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74.結婚式①
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花嫁の着付けが終わり、キャロルがわたしの頭にベールをとめた。デコルテを露わにしたプリンセスラインのウエディングドレスが、我ながら眩しい。数日前から侍女たちが腕によりをかけて、わたしの身体を磨き上げてくれたのだ。
準備が整うのを見計らったかのように、お母様が部屋に入ってきた。
「輝くばかりに美しいぞ、アリス。さすがはフィリップの娘だ」
「ありがとうございます。へい……、お母様も美しいです」
お母様は、金糸の刺繍を施されたグリーンのドレスを纏っている。花嫁である娘の髪と瞳の色をモチーフにしていると事前に聞いていたわたしは、嬉しさでどうしても口元が緩んでしまった。
黒以外のドレスをまとうのはお父様が亡くなって以来十年ぶり。当時八歳だったわたしの記憶になく、悲しみの陰のないお母様を見るのは初めてだった。
「娘の結婚式に、黒は似合わない。ようやく喪服を脱いだ私に、フィリップも今頃ホッと胸を撫で下ろしているだろう。こちらが適当な格好をしていると、わざわざ着替えさせに来るぐらいの洒落者だったからな」
「お母様。お父様のその話、初めて聞きます」
「私も十年ぶりに、思い出したのだ」
最近、お母様はぽつぽつとお父様の思い出話をするようになった。もしかしたら、この十年抱えていたアビゲイルへの行き場のない感情が、バルの一件で吹っ切れたのかもしれない。
切れ長の優しい瞳が、白いベールを被ったわたしを映す。
「幸せに。そして、そなたの父が生きられなかった分、長く生きておくれ」
「お母様も、長生きしてください。お父様が待ちくたびれるくらい」
すると、不敵に笑んでいたのお母様の瞳から、ポロリと涙がこぼれる。母が泣くところを初めて見た。わたしが差し出したハンカチを受け取るお母様の手は、間近で見ると意外なほど細かった。
「私たちは婿を取る側なのに、これではアリスを嫁に出すみたいだ」
「わたしはどこにも行きませんよ。安心してください」
「ああ、そうだな。……アリスは、私を置いていくなよ」
お母様は、いつだってお父様が恋しい。互いを強く愛して、死しても離れることはない。片方が先に天国へ行っても、再会のときをずっと待っている。わたしもグラシアンと、両親のような夫婦になりたい。
お母様は本殿で待っていると涙を拭って、部屋を後にした。それから、間もなくわたしも呼ばれる。
「アリス様、お時間です」
キャロルともう一人の侍女が、わたしの長いベールの裾を持ち上げた。
木漏れ日の差す渡り廊下で、わたしは朝景色を見る。夏も終わりに近づいていたが、まだまだ日中は暑い。グラシアンの瞳を彷彿とさせる、火のような季節。果てのない熱情に絡まれ包まれたこの夏を、わたしは一生忘れないだろう。
「グラシアン」
純白のケープを纏った新夫が、本殿の手前で待っていた。ケープの下は、騎士団長を兼ねる王配が式典で纏う正式な礼装だ。黒い生地に金色の肩章や赤色のサッシュが荘厳さを醸し出していて、彼の新しい身分にふさわしい。
「アリス、綺麗だ」
「ありがとう。グ、……グラシアンもステキよ……」
前髪を上げ露わになった額までも、白く透き通るように整っていた。
――男らしいのに美しいなんて、許されるのかしら?
