけを大切にする」
彼女はラウリを叩くのをやめ、頭をあげる。その視線がいつもより強くて、彼はどきりとした。
「一生かけて償ってください、わたしの隣で。わたしだけを見て、わたしだけに触れて。そうしたら人生の最期には許してあげる気持ちになるかもしれません。……今は全然そんな気がしないですけれど」
アンニーナは表情を隠したいのかラウリの胸に顔を押し付けてくる。ラウリがゆっくりと包み込むと、細い腕が背中に回り、ギュッと締め付けてきた。
ラウリは目の眩むような多幸感に包まれる。『底の抜けた水差しが満ちる錯覚』。ラウリのなかにそれが戻って来て、心臓の位置にピタリとはまり込む。
「ありがとう、アンニーナ」
本当はもう、ラウリは母親のことも理解している。母が次は幸せな人生を送れるように、天国でも生まれ変わっても、また父に逢えるように願っている。そうでなければ、なんども母親を悼む詩を読み返したりしない。
「アンニーナ、頼みがあるんだ」
「なんですか?」
「今夜は……おまえに抱かれて眠りたい」
妻は大きく目を開く。ラウリの顔を両手で引き寄せると、互いの頬を引っ付けた。
「はい、わかりました。今晩は特別にわたしがあなたのお母さんになります」
彼女の声、彼女の香り、柔らかい肌の感触。ラウリはそのすべてを温かく感じ、充足感を覚える。彼は無くした幸せを見つけて、また同じ言葉を繰り返した。
「ありがとう、アンニーナ」
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