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第四十一話 「今は童貞じゃありません!」

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エサイアスは片方の鼻の孔に布の切れ端を突っ込んで、なにをするかと思えば執事の出したお茶を飲み始めた。鼻の詰め物がなければ、実に優雅な光景だ。実のところ、エサイアスは自分の見た目にそれほど関心がないかもしれない。

「せっかく僕が兄さんの呪いを解いてあげたのに、恩をあだで返されるとは思いもよりませんでしたよ」
「呪い?」

 そんなものかかった記憶はないと言わんばかりのラウリ相手に、エサイアスはあっけらかんと言い放った。
 
「アンが母親に見える呪いですよ。解けてよかったでしょ? バブバブ」

 両の拳を開閉して見せるエサイアスに腹が立つものの、心当たりがある。とはいえ死んでも礼を言いたくないラウリは、アイスブルーのまなじりをきつくする。
 
「物は言いようだな。おまえがアンニーナと寝たかっただけだろ?」
「それは否定しませんけどね。だけど、彼女が一方的な愛の奉仕に疲れ切っていなかったから僕にそのチャンスもなかったはずです」
「一方的なの奉仕? なんだ、それ?」

 意味が分からず尋ねると、エサイアスは珍しくきょとんとした。それからふと背後の執事をうかがうと、執事も頭を振って見せる。

「まさか、……兄さんがここまでポンコツとは思いもよりませんでしたよ」
「なんだか知らないけど、好きなように言えよ」

 一度堕ちるところまで堕ちたラウリのプライドは、ポンコツと呼ばれたくらいでは傷つかない。ただ、エサイアスに彼女を託そうとしてるのに、こうまでとげとげしい態度をとられるのかわからなかった。ラウリはエサイアスに白旗をあげたのに。
 
「兄さんも僕のコミュ障を笑えませんよ。それに極度の見栄っ張りだ。髭を生やしたのも、僕とのつながりをアンに知られたくないからでしょ?」

 エサイアスがラウリの顎を指さす。確かにラウリは、彼女に自分の弱いところを見せたくなかった。知られるなら、いっそ離れてしまいたい。

「おまえこそ、アンニーナが手に入るのに嬉しくないのかよ」
「もちろんこんなに嬉しいことは生まれて初めてです。ですが、僕は父の傲慢から生まれた者として、その教訓を生かさねばいけません」
「教訓?」
「相手の選択肢を潰さないことです。父が本当に母の心を手に入れたかったら、最初に爵位をジュリアン兄さんに譲り継母ははと離婚して、財産を家族に分け与えるべきでした。何も持たないただの男になって、母の家に足しげく通えば、ラウリ兄さんが成人したころに母も根負けしてプロポーズの言葉に頷いたかもしれません」
 
 自分が産まれ来ない前提の話を語るには、エサイアスの顔は穏やかすぎる。ラウリには異父弟の考えていることがさっぱり読めなかった。
 空いっぱいに雨雲が立ち込め、ときおり雷の音が聞こえる。冬の雨は珍しく、ラウリはその音で自分の思考を中断させた。エサイアスも窓から視線をこちらに戻す。
 
「ところで、兄さん。あの商人にどうやって居場所を知られたんですか?」
「どういうことだ?」
「商人の行動を追ってみたんですよ。彼は宿屋の松明と肉屋の包丁を盗んで、その足で市場にいる兄さんを探しあてました。ですが、平日の昼間に兄さんが市場にいることはイレギュラーなことなんです。必ず商人と鉢合わせするように仕組んだ者がいるはずです」

 問われて、ラウリは記憶を探る。
 
「市場によい宝石商が来てるって教えてもらったんだ。あれは……誰だったかな? スティーナ・マイキオ……?」
「ああ。私兵団の紅一点のスティーナ・マイキオさんですか。……じゃあ、彼女が商人にあなたの居場所を伝えたということですね。これは意外ですね」

 まさか。彼女がリーアの夫と通じていたというのか? どうして、なんのために?

