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第二章
48.むしろ(1)
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皇帝のおわす乾清宮のまえには、むしろを敷いて慈悲を乞う側室たちのすがたがあった。きなりの麻着と後ろで束ねただけの髪が、明け方の木枯らしに吹かれている様子は見る者の憐れみを買う。
王貴妃の口車にのった側室たちの処罰は、見送られることとなった。いたずらに罪人をだしては、後宮の畏敬にかかわるという、皇太后の意向を反映させた結果である。しかし、懐妊した寵妃に集団で毒を盛ろうとした事実が消えるわけではない。
なにより皇帝の怒りが凄まじく、四年間慈しんできたはずの妻たちを斬りつけかねない剣幕だとか。それを聞いた一同が、慌てふためいて許しを請うこととなったのだ。
『陛下、どうぞお赦しを』
『どうか、どうか、ご慈悲を』
扉越しに聞こえてくる少女たちのとぎれとぎれの嘆願に、千花は幾度目かのため息をもらした。溪蓀が毒を呑むに至った要因の彼女たちに、最初こそは怒りを覚えた。しかし、彼女は一命をとりとめ、自分も胎の子も無事だったのだ。相手方に傷つける気がないならば、いつまでも根に持つのはおかしな話だ。そう思う彼女を背後から包みこみ、耳もとに息を吹きかけるのは、許しを請われている当の本人だった。
「賢宝、そろそろ許してさしあげてはいかがですか? 一晩もあのままで、みなさま限界です。このままでは病気になってしまいます」
「そなたこそ、ほとんど寝ていないだろう? 顔色が良くない」
「この状況で、眠れるはずがありません」
いきどおる千花の首筋に浮かぶ口吸いの痕に、賢宝は笑いながら舌を這わせる。彼女は、ピクンッと肩をふるわせた。
「……んっ……、賢宝、おやめください」
舌が肩口まで濡らそうと、寝衣の衿をずらされる。賢宝の衣に焚き染められた沈香が、いつのまにか自分の体臭であるかと勘違いしてしまうほど、二人が寝台を共にするのは習慣になっていた。
「侍医からようやく共寝の許可がおりたのに、昨晩の千花はつれなかったな」
側室たちの嘆きの声を背景に事におよばれるという破廉恥な体験を思い出して、千花の全身に朱が散った。
「あ、あたりまえです……っ、賢宝こそ何を考えて、あのような……っ!」
「そうだな。普段は素直な千花に抵抗されると、よけいに乱したくなった。声が漏れないようにこらえるそなたは、たまらなく可愛い。しまいには、大粒の涙を溜めながら余を求めてくる様ときたら、そなたが妊娠中であることを忘れてしまいそうだった」
千花は下腹に、ぞくりとした疼きを感じた。十代半ばというのに色気駄々洩れの賢宝のささやき。少年期も終わりにさしかかり、秀麗な面は繊細な工芸品のような美しさから、熟練の甲冑職人が仕上げたような鋼の美へと移りつつある。
何も知らぬ純真無垢な彼女に一つ一つ快楽を教え込んでいったのは、賢宝だ。二人の歳は同じだが、彼は何もかも千花の先を歩んでいて、自分は掌で転がされて遊ばれるしかない。
彼に相応しい女性にならねばと思うものの、即座に『無理無理無理!』と魂が悲鳴を上げた。自分には溪蓀のように、人を従わせる貫禄もなければきらめく美貌もない。あるとすれば賢宝を想う気持ちだが、ときおり彼が自分の何に惚れたか不思議になった。
そんな千花を抱きしめる腕に、不意に力がこもる。
「千花の閨の声をあの者たちに聞かせれば、余の溜飲も下がったであろうに」
「し、賢宝っ!」
さすがにぞっとする言葉に振り返れば、意外にも夫は陽気な笑みを浮かべていた。千花は、彼の怒りがとっくに解かれていたことに気付く。
――だったら何のために、あの方たちを一晩も留め置かれたのかしら?
