王が愛した暗殺者

柿崎まつる

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1.闇※

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 刺客が仕事をするのに、新月はうってつけだった。
 宦官服を着こんだスンは、貴人の寝室に忍びこんでいた。消し炭の匂いもしない真っ暗闇。宮灯が鈴なりに吊るされた回廊を歩いたせいか、その光景は異様に感じる。
 寝台には男が眠っているはずだ。思ったとおり、健やかな寝息を聞き、スンはその首筋に迷わず刃をおろした。

「何者だ?」

 聴こえてきたのは、低いうなり声と布団をはねのける音。

「西の新国か、東の岐国か。――あるいは、叔父の手の者か?」

 スンはとっさに寝台から飛びのいたが、質問には答えなかった。男は体躯を起こして、ふっと笑う。
 
「吐かぬなら、吐かせるまでだ」

 武器を抜く音がしたと同時に、男の気配がすぐ目の前にあった。スンは寸でのところで、剣を弾く。手が痺れるほど一打が重く、次の攻撃までが早い。迫ってくる剣先をかろうじて避け、間合いを取った。月光もささぬ暗闇で、鋼を弾く音だけがひびく。
 
「そっちは短刀か。身の軽いやつだな。子供か? ……いや、女だな、かすかに花の薫りがする。その足運びに聞き覚えがあるな。たしか、我が国伝来の、やれ、あれはなんという流儀だったか」

 鷹揚に笑う気配が、ゆっくりと近づいてきた。スンは斬り合いを続けるか、黙って斬られるか一瞬迷う。

「雑念が多いのか、隙だらけだな」

 深みのある声が耳もとで囁いたときには、もう遅い。カランっと刀の落ちた音が部屋中に響く。
 男はあっという間に、スンを寝台に投げると、その腰帯を引き抜いた。それで両手首を締め上げ、寝台の背もたれに腰帯のはしを結びつける。
 スンは覆いかぶさってくる男の身体能力に唖然としたが、出てきたのは素っ気ないものだった。

「さっさと殺せ」
「女の刺客は久しぶりだ。言うことを聞けば、助けてやらんでもないぞ」
「助かることなど考えておらぬわ。明日の朝、わたしの首を大門にさらすがよい」
「気の強い女は嫌いじゃない」

 真面目に受け取ろうとしない相手に、スンは靴の先に仕込んだ暗器の刃先を突きだした。その途端、押さえつけていた腕が消える。

「足癖の悪い女だな。もう少しでカマを掘られるところだったぞ。あいにく俺にそっちの趣味はないな」

 男は茶化しながら、スンの靴を投げ捨てた。節のあるガッチリとした手の熱さが体に触れる度、スンは落ち着かなくなる。

袖箭ちゅうせん角手かくて匕首あいくちか。宦官服の下にこれほどの隠しものができるとは驚きだな。さて、これで安眠を妨害された理由がわかる。おまえは、叔父の暗殺団のものか?」
「……」
「創国が主・曽光明ツェンクァンミンの寝所に忍びこんだのだ。それ相応の覚悟はあるのだろうな」

 それを聞いたスンの口角が、ゆっくりと上がった。

 他国の侵略を撥ねのけながらも、この国の王家は何十年と混迷の中にあった。四代前の王が急死して、十二年。その息子たちは即位しては後継者を作る前に暗殺されていく。首謀者は彼らの叔父にして、絶大な権力を握るツェン宰相だと噂される一方、抱える暗殺団は凄腕ばかりで首謀者に繋がる痕跡を残さないとまことしやかに囁かれていた。
 
 宰相の独裁的な恐怖政治に陰りが見えたのは一年前、曽光明ツェンクァンミンが即位してからまもなくのことだった。悪徳な叔父に警戒心を持たれず、地方の城でひっそりと生活してきた王子。しかし、即位式に現れた彼は大柄な体躯と王者に相応しい覇気をもって、一瞬で宰相を圧倒した。曽光明ツェンクァンミンは宰相に一言の相談もなく、自ら兵を率いて他国の侵略を退け、親政に乗り出したのだ。

 今や、宰相の腰巾着ばかりの高官は首をすげ替えられ、明朗健全な体制が造られつつあった。曽光明ツェンクァンミンは、四代前の国王の生き残った最後の息子で、子供はいない。次の後継者は宰相であるものの、自らの頭上に王冠を抱くという老人の野望は潰れつつあった。
 スンは、その宰相から新王を暗殺せよとの命令を受けている。実行する気はなかったが。

「死んでも吐かぬから、さっさと殺せ」
「やれ、死にたがりの刺客か。言わぬなら、身体に聴くまでだぞ」
  
 男の手がスンの上腕から脇までをゆっくりとたどる。くすぐったさが何に変わるか、彼女は大いに警戒した。 

「女の割に背が高いな。五尺五寸……いや六寸(170㎝)か。俺にピッタリだな。小さな女も嫌ではないが、俺が満足するまえに失神するからな。おまえなら、持久力もありそうだ」

 言われたことを反芻し、スンは顔色を変える。正体も分からぬ侵入者に伽をさせるつもりと知り、相手の正気を疑った。

「ケダモノが。早く殺せ」
「おまえもこの姿では暑かろう。王みずから脱がせてやる、ありがたく思えよ。しかし、殺されるのは良くて、抱かれるのは嫌か。訳が分からぬ刺客だな」
「よせっ!」

 腰ひもを抜かれたスンは、ここへきて初めて声を荒げる。 男はゆっくりと戒められたスンの手に触れた。 

「手のひらの皮膚が硬いな。剣だこに、切り傷のあとか。だが、意外に……」

 何が面白いのか、光明クァンミンはそこでふふっと笑う。  

「指が細くて短い。女、名前は?」
「……」

 顔を背けると、強引に唇を合わせられた。熱い舌の、燃えるような感触。こんな接吻は知らなくて、スンの頭は真っ白になった。惚けた女の反応に興が乗ったのか、光明クァンミンが細長い首筋に犬歯を立てる。
 彼女は甘噛みされ、めまいがした。着物の前を乱され、鎖骨から胸へと撫でられる。

「や、……やめろっ」

――おかしい。何故、触られたぐらいで動揺する?

 夏の夜というのに肩が震える。これではまるで、無垢な少女のようだ。

――そんなの、何年前の話だ。笑えるぞ。

「感じやすいな。まるで食べごろの瓜だ」

 スンの心など知らず、男は笑いながら肌着を解き、両手で胸を持ち上げた。彼女が固唾を呑むと、再び笑う。スンはささやかな双丘を執拗にもまれ、先端をいじくられた。歯を食いしばって甘い刺激に耐えていると、男の前髪が肌をチクチクと刺す。

「……ん……っ」

 乳輪が音を立てて男の唇に吸い込まれ、健康的な歯で刺激を送られる。次第に存在を主張し始める乳房の先に、熱い舌がからんできた。

「ふ……っ、うぅ……っ」

――いつもどおり我慢すればいいだけ。いつかは終わるのだから。

 とはいえ、咽喉から鼻に抜ける嬌声を噛み殺すのは難しい。拷問されても口を割らぬように仕込まれているのに、この男に触れられると身体が言うことを聞かなくなった。

 太く長い指や薄い唇の動きはしつこいものの優しく、まるでスンを慈しんでいるようだった。視界が利けば、揉みこまれた双丘は紅く色づき、光明クァンミンのつけた接吻の花がそこかしこに咲いているのが見えたかもしれない。
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