代々の王配は容姿で選ばれるわけではないけれど、そう思われても不思議はない。わたしの夫になる人がこんなにカッコいいなんて、まるで夢を見ているようだ。
――いけない、いけない。
いつまでも、見とれている場合じゃない。わたしは今日、女王になるのだ。
「グラシアン。神殿にアンバーを呼んでくれる?」
「わかった」
幻獣を呼ぶとき、声は要らない。アンバーと精神的につながっているグラシアンが心のなかで呼ぶだけで、幻獣は飛んでくるそうだ。
「アリス、手を」
グラシアンが差し出した手に、わたしはそれを乗せる。互いの白い手袋が擦れ合って、甘く切ない気持ちで心が満たされる。弾む気持ちのまま見上げると、グラシアンが頭を傾けて耳元で囁いてきた。
「早く、アリスにキスしたい」
「……わたしもよ」
準備が整うのを見計らったかのように、お母様が部屋に入ってきた。
「輝くばかりに美しいぞ、アリス。さすがはフィリップの娘だ」
「ありがとうございます。へい……、お母様も美しいです」
お母様は、金糸の刺繍を施されたグリーンのドレスを纏っている。花嫁である娘の髪と瞳の色をモチーフにしていると事前に聞いていたわたしは、嬉しさでどうしても口元が緩んでしまった。
黒以外のドレスをまとうのはお父様が亡くなって以来十年ぶり。当時八歳だったわたしの記憶になく、悲しみの陰のないお母様を見るのは初めてだった。
「娘の結婚式に、黒は似合わない。ようやく喪服を脱いだ私に、フィリップも今頃ホッと胸を撫で下ろしているだろう。こちらが適当な格好をしていると、わざわざ着替えさせに来るぐらいの洒落者だったからな」
「お母様。お父様のその話、初めて聞きます」
「私も十年ぶりに、思い出したのだ」
最近、お母様はぽつぽつとお父様の思い出話をするようになった。もしかしたら、この十年抱えていたアビゲイルへの行き場のない感情が、バルの一件で吹っ切れたのかもしれない。
切れ長の優しい瞳が、白いベールを被ったわたしを映す。
「幸せに。そして、そなたの父が生きられなかった分、長く生きておくれ」
「お母様も、長生きしてください。お父様が待ちくたびれるくらい」
すると、不敵に笑んでいたのお母様の瞳から、ポロリと涙がこぼれる。母が泣くところを初めて見た。わたしが差し出したハンカチを受け取るお母様の手は、間近で見ると意外なほど細かった。
「私たちは婿を取る側なのに、これではアリスを嫁に出すみたいだ」
「わたしはどこにも行きませんよ。安心してください」
「ああ、そうだな。……アリスは、私を置いていくなよ」
お母様は、いつだってお父様が恋しい。互いを強く愛して、死しても離れることはない。片方が先に天国へ行っても、再会のときをずっと待っている。わたしもグラシアンと、両親のような夫婦になりたい。
お母様は本殿で待っていると涙を拭って、部屋を後にした。それから、間もなくわたしも呼ばれる。
「アリス様、お時間です」
キャロルともう一人の侍女が、わたしの長いベールの裾を持ち上げた。
木漏れ日の差す渡り廊下で、わたしは朝景色を見る。夏も終わりに近づいていたが、まだまだ日中は暑い。グラシアンの瞳を彷彿とさせる、火のような季節。果てのない熱情に絡まれ包まれたこの夏を、わたしは一生忘れないだろう。
「グラシアン」
純白のケープを纏った新夫が、本殿の手前で待っていた。ケープの下は、騎士団長を兼ねる王配が式典で纏う正式な礼装だ。黒い生地に金色の肩章や赤色のサッシュが荘厳さを醸し出していて、彼の新しい身分にふさわしい。
「アリス、綺麗だ」
「ありがとう。グ、……グラシアンもステキよ……」
前髪を上げ露わになった額までも、白く透き通るように整っていた。
――男らしいのに美しいなんて、許されるのかしら?
代々の王配は容姿で選ばれるわけではないけれど、そう思われても不思議はない。わたしの夫になる人がこんなにカッコいいなんて、まるで夢を見ているようだ。
――いけない、いけない。
いつまでも、見とれている場合じゃない。わたしは今日、女王になるのだ。
「グラシアン。神殿にアンバーを呼んでくれる?」
「わかった」
幻獣を呼ぶとき、声は要らない。アンバーと精神的につながっているグラシアンが心のなかで呼ぶだけで、幻獣は飛んでくるそうだ。
「アリス、手を」
グラシアンが差し出した手に、わたしはそれを乗せる。互いの白い手袋が擦れ合って、甘く切ない気持ちで心が満たされる。弾む気持ちのまま見上げると、グラシアンが頭を傾けて耳元で囁いてきた。
「早く、アリスにキスしたい」
「……わたしもよ」
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