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61.告白①
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バルにエスコートされ、廊下を進む。まるで恋人同士のように身を寄せあうわたしたちを使用人たちが、不審げに見ていた。助けを呼びたいが声をあげられないし、あげられたとしてもグレードサラマンダーの心臓石で最大限までマナを強化させたバルが、彼らを攻撃したらひとたまりもない。ここは黙って通り過ぎるに限る。
わたしはバルに操られるまま、謁見の間に入った。そこは広く、四人の精霊王を描いた大きな天井画がまず見た者を圧倒する造りになっている。細長く敷かれた緋毛氈の果てには、四つのマナを結集した円形の意匠が白く刺繍されていた。
――こんな意匠、前からあったかしら?
普段見ているわたしにはその意匠の緻密さより違和感を覚えるが、バルには単なる贅沢な刺繍に感じるかもしれない。
女王陛下が奥の玉座に腰掛け、緋毛氈の両端には大貴族の当主や官僚たちが整列している。そのなかに、バルをわたしの婿に推したグーテン侯爵の姿と、カニア侯爵の当主代理であるコリンの姿もあった。
我が国には公爵位がなく、四家の侯爵でそれぞれの派閥を作って均衡を保っている。グーデン侯爵はグラシアンとわたしの結婚によりカニア侯爵家が頭一つ飛びぬけ、貴族間のパワーバランスが崩れることを危惧しているのだ。
バルは、あたりまえのように白い刺繍の位置に立つ。黒いドレスを纏った陛下に向かい、一国の王子らしく優雅に腰を折った。
「ご機嫌麗しゅう、女王陛下」
「これは、バーソロミュー王子。我が娘を伴って、いかがなされた?」
「恐れながら、申し上げたい議があります。――アリス。僕たちのこと、話してくれるよね?」
まるで、わたしたちが特別な関係にあるかのような呼び方だ。彼が何を言わせようとしているのか、想像もしたくない。わたしは気持ちだけでもと、まなじりを決して歯ぐきを噛みしめた。
「アリス? どうしたのだ? 申してみよ」
陛下の怪訝な声に、バルが隣で苦笑するのが聞こえる。わたしの実を結ばない努力を嘲笑っているに違いない。実に不快だった。そして、わたしの口が勝手に動き、滔々と言葉が滑り落ちてくる。それを止める手立てはなかった。
「陛下。わたしは、この度のグラシアン卿の噂に深く傷ついております。人格者として名高い卿ではありますが、わたしは以前より卿の素行に疑念を抱いておりました。結婚前に、その疑念が正しかったと証明されたのは不幸中の幸いです。わたしという婚約者がありながら、ほかの女を寝室に連れ込む男などもってのほか。わたしどころか王室全体を軽んじている何よりの証拠です。そんな男を結婚することをわたしは、断固拒否いたします。つきましては、グラシ、アン卿との婚約を破棄し、……バーソロミュー王子殿下と新たに婚約したいと存じます」
――ついに、言ってしまった!
固まったはずの身体が震え、口のなかがカラカラになる。わたしの偽の告白に、バルは忍び笑いをした。隣からグーデン侯爵が、うんうんと頷く気配がする。コリンは、いつになく青白い顔をしているかもしれないが、この場ではグーデン侯爵と同じ反応を見せる者が圧倒的多数だった。
ふむ、と女王陛下が思案気に、頤に手を触れる。
「これは私の一存で、どうこうできる問題ではないようだな。この場にカニア侯爵もいないのだから、その決定については後日に改めよう。まずは此度の噂について、本人の弁明を聞こうか」
陛下の声に合わせて、王座の右側の垂れ幕がかき分けられた。現れたのは、アイビーの意匠が施された純白のケープを纏った背の高い騎士だ。一カ月ぶりに見る颯爽として凛々しい姿に、わたしは感動もなく、むしろ彼と対面してとんでもない窮地に立たされていた。
――今の言葉、絶対本人に聞かれたくなかったのに。彼は噂に踊らされるわたしを見て、何と思うか。
動揺するわたしの耳元に、バルが唇を寄せてくる。
「グラシアン卿がどう言い訳するか、楽しみだね。アリス」
面白がるような声はたいして大きくもないのに、謁見の間によく響いた。例のごとく、グーデン侯爵が腕を組んで大きくうなずき、他の者もそれに倣う。反応できないわたしにわざと親し気な態度をとるバルが、どうにも不愉快だった。
「噂というのは、わたしの火祭りの連れのことでしょうか?」
