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第四十五話 「わたし以外の、女の人の頭を撫でないで……っ!」

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 自分のせいで連れ合いを亡くし、それを一人で乗り越えなくてはならなかった彼女の心情は如何ばかりかと、ラウリも想像してみる。スティーナとラウリはよく似ていて、おそらくスティーナにとって前の伯爵の存在はまさに『底なしの水差しが満ちる錯覚』に近いものがあったのだろう。ラウリも自分のせいでアンニーナを亡くしてしまったら、悲しみのあまり薬物に逃げありもしない復讐に身を投じたかもしれない。そうしないと、生きている理由がなくなってしまうから。

 ラウリはスティーナに同情して、彼女を抱いたままでいた。しばらくして雨が上がる。雲間から太陽が顔を出し、炭焼き場を照らす。

「いや、パヤソン補佐官の手腕は、お見事です。……ほんとに」

 視界が明るくなると、向かいでエサイアスがアンニーナを抱きしめたまま、笑いをかみ殺していた。アンニーナの顔には表情がなく、決してラウリと目を合わせようとしない。

 ――やべぇ!

 いくらなんでもヤバすぎる。これはアンニーナにとどめを刺してくれと言っているようなものではないだろうか。捨てられる覚悟で『エサイアスのところへ行ってもいい』と言ったけれど、墓穴を掘るとはまさにこのことだ。
 そのとき、馬のいななきに顔をあげれば、護送馬車が炭焼き場の外に泊るところだった。御者席からハンネスが飛び降りてくる。その表情はいつになくシリアスで、愛する同僚に躊躇いがちに声を掛けた。

「スティーナさん……」
「あなたの気持に応えられなくて、ごめんなさい」

 スティーナが弱弱しい笑みを浮かべる。執事が窓のない真っ黒な馬車の扉を開くと、誰に言われるまでもなく踏み台に脚をかけた。扉が閉まるのを確認して、エサイアスがアンニーナの肩から手を離す。
 
「じゃあ、僕たちはこのまま城に帰りますからね。病院には患者は元気だと伝えておきますので、今日は二人でよく話してください。明日、念のため病院に行ってくださいね。まあ、すぐに退院させられるでしょうけど」
「……」
 
 ラウリはエサイアスと猛烈に会話をしたくなくて、『うるせぇ、この坊主が』と内心罵ってガン飛ばす。異父弟は嬉しそうな顔をして、ラウリの妻に話しかけた。
 
「アン。あなたに怪我がなくてよかった。また会いましょう」
「はい、エサイアス様。ありがとうございました。……あの、スティーナさんはどうなりますか?」
「通常であれば死刑ですが、アンの望みとあれば生かしましょう。生かすとなればクスリを抜く治療をしなければなりません。ここにはそんな施設は有りませんが、ピエティラ侯爵領には治療施設がありますから、ひとまずそこへ送りましょう」
「ありがとう、ございます! エサイアス様」

 感激するアンニーナを横目に、ラウリはいろいろ心配になって、軍人同士で交わすサインを試しに送ってみた。

『あそこへ送って大丈夫なのか? 死んだほうがましな目に遭うぞ?』

 エサイアスは、何でもないことのように指でサインを返してくる。

『大丈夫でしょ。ジュリアン兄さんは壊れているものには興味を抱きませんから』

 この会話嫌だなと思ったが、それ以上口を出すまいとラウリは誓った。護送馬車とエサイアスの馬が去っていくと同時に、ハイネスが声を掛けてくる。
 
「俺が手綱を持つんで、補佐官と奥さんは乗ってください。家まで送りますよ」
 
 ジャガイモ頭の士官は早速馬を従えていて、失恋からの立ち直りっぷりが見事だった。

「助かる、ありがとう」
 
 ラウリは 『おまえもすまないな』と馬の首筋をポンポンと叩く。そのとき、アンニーナの顔がわずかにひきつったが、彼女を馬に乗せるため両手で足場を作るラウリはそれを見逃した。馬も鞍もビショビショだったが、自分たちも濡れているので不快さは変わらない。ラウリが馬に乗ろうと鐙に脚を掛けたら、胸の傷がじくじくと痛んだ。傷口が開いたかもしれない。
 
 雨上がりの帰路、前に座らせた妻の雰囲気がとっても刺々しい。ラウリはやらかした自覚があったが、傍に人がいるので釈明出来ない。ハンネスは一見背を向けて馬の引き役に徹しているが、こちらに聞き耳を立てていることは明らかだった。

 ――もう少しだ! もう少し我慢するんだ、ラウリ・パヤソン! おまえなら出来る!

 だが、結局ラウリは自分が期待するほど堪え性がなく、耐えがたい空気に白旗をあげる。馬の蹄の音に交じり、コホン、とわざとらしく咳払いした。

「アンニーナ。さっきのは……なんというか、……事故で……」
「……な……いで……」
「ん? なんだ?」

 アンニーナの呟きが聞き取れなくて、首を下げた。吐息が絡みそうなくらい近い距離になる。しかし、ラウリはこの二秒後に聞き返したことを後悔した。

「わたし以外の、女の人の頭を撫でないで……っ!」

 その瞬間、ハンネスがこらえきれず噴き出した。
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