 そのとき部屋の外が騒がしくなり、執事がドアの向こうに消えたがすぐに戻ってきた。

「私兵団のハンネス・アスピ殿がパヤソン補佐官にお会いしたいそうです」

 ハンネスは、ラウリが森のなかの修道院跡を案内してもらったジャガイモ頭の青年だ。土地に明るいことを頼りに、人探しを依頼していた。
 
「入ってもらってください」

 ハンネスは入室するなり、旅装のまま周りも見ずに怒涛の勢いで話し始めた。
 
「パヤソン補佐官! わぁ! 髭剃ってますますヤリチン度が上がったっすね!」
「お、おぅ……」

 開口一番それかよ、とラウリは既に引き気味である。ハンネスはそれには気が付かず、どんどんベッドに近づいてきた。
 
「街中で刺されたと聞いて俺、ついにヤリチンの報いを受けたかって早合点したんすけど、本当に薬物中毒者から子どもを守ったそうですね! やっぱり補佐官は漢のなかの漢って感じっすね!」

 褒められているのか、貶されているのか分からない。浮気相手の旦那に刺されたのだから、ある意味ヤリチンの報いを受けたことになるのだが、こんな田舎町で噂になったら目も当てられない。ムカつくことに、ハンネスの背後でエサイアスがニタニタと笑いを浮かべているが、今はそれを怒ることも出来なかった。

「それでアスピ士官、俺が頼んだ仕事は……」

 ラウリは話題を変えさせようと、必死に誘導した。
 
「それです! 聞いてくださいよぉ、おれ、ハートブレイクなんです!」

 ハンネスは何かを思い出して、ラウリのベッドの前でしゃがみこんで顔を覆う。よよよ……と涙にくれ始めた。
 
「何がハートブレイクなんですか?」

 すっかり自分の不幸に浸りきっていたハンネスは背後からの声に振り返り、飛び上がらんばかりに驚いた。
 
「わぁっ! 領主様と執事さんもいらっしゃったんすか! これは失礼しました!」

 相変わらず、オーバーアクションだ。ラウリはハンネス・アスピのような人物と接することは初めてで、なかなかやりとりに慣れなかった。だが、こう見えて青年は『使える人種』なので、苦労してでも慣れなければならない。
 エサイアスが天使の笑顔で、対応する。
 
「ラウリ補佐官の用事で、出張中でしたね?」
「そうです! 私兵団のハンネス・アスピです! 出張から戻ってまいりました!」
「それで収穫はあったんですか?」

 エサイアスがハンネスを誘導してくれたので、ほっと胸をなでおろすラウリである。だが、次に青年が発した言葉は彼らの想像をはるかに超えていた。

「スティーナさん、前の領主様の内縁の妻だったそうっす!」

 予想外すぎる回答に、病室は静まり返る。前の領主と言えば、チビデブハゲの三拍子が揃った冴えない中年男だったはずだ。あの女版ラウリとも言えるスティーナ・マイキオとは早々に結びつかない。
 三拍ぐらいおいて、そういえば……とエサイアスはきまり悪げに耳の下を掻いた。
 
 「着任してしばらくして、彼女に詰め寄られたことがあったんです。いきなり服とか脱ぎだしてコワかったんで、パヤソン補佐官が来るなり速攻あなたの部下にしちゃいました」

 ヒュゥ……とハンネスの呼吸の止まる音がする。ラウリのこめかみに青筋が浮かんだ。
 
「このぼ……っ」

 うずが! と叫びそうになって、ラウルは慌てて自分の口を塞ぐ。ここには自分たちの事情を知らないハンネスがいる。だが、結局ラウリはこらえられきれなかった。

「そういうことは先に言え! 早速ハニトラ仕掛けられてるじゃねぇか! この童貞が気がつけ!」
「今は童貞じゃありません!」

 ドヤ顔をするエサイアスが何をどうして卒業したか思い出して、げっそりするラウリであった。これも、穴兄弟の宿命である。

「なんすか、この微妙な空気。生臭いっすね」

 ハイネスのツッコミが、ラウリをはっと我に返らせた。

「今すぐ、スティーナ・マイキオを連れてこい」
「彼女なら補佐官のお宅に伺うって、言ってたらしいっす。奥さんに頼まれていた品物を届けるとかで、俺も探してんっすよ」

 今度はエサイアスとラウリが顔を見合わせ、同時に立ちあがる。エサイアスは執事に何事か言いつけると、部屋を飛び出した。ラウリもそのまま出かけようとして、寝間着に素足なことを思い出す。無言で軍服に着替え始める彼を、ハイネスは怪訝に伺った。

「ほ、……補佐官? 素晴らしい肉体っすけど、いきなり脱いでどうしたんっすか?」
「おまえの馬、鞍着いたままだろ。貸してくれ」
「え、それはいいっすけど、なんすか……?」
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