当のグラシアンは意外なことに涼しい顔をしている。まるでそんな疑いとは無縁とばかり爽やかな笑顔を浮かべていたのだ。今は品行方正モードらしい彼が何を言うのか、わたしは生きた心地がしなかった。
玉座に座る陛下が、苛立たし気にグラシアンを見あげる。
「もちろん、そうだ。その娘と交わりを持ったのか、と私は聞いておる」
「恐れながら、それは真実であると申し上げねばなりません」
きっぱりとした言葉に、貴族たちが口々に声をあげる。
『王太女様との結婚式を前に、罰当たりな奴め』
『相手の女を引きずり出して、あいつ共々王太女様への不敬罪で身分をはく奪せねば!』
『……ワシは、前からあの男の本性を疑っておったのだ。ふんっ、女のことで化けの皮をはがしよって、所詮はあの程度か』
一方、話すこともできないわたしの頭のなかは、ぐっちゃぐちゃだった。
――どうして、認めちゃうのよ!? もしかしたら、王配の地位につけなくなるかもしれないのに! 十年の野望を簡単に捨ててしまうの? あなたの執着はその程度なの!? わたしの夫の地位はそんなに魅力がないの!?
さすがの陛下も柳眉をひそめ、琥珀色の瞳を細める。
「グラシアン卿、そなた正気か? この期に及んで、私の娘婿になることを拒絶するのか? ……そのメイドのために?」
「とんでもございません。わたしの心は、王太女殿下お一人に捧げるものと決めております」
「だったら、そなたが騎士団の寮に連れ込んだ女は何者だ?」
ところで、陛下はわたしがそのメイドであることをご存じのはず。実は面白がっているだけじゃないかとだんだん疑念が湧いてくる。娘の窮地を良くもそんなに楽しめるものだと、わたしは突然恨み言を言いたくなった。
一方、グラシアンは陛下の詰問に物怖じすることもなく答える。
「彼女は、強い印象を残す女性です。キャロル・フォックスと名乗っており、一週間だけわたしの屋敷にメイドとして勤めていました。彼女がわたしのそばにいてくれたおかげで、特別な一週間を過ごせました。今後のわたしの生涯のなかでも忘れがたい記憶となるでしょう」
わたしはバルに操られるまま、謁見の間に入った。そこは広く、四人の精霊王を描いた大きな天井画がまず見た者を圧倒する造りになっている。細長く敷かれた緋毛氈の果てには、四つのマナを結集した円形の意匠が白く刺繍されていた。
――こんな意匠、前からあったかしら?
普段見ているわたしにはその意匠の緻密さより違和感を覚えるが、バルには単なる贅沢な刺繍に感じるかもしれない。
女王陛下が奥の玉座に腰掛け、緋毛氈の両端には大貴族の当主や官僚たちが整列している。そのなかに、バルをわたしの婿に推したグーテン侯爵の姿と、カニア侯爵の当主代理であるコリンの姿もあった。
我が国には公爵位がなく、四家の侯爵でそれぞれの派閥を作って均衡を保っている。グーデン侯爵はグラシアンとわたしの結婚によりカニア侯爵家が頭一つ飛びぬけ、貴族間のパワーバランスが崩れることを危惧しているのだ。
バルは、あたりまえのように白い刺繍の位置に立つ。黒いドレスを纏った陛下に向かい、一国の王子らしく優雅に腰を折った。
「ご機嫌麗しゅう、女王陛下」
「これは、バーソロミュー王子。我が娘を伴って、いかがなされた?」
「恐れながら、申し上げたい議があります。――アリス。僕たちのこと、話してくれるよね?」
まるで、わたしたちが特別な関係にあるかのような呼び方だ。彼が何を言わせようとしているのか、想像もしたくない。わたしは気持ちだけでもと、まなじりを決して歯ぐきを噛みしめた。
「アリス? どうしたのだ? 申してみよ」
陛下の怪訝な声に、バルが隣で苦笑するのが聞こえる。わたしの実を結ばない努力を嘲笑っているに違いない。実に不快だった。そして、わたしの口が勝手に動き、滔々と言葉が滑り落ちてくる。それを止める手立てはなかった。
「陛下。わたしは、この度のグラシアン卿の噂に深く傷ついております。人格者として名高い卿ではありますが、わたしは以前より卿の素行に疑念を抱いておりました。結婚前に、その疑念が正しかったと証明されたのは不幸中の幸いです。わたしという婚約者がありながら、ほかの女を寝室に連れ込む男などもってのほか。わたしどころか王室全体を軽んじている何よりの証拠です。そんな男を結婚することをわたしは、断固拒否いたします。つきましては、グラシ、アン卿との婚約を破棄し、……バーソロミュー王子殿下と新たに婚約したいと存じます」
――ついに、言ってしまった!
