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第三章
63.あやめ祭り(2)
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赤色で統一され、仙女たちの人形が飾られた花嫁用の轎子。果たして自分にこれに乗る資格はあるのかと、怖じ気付いてしまう。役所の外からは、花嫁行列を待ちわびている人々の歓声が早くも聞こえていた。
聞いた話では、花嫁は轎子、花婿は馬と決まっており、いくつかの起点から出発した八組の花嫁行列が大通りで合流するらしい。
役所の扉が開いた途端、大歓声で迎えられた。名前も知らぬ人々が花嫁に祝福の言葉を投げる。溪蓀は赤い蓋頭の下で、驚きを露わにした。
轎子のなかから前を見ると、騎乗した男性が先導していることに気が付いた。馬にも吉兆の赤色の頭絡と鞍が付けられている。
――あの方が、きっと千花のお兄様なんだわ。
ここにきて溪蓀は初めて、勇景海について考えてみた。
千花の思い出話と実際に受ける印象が著しく異なっているため、自分のなかでは明確な人物像を成していない。赤い花婿の衣装の肩幅からして、背は高い。妹の千花は小柄なので、少し意外な感じがした。
どうやら、勇景海が通ると、道すがら若い娘たちの黄色い歓声が飛ぶようだ。美男子なのだろうか。妹は花のように美しいのだから、兄もそうなのだろう。千花の兄が景海と知られて彼女への苛めが始まったそうだから、そこには妬みがあったかもしれない。
科挙に一番で合格して背の高い美男子で、妹は皇后。皇帝の覚えもめでたい。そんな男が、文一つかわしただけの、見たこともない主君の妻を想って独身を通したなどと、誰が聞いても信じられないだろう。
もしかしたら、彼は溪蓀と同じ病に侵されているのかもしれない。妄執に近い、独りよがりの片恋。いまはその幻想が早く覚めることを願うのみだった。勇景海は自分に結婚する意思はないという、皇帝からの知らせを既に受けているはずだ。
だが、祝福の言葉を受け手を振る後ろ姿は、本当に幸せそうに見える。顔で笑って心で泣いて、景海は何とできた人間なのだろう。もし、自分が浩海に拒否されたら、果たして何事もなかったように振る舞えるだろうか。
自分ときたら、身勝手なことばかりだ。溪蓀は景海に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。許してもらえないかもしれない。だが、それでも浩海を諦める気にはならないのだ。相手が迎えに来ないなら、自分から探しに行けばよい。
そんなことを考えていると、人々の歓声が急に遠くなった。
怪訝に思った彼女は、蓋頭を持ち上げてのぞき窓を窺う。目を疑った。何故なら、そこには高い柵のついた花畑が広がっていて、観衆はそれを取り囲むようにして遠くから手を振っていたからだ。
剣のような深緑色の葉と茎の先に、青紫色の花が咲いている。花の中心部に近づくにつれ白が入り、最後には黄色い網目模様が入る。
――アヤメの花。
それらが何百本、いいや、何千本と広がり、絶景を作り出している。五年前、こんなところはなかった。
――なんて、きれいな。
彼女はうっとりとその光景に酔いしれた。溪蓀のなかで孤独に咲いていた一輪のアヤメの花は急速に形を失い、新たにたくさんのアヤメが茎をのばし、一斉に花を咲かせた。まるで、この場にある光景を写し取ったように。
溪蓀はゆっくりと目を閉じる。花々は、一人の男の愛について、彼女に直接話し掛けてくるようだった。
――あなたなのね。
気がついてみれば、勇景海の行動は、全て浩海らしいものだった。溪蓀の文の返しに、粋な褙子を送ってきた。彼女の実家の世話を焼くのも、ずっと見守ってくれたからだ。彼は誰にも当たりが良く礼儀正しかったから、賢宝に気に入られるのも分かる。馬球の経験があるのも、大貴族なら当たり前のこと。
きっと、この花畑を造り、花嫁行列に提供したのも彼なのだろう。自分の気持ちが変わらぬことを溪蓀に伝えるために。
どうして、千花の兄のふりをしているのか。どうして、皆は彼女に勇景海の正体を教えてくれなかったのか。聞きたいことはいくらでもある。だが、それは後でいい。
