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第二章
27.香炉(3)
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そのとき、丁内侍が数人の配下を連れて、飛び込んできた。男装の麗人かと見まごう深緑色の武官服が、今日も美しい。珍しく息を弾ませる宦官に、溪蓀が問うた。
「どうなさいました? 丁内侍様」
「あなたが単身、宮女部屋に突入したと訴えがありまして。なにかあってはと飛んでまいりました」
「まあ、ご心配かけて申し訳ありません。でも、わたしは猟犬やカミツキガメではありませんわ。そのあたりは心得ております」
「……黄恵嬪様、して、この者達は?」
「勇安嬪様の宮女です。職務を放棄した挙句、墨の混ざった煤水を主人の頭からかけました」
「なんと!? では、早速捕らえねばなりません。ここから先は我々にお任せください」
早くも宮女たちを取り押さえようと、宦官たちが槍を握る。さすがの瞳絹も他の宮女たちと固まって身をすくませた。
「いいえ、少しお待ちください。わたしは皇太后さまからこの者達の監督を任されております。取り調べの前に刑を言い渡したく存じます」
すると、瞳絹は急に持ち直して、不気味な笑みを張り付かせた。
「わたしを鞭で打つのですか? なんて恐ろしい妃さまかしら」
たしかに、刑罰が酷ければひどいほど溪蓀の酷薄さが話題になる。瞳絹は敵に一矢報いることが出来るわけだ。
彼女は確信した。この宮女の背後には何かしらの権力がある。こちらの評判が落ちれば得をする者達がいるのだ。
――それがどうしたというの?
「まさか。わたしがとっておきの罰を与えるわ。千花の墨のかかった着物を洗いなさい」
丁内侍や配下の者が柳眉をひそめる。それは一見して罰にならないように見えたのだ。
「わたしは縫物が得意なの。その嬬をおまえの襖に仕立て直してあげるから、年季明けまでそれを毎日着なさい。大丈夫、綺麗に墨を取り除けば、お前の制服は白い絹よ。周りのものはさぞ羨むでしょうね」
白地の絹に墨汁のかかった着物。力を込めれば容易に破け、取り切れないことは分かっている。そんな恰好では貴人の前に姿を現すことが出来ない。つまり、年季明けまで必然的に人前に出られない雑役に携わることになる。厠の掃除や家畜の世話など、年老いた宦官に与えられるような仕事だ。とはいえ、染みのとれない着物を着せること自体は残酷な罰ではないから、誰にも庇いようがない。
「お前たちも同罪よ。大丈夫。千花を苛めたように三人で協力してやれば、この世にできないことはないわ。互いの友情も深まって、丁度いいじゃない」
皮肉を込めた物言いに、二人の宮女はわめき始める。
「嫌よ! 瞳絹、どうにかしてよ! 上の方が庇ってくださるって言ってたじゃない! そうじゃなきゃ、こんなことしなかったのに!」
「悪いのは、瞳絹だけです! 許してください!」
彼女たちは両腕を掴まれ、強引に立たされる。それを見ながら、溪蓀は丁内侍に言った。
「お願いがあるのですが、よろしいですか?」
「何でしょう? 黄恵嬪様」
「取り調べのさいには、なるべく手荒に扱わないでください。それから、食事も普段と同じものを与えてください」
丁内侍は不可思議な表情を浮かべながらも、それに頷いた。
「了解致しました。この様子なら、尋問はすぐに終わるでしょう。しかし、何故そんなに宮女たちを気にかけるのですか? あなたがこの者たちにひどく腹を立てていることは、拙にも分かります」
溪蓀は腰に手を当て、やれやれと大きな溜息をつく。
「千花の意思です。必死に罰しないでくれと、三人をかばうのです。わたしにはまったく理解できませんわ。この者達のどこが良いのやら」
それを聞かされた瞳絹たちは、初めてがく然とした表情を浮かべたのだ。
「どうなさいました? 丁内侍様」
「あなたが単身、宮女部屋に突入したと訴えがありまして。なにかあってはと飛んでまいりました」
「まあ、ご心配かけて申し訳ありません。でも、わたしは猟犬やカミツキガメではありませんわ。そのあたりは心得ております」
「……黄恵嬪様、して、この者達は?」
「勇安嬪様の宮女です。職務を放棄した挙句、墨の混ざった煤水を主人の頭からかけました」
「なんと!? では、早速捕らえねばなりません。ここから先は我々にお任せください」
早くも宮女たちを取り押さえようと、宦官たちが槍を握る。さすがの瞳絹も他の宮女たちと固まって身をすくませた。
「いいえ、少しお待ちください。わたしは皇太后さまからこの者達の監督を任されております。取り調べの前に刑を言い渡したく存じます」
すると、瞳絹は急に持ち直して、不気味な笑みを張り付かせた。
「わたしを鞭で打つのですか? なんて恐ろしい妃さまかしら」
たしかに、刑罰が酷ければひどいほど溪蓀の酷薄さが話題になる。瞳絹は敵に一矢報いることが出来るわけだ。
彼女は確信した。この宮女の背後には何かしらの権力がある。こちらの評判が落ちれば得をする者達がいるのだ。
――それがどうしたというの?
「まさか。わたしがとっておきの罰を与えるわ。千花の墨のかかった着物を洗いなさい」
丁内侍や配下の者が柳眉をひそめる。それは一見して罰にならないように見えたのだ。
「わたしは縫物が得意なの。その嬬をおまえの襖に仕立て直してあげるから、年季明けまでそれを毎日着なさい。大丈夫、綺麗に墨を取り除けば、お前の制服は白い絹よ。周りのものはさぞ羨むでしょうね」
白地の絹に墨汁のかかった着物。力を込めれば容易に破け、取り切れないことは分かっている。そんな恰好では貴人の前に姿を現すことが出来ない。つまり、年季明けまで必然的に人前に出られない雑役に携わることになる。厠の掃除や家畜の世話など、年老いた宦官に与えられるような仕事だ。とはいえ、染みのとれない着物を着せること自体は残酷な罰ではないから、誰にも庇いようがない。
「お前たちも同罪よ。大丈夫。千花を苛めたように三人で協力してやれば、この世にできないことはないわ。互いの友情も深まって、丁度いいじゃない」
皮肉を込めた物言いに、二人の宮女はわめき始める。
「嫌よ! 瞳絹、どうにかしてよ! 上の方が庇ってくださるって言ってたじゃない! そうじゃなきゃ、こんなことしなかったのに!」
「悪いのは、瞳絹だけです! 許してください!」
彼女たちは両腕を掴まれ、強引に立たされる。それを見ながら、溪蓀は丁内侍に言った。
「お願いがあるのですが、よろしいですか?」
「何でしょう? 黄恵嬪様」
「取り調べのさいには、なるべく手荒に扱わないでください。それから、食事も普段と同じものを与えてください」
丁内侍は不可思議な表情を浮かべながらも、それに頷いた。
「了解致しました。この様子なら、尋問はすぐに終わるでしょう。しかし、何故そんなに宮女たちを気にかけるのですか? あなたがこの者たちにひどく腹を立てていることは、拙にも分かります」
溪蓀は腰に手を当て、やれやれと大きな溜息をつく。
「千花の意思です。必死に罰しないでくれと、三人をかばうのです。わたしにはまったく理解できませんわ。この者達のどこが良いのやら」
それを聞かされた瞳絹たちは、初めてがく然とした表情を浮かべたのだ。
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