「誰か」
「ここに」
皇帝の呼びかけに答える声があり、彼女はあわてて布団をかぶった。天蓋のなかが外から見えないことは確認済みだが、寝台の脇に宦官が控えることになかなか慣れないのだ。賢宝は布団に隠れた小さな頭を撫でながら、命令を下した。
「側室たちに『許す』と伝えろ。余は、安嬪の懇願に折れた」
「かしこまりました」
扉を開ける音がしてしばらくたつと、窓の向こうから若い女たちの疲労こんぱいな声があがった。
『陛下、ありがとうございます!』
『勇安嬪様! ご慈悲に感謝いたします!』
千花は、ほっと息をつく。他の側室たちが寒さで身を震わしているなか、一人賢宝に貫かれ、熱い口づけを受けたのだ。針のむしろにすわりながら、快楽にすすり泣いた一晩だった。心臓に負担がかかるので、正直もう二度と味わいたくない心地だ。
安堵すると途端に疲れがでてきて、ふわっとこぼれた欠伸に慌てて口をおおう。賢宝はそれに微笑んだ。
「朝議があるので余はもう行くが、千花はしばし休むがよい」
「はい、ありがとうございます」
寝台を降りようとしていた彼が振りかえる。
「……昨晩は、身重のそなたに負担を強いた。すまなかった」
真に気遣われると、千花の先程までの戸惑いと怒りが霧が晴れるように、一気に遠のいていく。凝り固まっていた感情の奥から、ポロリと本音が零れ出た。
「……あ、あれくらい平気です。お医者様のお許しはいただいていますし。……わたしも、久しぶりにだ、抱いていただいたこと自体は、嬉しかったです」
おずおずと見あげれば、賢宝がこの上なく幸せそうな笑みを浮かべている。愛する人の笑顔をまみえるのは、月を臨むのに似ている。なんて、素敵なことだ。
千花がうっとりとしていると、おとがいを取られ、口づけを落とされた。
「行ってくる」
「はい。お帰りをお待ちしております」
彼女は夢心地のまま、寝台から夫を見送った。
王貴妃の口車にのった側室たちの処罰は、見送られることとなった。いたずらに罪人をだしては、後宮の畏敬にかかわるという、皇太后の意向を反映させた結果である。しかし、懐妊した寵妃に集団で毒を盛ろうとした事実が消えるわけではない。
なにより皇帝の怒りが凄まじく、四年間慈しんできたはずの妻たちを斬りつけかねない剣幕だとか。それを聞いた一同が、慌てふためいて許しを請うこととなったのだ。
『陛下、どうぞお赦しを』
『どうか、どうか、ご慈悲を』
扉越しに聞こえてくる少女たちのとぎれとぎれの嘆願に、千花は幾度目かのため息をもらした。溪蓀が毒を呑むに至った要因の彼女たちに、最初こそは怒りを覚えた。しかし、彼女は一命をとりとめ、自分も胎の子も無事だったのだ。相手方に傷つける気がないならば、いつまでも根に持つのはおかしな話だ。そう思う彼女を背後から包みこみ、耳もとに息を吹きかけるのは、許しを請われている当の本人だった。
「賢宝、そろそろ許してさしあげてはいかがですか? 一晩もあのままで、みなさま限界です。このままでは病気になってしまいます」
「そなたこそ、ほとんど寝ていないだろう? 顔色が良くない」
「この状況で、眠れるはずがありません」
いきどおる千花の首筋に浮かぶ口吸いの痕に、賢宝は笑いながら舌を這わせる。彼女は、ピクンッと肩をふるわせた。
「……んっ……、賢宝、おやめください」
舌が肩口まで濡らそうと、寝衣の衿をずらされる。賢宝の衣に焚き染められた沈香が、いつのまにか自分の体臭であるかと勘違いしてしまうほど、二人が寝台を共にするのは習慣になっていた。
「侍医からようやく共寝の許可がおりたのに、昨晩の千花はつれなかったな」