馬上から、男がゆっくりと振り返った。溪蓀は固唾を呑む。
そこには紛れもない、この五年間、溪蓀の心を独占し続けた男がいた。
「浩海さん……っ!」
聞いた話では、花嫁は轎子、花婿は馬と決まっており、いくつかの起点から出発した八組の花嫁行列が大通りで合流するらしい。
役所の扉が開いた途端、大歓声で迎えられた。名前も知らぬ人々が花嫁に祝福の言葉を投げる。溪蓀は赤い蓋頭の下で、驚きを露わにした。
轎子のなかから前を見ると、騎乗した男性が先導していることに気が付いた。馬にも吉兆の赤色の頭絡と鞍が付けられている。
――あの方が、きっと千花のお兄様なんだわ。
ここにきて溪蓀は初めて、勇景海について考えてみた。
千花の思い出話と実際に受ける印象が著しく異なっているため、自分のなかでは明確な人物像を成していない。赤い花婿の衣装の肩幅からして、背は高い。妹の千花は小柄なので、少し意外な感じがした。
どうやら、勇景海が通ると、道すがら若い娘たちの黄色い歓声が飛ぶようだ。美男子なのだろうか。妹は花のように美しいのだから、兄もそうなのだろう。千花の兄が景海と知られて彼女への苛めが始まったそうだから、そこには妬みがあったかもしれない。
科挙に一番で合格して背の高い美男子で、妹は皇后。皇帝の覚えもめでたい。そんな男が、文一つかわしただけの、見たこともない主君の妻を想って独身を通したなどと、誰が聞いても信じられないだろう。
もしかしたら、彼は溪蓀と同じ病に侵されているのかもしれない。妄執に近い、独りよがりの片恋。いまはその幻想が早く覚めることを願うのみだった。勇景海は自分に結婚する意思はないという、皇帝からの知らせを既に受けているはずだ。
だが、祝福の言葉を受け手を振る後ろ姿は、本当に幸せそうに見える。顔で笑って心で泣いて、景海は何とできた人間なのだろう。もし、自分が浩海に拒否されたら、果たして何事もなかったように振る舞えるだろうか。
自分ときたら、身勝手なことばかりだ。溪蓀は景海に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。許してもらえないかもしれない。だが、それでも浩海を諦める気にはならないのだ。相手が迎えに来ないなら、自分から探しに行けばよい。
そんなことを考えていると、人々の歓声が急に遠くなった。
怪訝に思った彼女は、蓋頭を持ち上げてのぞき窓を窺う。目を疑った。何故なら、そこには高い柵のついた花畑が広がっていて、観衆はそれを取り囲むようにして遠くから手を振っていたからだ。
剣のような深緑色の葉と茎の先に、青紫色の花が咲いている。花の中心部に近づくにつれ白が入り、最後には黄色い網目模様が入る。
――アヤメの花。
それらが何百本、いいや、何千本と広がり、絶景を作り出している。五年前、こんなところはなかった。
――なんて、きれいな。
彼女はうっとりとその光景に酔いしれた。溪蓀のなかで孤独に咲いていた一輪のアヤメの花は急速に形を失い、新たにたくさんのアヤメが茎をのばし、一斉に花を咲かせた。まるで、この場にある光景を写し取ったように。
溪蓀はゆっくりと目を閉じる。花々は、一人の男の愛について、彼女に直接話し掛けてくるようだった。
――あなたなのね。
気がついてみれば、勇景海の行動は、全て浩海らしいものだった。溪蓀の文の返しに、粋な褙子を送ってきた。彼女の実家の世話を焼くのも、ずっと見守ってくれたからだ。彼は誰にも当たりが良く礼儀正しかったから、賢宝に気に入られるのも分かる。馬球の経験があるのも、大貴族なら当たり前のこと。
きっと、この花畑を造り、花嫁行列に提供したのも彼なのだろう。自分の気持ちが変わらぬことを溪蓀に伝えるために。
どうして、千花の兄のふりをしているのか。どうして、皆は彼女に勇景海の正体を教えてくれなかったのか。聞きたいことはいくらでもある。だが、それは後でいい。
馬上から、男がゆっくりと振り返った。溪蓀は固唾を呑む。
そこには紛れもない、この五年間、溪蓀の心を独占し続けた男がいた。
「浩海さん……っ!」
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