あやめ祭り~再び逢うことが叶うなら~

柿崎まつる

文字の大きさ
上 下
14 / 86
第一章

14.馬蹄銀(2)

しおりを挟む
 落ち着いた溪蓀シースンは、ちょっとだけ寂しそうに笑った。

「だめよ。それはあなたの稼いだお金じゃないでしょう? わたし、あなたのお父様に何の義理もないのだもの。お金は受け取れないわ」
「でも、このままだと君は一生後宮に閉じ込められてしまう。陛下はまだ十二歳だ。溪蓀シースンさんとは六歳も年が離れていて、こんなことを言いたくはないけれど、ホアン鄭世ジェンシ氏程度の後ろ盾で陛下の目に留まることは難しい。君がどんなに美しくても」
「やけに詳しいわね」
「幼いころから、父を見てきたからわかるよ。貴族に権力を移さないために、国母は敢えて市井から選ばれるけれど、すぐにどこかの派閥の手先として利用される。そうしないと、後宮で生き残ることが出来ないからだ。美姫たちがこぞって陛下の寵を争うように見えて、本当は奸臣どもが権力を奪い合うための代理戦争にすぎないのさ」

 梓禁城が伏魔殿とはよく聞くが、市井の暮らししか知らない溪蓀シースンには複雑怪奇で理解不能な場所に思われた。脅されて怖じ気付く気持ちがないわけではないが、溪蓀シースンは彼の前では気位の高い娘のままでいたかった。学も教養も無い、針仕事でなんとか食べているだけの名ばかり貴族。見栄っ張りと言われても仕方ない。
 彼のお金は受け取れない。それがきっと浩海ハオハイ自身が稼いだお金であっても。彼は関係ない。溪蓀シースンは自分の意地を通すために、後宮の門をくぐるのだ。
 彼女は端正な顔を仰ぎ見る。

「わたしは自分の力で家族を助けるのよ。恥ずかしいことではないわ」

 苦い表情を浮かべた浩海ハオハイ溪蓀シースンを壁に追い詰めた。好意を突っぱね、今度こそ怒らせてしまったのだろうか。彼女は後退りし、壁に後ろ手を着く。もう後がないと分かると、今度は浩海ハオハイの胸板に両手を着いた。
 
「ど、どうしたの?」
 
――彼に触ってしまった。

 彼が妹を助けたときに少しだけ裸を見たが、白くて細い割には筋肉がついていた。あれが目の前に迫っていると思うと、心臓がどきどきする。自分の鼓動に耐えられなくて、頭を上げれば涼し気な美貌がすぐ目の前にあった。

「ねぇ、離れてちょうだい」
「口づけしたい」

 彼の心の内を晒されて、溪蓀シースンの顔は火が出そうなくらい真っ赤になる。
 
――口づけ? 口づけですって?

「駄目よ。そんなことしたら」
「そんなことしたら、後宮に上がれない? ――本当にそうなればいいのに」
「やめて」

 反射的に頭を上げると、浩海ハオハイが切なそうに笑っていた。本当は泣きたいのに、無理に作ったような笑顔だった。

――彼も私と同じくらい別れを嘆いてくれているのかしら?

「ねぇ。僕にまじないをかけるために一度だけ許して? 溪蓀シースンさんにもう一度出会えるように」

 彼女はしばし考えた。彼に口づけのまじないをかければ、また会える? いつか会いたいと願うだけなら、きっと皇帝陛下への不貞には当たらないに違いない。

「いいわ」 

 溪蓀シースンは、無意識に花のような笑みを浮かべた。それから、眼前に迫ってくる男の影に慌てて眼を瞑る。相手の唇が自分のそれに合わさった。何とも言えないふわりとした柔らかい感触。一瞬だけの恋人。胸がはち切れそうなほどドキドキする。唇を離されても、胸の高まりは収まらなかった。

「これであなたにまた会える?」

 夢心地で相手を見上げた彼女だが、これで終わりではなかった。なんと、突然強引に腰を引き寄せられてしまった。

「こんなんじゃ全然足りないよ」

 ささやかれた直後、思いもしない侵入に眼を見張る。

「あっ……」

 白い歯列を割られ、何かぬるっとしたものが入ってくる。それが相手の舌だと気が付いて、溪蓀シースンは錯乱した。おまけに上半身のみならずお腹同士がぴったりと引っ付けられているではないか。彼の身体が熱い。

――いけない、これは間違いなく罪深きこと。

「んっ! ふぅ……」

 溪蓀シースンが両手で突っぱねて必死に抵抗したものの、浩海ハオハイの敵う相手ではなかった。深い口づけを交わそうと、頭の後ろを支えられる。

「ハオ、ハ……さ、ん、……だっ」

 彼女の視界に入ったのは端正な顔のアップだった。欲をはらんだ熱っぽい瞳、少しだけ赤く上気した頬の線、この行為に続きがあること予感させる危険な香り。
 唇を甘噛みされ、歯の裏を舌でかき回され、さらに深く繋がろうと角度を変えられた。刻み煙草の匂いがかすかにし、自分の知らない浩海ハオハイの一面を垣間見せられる。

「んっ……、あ……」

 抵抗は長く続かなかった。浩海ハオハイの舌が怯えて縮こまる彼女のそれを絡めとり、音を立てて吸われる。気持ち良くて熱い波に翻弄されて、はしたないことはいけないと思うのに逃れられない。口づけにこんな激しいものがあるなんて、知らなかった。
 息も絶え絶えになりかけた頃、名残にちゅっと音を立ててゆっくり解放された。唇と唇をつないだ粘液がひとときの銀糸のようで、見るのも堪えないぐらいいやらしい。どうしてか、股の間がさわさわとして落ち着かない上に、まるで月のものが巡って来たときのようにじっとりと濡れた感じがした。溪蓀シースンは膝に力が入らず、しばらく浩海ハオハイに身を任せるしかなかったのだ。
 彼の腕にぎゅっと抱きしめられ、露わになった首筋に頬を寄せられた。
 
「絶対迎えに行くよ。待っていて」

 別れ際の口づけで、忘れじのまじないをかけられたのは溪蓀シースンの方だったかもしれない、と彼女は思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

処理中です...