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53.蛇の生殺し(グラシアン視点)②

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 アリスが、王宮に戻る日が近づいていた。
 アビゲイル・ドニアの日記帳をアリスに貸す許可を取りに、グラシアンは女王のもとを訪れた。アビゲイルの日記帳は、女王の私物。喪服の君主は頬杖をついて、親指で自らの頬をへこませる。グラシアンの心中を見透かしたような笑顔が、癪に障った。
 
「好きにするがいい。この件が片付いたら、早々に燃やすつもりであったわ」
「ありがとうございます、陛下」
「いっそ、おまえの方で処分しておくれ。あんなものを二十年も保管させられて、不愉快極まりない。フィリップもイヤなものを押し付けてくれたわ」

 普段は懐深き君主として鷹揚に構えている女王が、こうも苛立ちを見せるのは珍しい。しかし、それも無理からぬことだった。
 女王の名前はーヴリル・モーリーン・オブ・ルワンド。亡き王配の名前は、ィリップ・オブ・ルワンド。アビゲイル嬢の日記に登場したAとPの正体だ。自分のことを悪しざまに書かれた、かつての恋敵の日記帳を手元に残したいはずがない。
 女王は忌々しいとばかりに頭を振ると、ふと何かに気が付いたように別の話題を発した。

「グラシアン」
「はい、陛下」

 女王の琥珀色の瞳は、冷え渡っている。グラシアンは何を言われるのかと内心冷や冷やした。
 
「何をしようと勝手だが、我が娘を穢すようなことは決して許さぬからな。婚約者とはいえ、あと二月は他人。わらわの意に反することをしたら、問答無用で結婚を破棄する」
「もちろん、承知しております」
「いいか、わたしの娘に汚いものも見せるなよ」

 女王は、一人娘のアリスに特別甘い。グラシアンの口から、もう穢すような真似をしたとは言いにくい。もうバレているかもしれないが、ここは強引にしらを切ろう。グラシアンは恭しく膝をついた。

「火の精霊に誓いましょう」

 そんなわけで、グラシアンはアリスを喜ばせたくて、火祭りに誘う。途中、思わぬアクシデントに遭遇したが、アンバーとアリスが無事なので、めんどくさいことは明日の自分にすべて託した。火祭りのフィナーレに上がる花火を見上げて、アリスが言う。
 
「まだ、グラシアン様と一緒にいたいです」

 おどろきのあまり、身体が固まる。その瞬間、彼の心臓は間違いなく破裂寸前だった。

 *
 
 グラシアンは、浴室の扉を蹴破る勢いで飛び出した。
 
 ――最後まで、蛇の生殺しかよ。

 心中で悪態をついたものの苛立ちをぶつける先はなく、気持ちを落ち着けるために大きく息を吸う。大げさでなく、平常心を取り戻すまで数分かかった。
 腕のなかの美少女は、そんな彼の気持ちの乱れなどいざ知らず静かに眠っていた。気高くも愛らしい、アリス。白く伸びやかな肢体に散る、赤い吸い痕。

 自分の背が女性にしては高いことを気にしているが、グラシアンからしてみれば、腕に収まるくらい華奢で小さい。自己評価が低いところも、負けず嫌いなところも好きだ。グラシアンは『挿れる』以外の行為はすべてやったような気がするが、アリスの目に汚いものは一切晒していないと、自信を持って言える。
 
 夜は深まり、すでに日付はまたいでいた。別れの時間はコクコクと近づいている。彼はふと、ベッド脇に置かれた小さなトランクを見つめた。先ほど屋敷から届いたばかりのアリスの荷物だ。
 グラシアンは中からシュミーズドレスを取り出すと、代わりに古びた日記帳を入れた。白い肌着を恭しく彼女に着せて、火魔法で長い金髪を手で梳きながら乾かした。
 グラシアンはうっとりする。先日、アリスに水魔法で髪を乾かしてもらったことを思い出したからだ。
 彼女と共有する、すべての時間が愛しい。
 
 横になってアリスの身体を抱きしめる。彼女の水魔法のマナの使い手に特有の少し低めの体温が、真逆の体質の彼の肌をひんやりとさせた。

「お疲れ、キャロル。アリス、あなたが永遠に幸せでありますように」

 ――その隣にはいついかなる時も、自分がいますように。

 彼女は深く眠っていて、もちろん返事はない。グラシアンは茶色い頭のてっぺんにキスを送った。
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