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第二話 「誰か、たすけてください……っ!」

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 ラウリは、王都の治安を預かる警ら隊の中隊長を務めている。勤務は三交代制。中隊は四つあり、各々八つの小隊を抱えている。構成員は大多数の軍閥出身者と多少の農民や商人の子弟が占め、お飾りの大隊長の位は貴族が金で売買するのが習慣になっていた。実質四人の中隊長のうち、王宮でも顔の利くラウリが大隊長格を兼ねている。

 いつものように市場を巡回していると、果物屋の若い女主人が声を掛けてきた。

「ラウリ、今朝仕入れたブドウよ。一房どう?」
「ありがとう。ブドウも色艶がいいが、今日のリーアは一段と美しいな」

 ラウリが褒めると、彼女は嬉しそうに頬を赤らめた。まるでその手にもつ果実のように、みずみずしい表情だ。ラウリが導かれるようにその頬を指先で辿ると、彼女は指先に頬を擦り付けてくる。なめらかな肌は触り心地が良く、よくなついた猫のように愛らしかった。
 
「だったら、いつ会ってもらえるの? わたし、ずっと待ってるんだけど?」
「んー? 来週の月曜の晩?」
「良かった、その日はまだ主人が戻らないの。ディナーの準備して待ってるから。あなたの好きなものを作るわ」

 リーアは嬉しそうに微笑んで、ラウリの頬にキスをした。隣にいた副隊長があっけにとられた顔で、ご機嫌な彼女の後姿を見送っている。ラウリは角を曲がったところで、紙袋を彼に押し付けた。

「やる」
「え? いいんですか? 隊長がもらったんでしょ?」
「お前んとこ、子ども小さいだろ? 食わせてやれよ」
「え? 隊長にも家族がいらっしゃるでしょう? ……奥さんとか」
「うちはいいんだよ」

 ラウリが言い切ると、部下は遠慮がちに紙袋を掴む。
 
「ありがとうございます。ところで……あの人、市場で一番美人と有名のリーアさんでしたよね? 旦那さんいませんでしたっけ?」
「いるぞ。二歳上の幼馴染で、今は地方に買い付けでしばらく留守だ。前年から仕入れ先と違う場所を度々尋ねるので違法品の闇取引でもしているのかと思ってマークしていたが……。真相は愛しい妻へのプレゼントをあちこちで見繕っていたらしい。完全に白だと決まったわけじゃないけどな」
「うわ……っ」

 部下は、血の気の引いた表情をみせた。愛妻家の商人が妻への贈り物を探して回り道をし、それを犯罪行為と疑ったラウリが情報収集のためにその妻を寝取って夢中にさせてしまった。目ぼしい情報を入手できなかったせいで、悲劇性が余計に目立つ。

「いつも思うんですけれど、……奥さん何にも言わないんですか? うちだったら即刻離婚ですけれど」
「あいつが言うわけないだろ。こっちはあいつの親の借金まるまる肩代わりしてやったんだよ」
 
 そんなわけでアンニーナに何か言えるはずもないが、代わりに怒る人間はいる。家政婦のマルヤの丸顔が浮かんだ。と同時に、その彼女に昨夜まくし立てられた記憶が朧げに蘇ってくる。ラウリは市場でスリを捕まえ路地で酔っ払いどもの喧嘩の仲裁をしたあと、ようやく言われたことを思い出したのだ。

 ――リーアがアンニーナに蛆の湧いた果物を渡して、アンニーナが寝込んだという話だっけ。

 リーアは悋気が強いが、後には引きずらない気の良い女だ。ラウリはそこを特に気に入っている。それに比べてアンニーナときたら、売られた喧嘩を買うこともできず、いちいちマルヤに泣きついては事を大きくする。家政婦がいないと、なにも出来ない女なのだ。

 ――こっちは忙しいのに、いちいち相手にしてられるかよ。
 
 ラウリは気持ちを切り替え、目の前の仕事にとりかかった。最近、王都でやたらと薬物依存者が湧くようになり、おかげで治安が悪化している。更生施設は急激に増える患者に対応できず、既にパンク状態だ。警ら隊が捕まえても牢屋に放り込むだけで結局は一晩経てば外へ出される。依存者を捕まえてもキリがない、大元を叩かねばならないのだ。

 *
 
 アンニーナは、公園のベンチで一人しょぼくれていた。
 家政婦のマルヤは、二十歳の時からもう四十年もパヤソン家の使用人として勤めているそうだ。ラウリの母が現在の王配の乳母だったためほとんど屋敷におらず、ラウリは祖母とマルヤに育てられたようなものだとか。
 歳の差からしたら仕方ないが、アンニーナをまるで孫のように扱う。マルヤは明るくて人の世話を焼くのが好きで、アンニーナを放っておけない。だが、アンニーナのことを先回りしてラウリに報告してしまうので、夫婦で直接話す機会が奪われているように感じてしまう。

 ――ダメだわ、わたし。あの人とうまくいっていないのを人のせいにして。
 
 ラウリともっと話をすればいいのだが、怖くてとても話しかけられない。暴力や暴言があるわけもないのに、あの冷たい目で見返されるだけで身がすくむのだ。
 大きな屋敷、たくさんの使用人、将来を嘱望された美しい夫。物質的には過剰なほど満たされているのに、アンニーナには居場所がない。実家が没落して十代に入るころには働きに出ていたため、これといった趣味はないし仲の良い友人もいなかった。

 ――せめて、子どもがいれば。

 いたら余計なことを考えなくても済む。子守の仕事もしていたから、子育てに不安はない。ずっと働いてきたから身体も丈夫だ。出産にも不安はない。

 ――でも、あの人はわたしの子どもでも可愛がってくれるだろうか? わたしのことが好きじゃないから、子どもも好きになれないなら、その子が可哀そうすぎる。
 
 アンニーナは、なんとなく周囲を見回した。ここは平民向けの憩いの場だ。曇り空の昼下がり、ドリンク売りや串肉売りなどが出店を出していた。家族連れも多いが、カップルもなかにはいる。アンニーナのように一人で来ている者は見当たらなかった。ふと、気配を感じて頭をあげる。

「よぉ、お姉ちゃん。どうした? 恋人に冷たくされたのか? 俺たちが慰めてやろうか?」
 
 気が付けば、アンニーナはガタイの良い若者たち三人に取り囲まれていた。目はギラついて、ニヤニヤした口からはなにやら液体がだらしなくこぼれている。彼らは、貴族しか身につけないジャケットと黒いトラウザース姿だがクラヴァットは乱れどことなく薄汚く、見た目はその辺のゴロツキと変わらなかった。アンニーナの顔から一気に血の気が引く。

「へぇ。よく見れば可愛いじゃねぇか」
「姉ちゃん、俺たちが遊んでやるよ」
「け……結構です。わたし、か……帰ります」

 彼女は恐怖のなか、なんとか立ちあがり公園の出口を目指そうしたが無駄だった。ごろつきのうちの一人に腕を掴まれ向かい合わせにさせられると、がっつり抱きしめられたのだ。

「ひぃ……っ!」

 ――いや! 埃っぽい、酒臭い、気持ち悪いっ!

 恐怖のあまり、アンニーナの身体はガタガタと震える。ろくに抵抗できなかった。

「誰か、たすけてください……っ!」
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