固まったはずの身体が震え、口のなかがカラカラになる。わたしの偽の告白に、バルは忍び笑いをした。隣からグーデン侯爵が、うんうんと頷く気配がする。コリンは、いつになく青白い顔をしているかもしれないが、この場ではグーデン侯爵と同じ反応を見せる者が圧倒的多数だった。
ふむ、と女王陛下が思案気に、頤に手を触れる。
「これは私の一存で、どうこうできる問題ではないようだな。この場にカニア侯爵もいないのだから、その決定については後日に改めよう。まずは此度の噂について、本人の弁明を聞こうか」
陛下の声に合わせて、王座の右側の垂れ幕がかき分けられた。現れたのは、アイビーの意匠が施された純白のケープを纏った背の高い騎士だ。一カ月ぶりに見る颯爽として凛々しい姿に、わたしは感動もなく、むしろ彼と対面してとんでもない窮地に立たされていた。
――今の言葉、絶対本人に聞かれたくなかったのに。彼は噂に踊らされるわたしを見て、何と思うか。
動揺するわたしの耳元に、バルが唇を寄せてくる。
「グラシアン卿がどう言い訳するか、楽しみだね。アリス」
面白がるような声はたいして大きくもないのに、謁見の間によく響いた。例のごとく、グーデン侯爵が腕を組んで大きくうなずき、他の者もそれに倣う。反応できないわたしにわざと親し気な態度をとるバルが、どうにも不愉快だった。
「噂というのは、わたしの火祭りの連れのことでしょうか?」
当のグラシアンは意外なことに涼しい顔をしている。まるでそんな疑いとは無縁とばかり爽やかな笑顔を浮かべていたのだ。今は品行方正モードらしい彼が何を言うのか、わたしは生きた心地がしなかった。
玉座に座る陛下が、苛立たし気にグラシアンを見あげる。
「もちろん、そうだ。その娘と交わりを持ったのか、と私は聞いておる」
「恐れながら、それは真実であると申し上げねばなりません」
きっぱりとした言葉に、貴族たちが口々に声をあげる。
『王太女様との結婚式を前に、罰当たりな奴め』
『相手の女を引きずり出して、あいつ共々王太女様への不敬罪で身分をはく奪せねば!』
『……ワシは、前からあの男の本性を疑っておったのだ。ふんっ、女のことで化けの皮をはがしよって、所詮はあの程度か』
一方、話すこともできないわたしの頭のなかは、ぐっちゃぐちゃだった。
――どうして、認めちゃうのよ!? もしかしたら、王配の地位につけなくなるかもしれないのに! 十年の野望を簡単に捨ててしまうの? あなたの執着はその程度なの!? わたしの夫の地位はそんなに魅力がないの!?
さすがの陛下も柳眉をひそめ、琥珀色の瞳を細める。
「グラシアン卿、そなた正気か? この期に及んで、私の娘婿になることを拒絶するのか? ……そのメイドのために?」
「とんでもございません。わたしの心は、王太女殿下お一人に捧げるものと決めております」
「だったら、そなたが騎士団の寮に連れ込んだ女は何者だ?」
ところで、陛下はわたしがそのメイドであることをご存じのはず。実は面白がっているだけじゃないかとだんだん疑念が湧いてくる。娘の窮地を良くもそんなに楽しめるものだと、わたしは突然恨み言を言いたくなった。
一方、グラシアンは陛下の詰問に物怖じすることもなく答える。
「彼女は、強い印象を残す女性です。キャロル・フォックスと名乗っており、一週間だけわたしの屋敷にメイドとして勤めていました。彼女がわたしのそばにいてくれたおかげで、特別な一週間を過ごせました。今後のわたしの生涯のなかでも忘れがたい記憶となるでしょう」
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