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第三章
56.フェティシズム(2)
しおりを挟む連れて来られたのは、宮闈局の管轄にある、規範に反した女官や宦官のための地下の牢獄だった。姚内侍少監は女一人と侮っているのか、松明持ちの兵士を一人伴っていた。
昼間なのに湿気がこもり、わずかな光も入ってこない。橙色に照らされたそこは独居坊が十ほど並んでいたが、今は誰も入っていないようだ。
王貴妃が十日間閉じ込められて、限界まで気力を削がれたところだ。溪蓀は屈辱に歯噛みして、被帛を握りしめる。
「詮議もなく、側室のわたしを牢獄に入れるなど言語道断です」
「雑居坊でないことを感謝なされよ。御沙汰が出るまで、ここで頭を冷やされるがよい」
後ろから背中を押され、転がるように牢獄に入る。松明を置台に固定する音が石壁に反響した。牢獄と同じようなジメジメとした声がすぐ背後から聞こえ、不快だ。
「聞くところによると、あなたはわたしの部下の丁游莞とも人目をはばかる仲だそうですな」
「無礼な口を利くと、許しませんよ! 丁内侍とわたしの間にやましいことは何一つありません! 根も葉もない噂です」
「ははは。無垢を装って外の男と通じる、あんな若造を掌で転がすのは朝飯前でしょうな。どうやったものか」
どこまでもこちらを軽んじる相手を溪蓀は、射殺さんばかりの勢いで睨み付けた。松明の光に浮かび上がる、らんらんとした瞳。牢屋の中にまで入り込んできた姚内侍少監たちの眼に、どう映るのか。
内侍少監が突然、大きな声を発した。
「もう我慢できんっ! 恵嬪を押さえつけろ」
隣の宦官兵が大きく目を見ひらく。
「えっ? ご、御沙汰を待たずにいいんですか」
「かまわんっ! そんなことは、後でどうだってつくろえる! はやく、この女の匂いをかかせろ!」
「ああ、もう! ぼ。僕は知りませんからねっ!」
「えっ! ちょっと、なにをするのよ!?」
その兵士は溪蓀を背後から羽交い絞めにすると、そのまま座り込んだ。彼女が暴れてもビクともしない。大柄でもないのに抵抗できないのは、相手がおさえつけることに慣れているせいだった。
「あ、あなた様の皮膚に傷はつけません。も、もちろん、処女性も! な、内侍少監は、若い女性の足や脇の匂いを嗅ぐのが趣味でして。高位の方の匂いほど、こうふんするんです」
吃音の兵士の言葉に、溪蓀の全身が総毛だった。
――身体の匂いを嗅がせるなんて、受け入れられるはずがないでしょ!
姚内侍少監は、うっとりと溪蓀の右足のふくらはぎを持ち上げた。拍子に裙子がめくれあがり、橙色の灯りに白い足首が浮かびあがる。
「おやめなさいっ!」
無我夢中で暴れる溪蓀の頭から、かんざしがボロボロと落ちた。いくらケガをしないとはいえ、姚内侍少監に身体の匂いを嗅がれるなどたまったものではない。だが、背後の兵士の力もさることながら、姚内侍少監の足首を掴む手もビクともしないのだ。
宦官はゆっくり溪蓀の靴を脱がせると、早速白足袋の上から鼻を押し付けてきた。ふんふんっっと白豚のように鼻息を荒くする姚内侍少監。彼がとどめとばかりに思いっきり吸い込んだとき、溪蓀はついに絶望的な心境に陥った。
「放して……っ、お願いだから……っ!」
「ああ、これはまごうことなき処女の薫り。王貴妃の匂いとは比べ物にならぬ程、かぐわしい。もちろん、多淫の女の匂いが悪いというわけではない。あれはあれで、趣があるのだ。無垢な天女は、どこを嗅いでも良い匂いがするな。おぅ、足袋の上からではものたりん」
だんだんと語りに熱がこもってくる。毎日のようにこんな拷問が続いたなら、王貴妃とて廃人同様になるかもしれない。溪蓀は混乱と嫌悪で我を失った。
姚内侍少監の丸っこい指が、ついに足袋の留め具に掛かる。
「やめてっ!」
叫びもむなしく、足袋はするっと抜かれた。足先が急にひんやりとして、恐怖に身を震わせる。
「そう怯えられずとも好い。おぅ、美女は爪の形まで美しいのぉ。どれ、見た目ばかりでなく、味も匂いも味合わねばのう」
「ひっ」
ぬるっとしたおぞましい感触に思わず足許を直視してしまった。姚内侍少監の赤い舌が、彼女の裸足の付け根を這っている。舐められたところがまるでナメクジの通り道のように、濡れていた。それはあまりに衝撃的な光景だった。
――気持ち悪い……っ!
「ハ、ハオハ、イ、さん……、たすけ……て」
絶望が身体中をむしばんで、声も満足に出せない。いくら傷つけないと言われようと、心の傷は深い。
「おう、恵嬪様の好いた男はハオハイというのか。薄情な男のことは忘れて、わしが屋敷で囲ってやろう。毎日、ニオイをかかせておくれ」
「……い、や……っ」
もう限界だと意識が遠のいたとき、ふっと松明の明かりが消えた。直後に姚内常侍の呻き声が聞こえ、溪蓀の足許でずしんっと倒れ込んだ音がする。背後の兵士の拘束も急に無くなった。
――助かった?
光も挿さぬ暗闇のなか、誰かに肩を抱えられるように起こされる。
「……丁内侍?」
呼びかけたが、返事はなかった。だが、こんなふうに彼女に触れる人間は彼以外に思い浮かばない。いるにはいるが、華蝶が外朝で見たというだけで、今はどこで何をしているのかも分からない男だ。
会いたいのに、届かない。自分ばかりが想って、本当はとっくに忘れられているかもしれない。溪蓀は、藁にもすがる思いでよびかけた。
「……浩海さん? 浩海さんなの……?」
宙に向かって腕を伸ばすと、不意に手を取られた。引き込まれるように抱擁され、息を呑む。硬い胸板に額を押され、ゆっくり頭をなでられた。子供を慰めるようなしぐさがただ優しくて、溪蓀の頬を知らず涙が伝った。
「こ、怖かったわ……っ どうして、もっと早く来ないのよ……っ、ばかぁ……」
抱擁だけでは足りなくて、溪蓀は自分から相手の首に腕を回した。ぎゅっと抱き返されて、心のすべてを占めていた恐怖が静かに溶けていく。
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