側室たちの嘆きの声を背景に事におよばれるという破廉恥な体験を思い出して、千花の全身に朱が散った。
「あ、あたりまえです……っ、賢宝こそ何を考えて、あのような……っ!」
「そうだな。普段は素直な千花に抵抗されると、よけいに乱したくなった。声が漏れないようにこらえるそなたは、たまらなく可愛い。しまいには、大粒の涙を溜めながら余を求めてくる様ときたら、そなたが妊娠中であることを忘れてしまいそうだった」
千花は下腹に、ぞくりとした疼きを感じた。十代半ばというのに色気駄々洩れの賢宝のささやき。少年期も終わりにさしかかり、秀麗な面は繊細な工芸品のような美しさから、熟練の甲冑職人が仕上げたような鋼の美へと移りつつある。
何も知らぬ純真無垢な彼女に一つ一つ快楽を教え込んでいったのは、賢宝だ。二人の歳は同じだが、彼は何もかも千花の先を歩んでいて、自分は掌で転がされて遊ばれるしかない。
彼に相応しい女性にならねばと思うものの、即座に『無理無理無理!』と魂が悲鳴を上げた。自分には溪蓀のように、人を従わせる貫禄もなければきらめく美貌もない。あるとすれば賢宝を想う気持ちだが、ときおり彼が自分の何に惚れたか不思議になった。
そんな千花を抱きしめる腕に、不意に力がこもる。
「千花の閨の声をあの者たちに聞かせれば、余の溜飲も下がったであろうに」
「し、賢宝っ!」
さすがにぞっとする言葉に振り返れば、意外にも夫は陽気な笑みを浮かべていた。千花は、彼の怒りがとっくに解かれていたことに気付く。
――だったら何のために、あの方たちを一晩も留め置かれたのかしら?
「誰か」
「ここに」
皇帝の呼びかけに答える声があり、彼女はあわてて布団をかぶった。天蓋のなかが外から見えないことは確認済みだが、寝台の脇に宦官が控えることになかなか慣れないのだ。賢宝は布団に隠れた小さな頭を撫でながら、命令を下した。
「側室たちに『許す』と伝えろ。余は、安嬪の懇願に折れた」
「かしこまりました」
扉を開ける音がしてしばらくたつと、窓の向こうから若い女たちの疲労こんぱいな声があがった。
『陛下、ありがとうございます!』
『勇安嬪様! ご慈悲に感謝いたします!』
千花は、ほっと息をつく。他の側室たちが寒さで身を震わしているなか、一人賢宝に貫かれ、熱い口づけを受けたのだ。針のむしろにすわりながら、快楽にすすり泣いた一晩だった。心臓に負担がかかるので、正直もう二度と味わいたくない心地だ。
安堵すると途端に疲れがでてきて、ふわっとこぼれた欠伸に慌てて口をおおう。賢宝はそれに微笑んだ。
「朝議があるので余はもう行くが、千花はしばし休むがよい」
「はい、ありがとうございます」
寝台を降りようとしていた彼が振りかえる。
「……昨晩は、身重のそなたに負担を強いた。すまなかった」
真に気遣われると、千花の先程までの戸惑いと怒りが霧が晴れるように、一気に遠のいていく。凝り固まっていた感情の奥から、ポロリと本音が零れ出た。
「……あ、あれくらい平気です。お医者様のお許しはいただいていますし。……わたしも、久しぶりにだ、抱いていただいたこと自体は、嬉しかったです」
おずおずと見あげれば、賢宝がこの上なく幸せそうな笑みを浮かべている。愛する人の笑顔をまみえるのは、月を臨むのに似ている。なんて、素敵なことだ。
千花がうっとりとしていると、おとがいを取られ、口づけを落とされた。
「行ってくる」
「はい。お帰りをお待ちしております」
彼女は夢心地のまま、寝台から夫を見送った。
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