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70. あなたのものになりたいの①※

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グラシアンが目を覚まして一安心すると、今度は急に自分の恰好が恥ずかしくなってきた。言われるままにスケスケの下着をつけてしまったが、こんな演出は要らない。むしろ、目の前の筋骨隆々とした肉体と見比べてしまって、この貧相な身体が居たたまれなくなる。彼の骨格は完成美を誇り、禁欲的でハリのある筋肉は艶めかしく、見ているだけでドキドキしてくるのだ。
 さりげなく毛布で身体を隠すわたしのまえで、グラシアンは新しいケープを纏う。

「陛下に心臓石を渡してくるから、アリスはいい子で待っていろ。――いいか、着替えるなよ」
「どうして?」

 念押しされて、首をかしげる。グラシアンが目覚めたのだから、いつまでもこんな格好をする必要はない。そんなわたしの心情を読んでか、彼はぬっと顔を近づけて、それはな、と鼻息を荒くした。

「あとで俺が堪能するからだ!」
 
 ――近い、近い! 視覚破壊反対!
 
 イケメンのドアップに、ドギマギしてしまう。結婚したら毎日こんな目に遭うなんて、わたしの心臓が持たない。いますぐ離れてほしい。

「わかったわ! わかったから、……早く行ってきて」

 毛布で顔を隠しながら言うと、グラシアンはわたしの頭をわしゃわしゃと乱して、部屋を出て行った。子ども扱いしないでと思う反面、頭を撫でられると嬉しいのだから複雑だ。グラシアンの言動で、わたしは一喜一憂してしまう。
 意識が戻って、本当に良かった。極端にマナの容量の大きいグラシアンでなければ、グレードサラマンダーの心臓石を二つも取り込んで無事ではいられない。それにしても、どうしてあんな危険なことを?
 
 わたしはサイドテーブルの上に置かれた水差しを掴む。答えはすぐに出た。

 ――わたしを庇ったんだ。

 わたしのことが大切だと言ってくれたけれど、自分の命を懸けるほど好いてくれているんだろうか。わたしの好きが十点満点なら、彼の好きはどの辺だろう。五点ぐらい? それとも七点くらい?

 ――だめだ。

 あおった水差しを、ドンッとサイドテーブルに戻す。その拍子に、隣に置いてあった回復薬の包みが浮き上がる。人の好きに点数をつけるなんて、いかにもわたしの自信のなさの表れだ。卑屈にも度が過ぎる。そもそも、人の好き嫌いの度合いを、どうやって量るというのか。
 つまらない想像をつらつらとしているうちに、毛布の柔らかい感触に眠くなってきた。今日はマナをたくさん使ったから少しだけ休んで、グラシアンが戻ってくるのを待とう。
 
 ドアを開く音に意識が浮上すると、そのグラシアンが目の前に立っていた。外はしっかり暗くなっており、一緒に入ってきたキャロルが部屋の蝋燭をつけて回り、一礼して出て行く。
 グラシアンがベッドに腰掛けたので、わたしは眼をこすりながら、その広い背中に額を押しつけた。
 
「陛下と、何を話していたの?」
「これから初夜を行う許しを、改めて頂いてきた」

 明日はどうやら晴れそうだ、みたいなノリで言われ、わたしの眠気は完全に吹き飛ぶ。

「やらないわよ! わたしたち、まだ結婚式を挙げてないじゃない」
「アリスのあんな姿を見せつけられて、もう我慢できないんだ」

 グラシアンが意味ありげに、わたしの胸元の赤いリボンに指を絡める。

「触らないで」

 それを引っ張られると、わたしはショーツ一枚になってしまうのだ。わたしはぎゅっとリボンを握りしめる。

「きゃ……っ」

 だが、リボンに気を取られているうちに、不意をつかれた。がっしりとした腕に抱き寄せられ、いつの間にかキスされている。上下の唇を順にやんわりと吸われ、舌先で丁寧になぞられると、ふわっと全身から力が抜けた。
 緩みかけた唇から熱い舌が割り入ってきて、わたしのそれを絡めとる。火のマナを司るグラシアンは、口のなかも熱い。わたしはその熱に翻弄されるまま目を閉じると、大きな舌が縦横無尽に侵してきた。熱い吐息を口移され、丹念に歯裏をなぞられ、舌の付け根まで舐められる。その気持ちよさに、わたしはうっとりしてしまった。
 口のなかに感じるところがあるなんて、今の今まで知らなかった。
 
「ん……っ、はぁ……っ、あ……んっ」

 艶を帯びたリップ音が、わたしの霞がかった脳裏に届く。吸われるたびに、何も考えられなくなってしまう。キスだけで気持ちよすぎて、脚の間が濡れたような感覚に陥る。だが、このままではいけない。
 
「はぁ……っ、待って、まだ……っ」

 ――心の準備ができてないの。

 熱い吐息に飲み込まれつつも、わたしはなんとか広い肩を叩いた。意外なことに彼はすぐに離してくれたが、その瞳は熾火のように赤黒く光を放っている。そのうえ、お互いの唇と唇を透明の体液が橋を架け、その淫らすぎる光景にわたしは強い背徳感を覚える。わたしの視線に気づいたのだろうか、グラシアンが手の甲でそれを拭った。
 彼は、わたしの肩口に顎を乗せる。
 
「アリスと結婚するために、この十年耐え忍んできたんだ。俺を少しでも哀れに感じるなら、このまま身を任せてくれ。絶対、後悔させないから」

 切実に訴える、くぐもった声。焦れるような熱い吐息が首筋にかかり、ゾクゾクッと体の芯を揺るがせる。わたしはその狂おしいまでの熱に捕らえられ、どうしていいかわからなくなってしまった。その一方、大変なことに気が付く。

「ちょっと待って。私と結婚するために、十年を費やしたですって? グラシアンは王配になって、何かしたいことがあったんでしょう? だから、その手段としてわたしと結婚するんじゃないの?」
「したいこと? 例えば?」

 グラシアンはわたしの背中を撫でながら、首筋に唇を寄せてきた。熱い吐息がくすぐったくて、肩を縮めてしまう。わたしはなんとか逃れようと、腕を突っ張った。
 
「どうしても通したい法案があるとか、贅沢三昧するとか……」

 自分で言いながらも、その言葉に違和感を覚える。彼は既に騎士団の副団長だから、法律を通したければ通せるし、カニア邸の簡素な自室を見たところ贅沢には興味がないようだった。

 ――じゃあ、わたしの勘違い? でも、グラシアンの結婚の目的は?

 グラシアンが面白がるような顔をして言う。
 
「アリスを好きだから。それが結婚したい理由だと言ったら?」

 そんなことを真面目に言われたら、こっちは言葉を失ってしまう。騙されないわ、とわたしは気を引き締めた。
 
「嘘よ。十年前といったら、わたしまだ八歳よ。……グラシアンは、子どもが好きなの?」

 考えなしに吐き出した際どい質問にも、彼は不快な表情を見せず首を傾げた。
 
「アリスをそういう目で見るようになったのは、ここ二三年のことだしな。子どもに欲情したことはないな」

 それを聞いたわたしの気持を想像してほしい。突然身体のなかに竜巻が起こり、『嬉しい』以外の感情が吹き飛んでしまった。
 
――好きだから結婚したいって言われた!
 
 どうしよう、幸せが溢れてしまう。飛びあがって喜びたい。彼もわたしと同じ気持ちだった。

「いつ? いつ、わたしのこと好きになったの? わたしたち、そんな昔に会っていたの? ――あ、ちょっと!」
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